175 毒ガス騒ぎ
「ユリア嬢。吾輩には、【防護】魔法を教えてくれるのでありますか?」
「それは……まあ、構いませんが……。まずは『王家のゆりかご』が解毒できるか検証する方が、先なんじゃありませんか?」
「で、ありますが……。思ったよりもユリア嬢の調合が早かったせいで、まだ来ていないであります」
「来てない? 検証する魔道具は別の場所にあるのですか?」
「違うであります。検証は魔道具ではなく、人がするでありますよ」
「人?」
「詳しいことは、その人が来れば分かるであります。早く、早く教えるであります!」
ラーツェ様は、唇を尖らせて、イヤイヤするように体をよじった。
……正直、気持ち悪い。
「わ、分かりました。でも、ここじゃちょっと……」
物欲し気な御典薬たちの視線が辛かった。
「なら御典薬の司の部屋なら、いいでありますか? あの部屋なら多少失敗しても問題はないでありますから」
あの部屋には覗き見防止、防音、防ガスといった様々な魔法が施されている。
「そうですわね。そこでなら……」
しかし練習をし始めて、十分も経たないうちにラーツェ様は悲鳴を上げた。
「む、無理であります! 元からこの国の魔法は、広範囲・強力な魔法が良しとされているもの。ユリア嬢のように、複雑で針の目を通すような微細な魔法はできないであります!」
ラーツェ様は、魔法の使い手としても優秀だと聞いたことがある。だったら魔力が少ない私でも使えるような魔法なんて簡単だろうと思っていたのに、この結果は意外だった。
「そうだ。休憩しないでありますか? 確か詰め所の方に、茶器とお菓子があったと思うでありますが……」
「あ、でしたら私が行ってきます。お嬢様のお茶の好みは、私が一番知っていますから」
それまでただ魔法の練習を見ていただけのミーシャが手を上げると、「そうでありますか。頼むであります」と、ラーツェ様はニコニコと見送った。
とりあえず私達は応接セットに、ラーツェ様は執務机の椅子に腰を沈めた。
「しかしユリア嬢は、調合だけではなく、魔法まで優秀でありますなあ」
「そんな事はありませんわ。ラーツェ様も言ったではありませんか。この国の魔法は広範囲・強力な魔法が良しとされているって。私は魔力も少なく、広範囲な魔法も強力な魔法も使えませんもの」
「魔法も師匠や先生はいなかったのでありますか?」
「……そんなようなものです」
本当は『前の人生』で王立学園で魔法の基本を教わったのだけれど、あとは必要に迫られて自分で習得するしかなかった。
「ふうむ。確かに広範囲・強力な魔法がもてはやされていたのは、戦争時代の戦力としてでありました。しかし今は平和な世……。王の膨大な魔力も使用することができずに、体内で凝り固まり、魔力栓塞予防薬が手放せないであります。魔力の使い方の見直しが、必要な時期にきているのかもしれないでありますなあ」
「それはどういう……?」
突如、御典薬の詰め所の方から爆音が鳴り響いた。
「何でありますか⁉」
私とラーツェ様は、急いで御典薬の司の部屋から飛び出した。
見ると、詰め所の扉が外から吹き飛ばされている!
そして、もうもうと立った埃の中から、白く発光点滅する三つの影が……。
「この臭いを止めるんだ! 俺様が死んだらどうする⁉」
「そうですよ! 殿下が死んだら、誰が私に権力をくれるんですか⁉」
「…………殿下、連続で【浄化】魔法をかけるの、疲れました。交代してくださいよ」
と、この部屋にそぐわない声変わり前の甲高い少年の声が響いた。
…………第二王子アレックス殿下御一行様である。
ちなみに最初の声がアレックス殿下。普通に「俺様」と言っている。
次はアレックス殿下の腰巾着、宰相の息子ターメル様。権力は自分の実力でつかんでください。
最後は、教皇の甥のセイリン様。何故だか連続で【浄化】魔法をかけているようだ。【浄化】魔法は、魔法の中でも基本的なものだが、まだ正式に学園で魔法を習う前に連続しようできるとは、なるほど、さすがは王子のご学友に選ばれるはずだ。
「王子が扉を蹴破ったでありますか? ど、ど、どうして……?」
おろおろするラーツェ様の前で、アレックス殿下御一行は指を突き付ける。
「お前ら、外の様子を知らないのか⁉」
「そ、外でありますか?」
ラーツェ様は急いで、御典薬の一人を外に身に行かせたが、間もなく戻ってきた。
「大変です! 人々の大半が気を失っています! そうでない者は胸をかきむしりながら、もがき苦しんでいます!」
「何? 胸をかきむしってでありますか? ……となると毒ガス!」
さすがの【防護】魔法も、すでに毒が散布されていては効果がない!
ラーツェ様は御典薬たちに、ワイルドバイソンの解毒剤入りの気付け薬の用意を命じようとした!
「何を素知らぬふりをしている⁉ 毒ガスの元はここだぞ!! 俺様達は、セイリンの【浄化】魔法で周りの空気を清浄にしながら、城中を歩き回り、やっと臭いの元を探り出したんだ!」
アレックス殿下は、ダンと足を踏み鳴らした。その拍子に、【浄化】の範囲を超えたようだ。顔を紫に染めて、鼻を押さえて後ろに飛びのいた。
そうか【浄化】魔法は、場や物にかける魔法。その瞬間瞬間を浄化するもの。だから連続魔法が必要なのね。
一方、私の【防護】魔法は、人にかける魔法。長くはないが持続する。
よく考えたら、我ながら優秀な魔法を考えたものね。
ラーツェ様が、おろおろとアレックス殿下に反論する。
「何を言っているでありますか? 我らは御典薬。毒ガスなど……」
ざわめきの中、一人の御典薬が「あの……」と手を上げる。
「あの……。我らはリンドウラ・エリクシルを蒸留してアルコールを飛ばしておりました。そしてその間、オルシーニ伯爵令嬢も別の調合をしていました。その調合では、ものすごい悪臭が発生していると言っていましたよね」
「…………」
「私達は調合マスクをしていて、その後に【防護】魔法をかけてもらったので気が付きませんでしたが……。その悪臭とアルコールが化学反応を起こして、毒ガスのようになったんじゃないでしょうか?」
御典薬が指さしたのは、換気するために全開になっている窓だった。
「「「…………………………あ」」」
全員が察した。
なんと、人々がバタバタと倒れるような毒ガスの原因を作ったのは、私だったのだ!