173 御典薬の詰め所
私はラーツェ様に王宮にある、御典薬の詰め所に連れて来られた。
御典薬の詰め所には古今東西様々な薬の素材があり、さらには御典薬の司の部屋には「王家のゆりかご」がある。そして王宮の酒蔵なら高価なリンドウラ・エリクシルが使い放題。そして検証の手段は王宮にあるのだそうだ。
「王家のゆりかご」を取りに来た時に、私は王宮の外で待っていたので、ここに入るのは初めてだ。
私達は御典薬の詰め所の扉を開けた。
乾燥した薬草のツンとした香りが鼻をくすぐる。
自分のではないが、久しぶりの調合室に思わず心が浮き立つのを感じた。
この詰め所は共同の調合室を兼ねているそうで、私の領地の調合室と同様に一方の壁には一面が小さな引き出しで一杯の棚になっており、一つ一つの引き出しには素材の名前が書かれていた。また反対側の壁には、色とりどりの薬が入った薬瓶、乳鉢や秤といった調合道具が所狭しと棚に並べられている。真ん中の大きなテーブルには棚に入りきらなかった大型の調合道具があり、部屋の片隅には火を操る魔道具の上に大きな調合鍋が数個置かれていた。
ここで調合するのは御典薬の中でも立場がまだ低い者だそうだ。立場が上がると、この詰め所に接した調合室がついた個室が与えられる。御典薬の司の部屋もそんな個室の一部屋だそうだ。
ラーツェ様の後に続く私達。それに気が付いた御典薬が、素材の下処理をする手を止める。確かラーツェ様は今いる御典薬たちは全員自分の弟子なのだと言っていた。となると、私は彼らの師匠を御典薬の座から引きずり落とすきっかけを作った本人だ。でも私に落ち度はない。若干のいたたまれなさを心の奥底に押しやって、胸を張って歩く。
御典薬の一人がラーツェ様の元にやってくる。ラーツェ様の耳元でボソボソと内緒話をする。何を話したのかは分からないが、ラーツェ様は私を見て頷いた。
途端に雰囲気が変わった。
それまでは緊張したようなピリピリした空気だったのが、急に柔らかくなったのだ。いや、柔らかいというよりは、生温かい。
二十人近い人達に、そのような目を向けられて私は居心地が悪くなる。
「あの……ラーツェ様。御典薬たちは、いったいどうしたのですか?」
先頭を歩き、振り返ったラーツェ様は目尻を下げて、こちらも生温かい笑顔を浮かべていた。
「優秀な薬師と評判のユリア嬢を拝顔して、興奮しているだけでありますよ」
「私の……評判?」
私の評判はラーツェ様を御典薬の司から落としたというだけのものではないのか? そう聞くと、ラーツェ様は「いえいえ」と言いながら笑った。
「レバンツでのユリア嬢の情報が、やっと王都に届いたでありますよ。なんでも病院で薬を出していたとか。そしてその薬が次元違いの効果だったとか……」
「確かに病院で出していたけれど……」
薬組合登録の推薦状をもらうために、アントン先生の病院で診察をして薬を出していたことがある。でもあの時はそれほど重体の患者さんはいなかったと思うけれど……。
「おまけに冒険者と協力して海からやってきた二頭の巨大生物を片付け、さらには街を壊滅させるかもしれないような感染症の発生を抑えて街を救ったとか……」
それはあれかしら? キラースクイッドとオオヤシャ貝の討伐のことかしら? 確かに、死骸を放っておいたら感染症が広まって、街が壊滅するかもしれないから毒のある部分を出さないようにダン達に討伐をしてもらったのよね。その時、確かに私の【浄化】魔法とか、毒消しとか使ったわ。そういえばキラースクイッドを使って料理コンテストをしたはずだけど、どんな料理ができたのかしら? 私は祭りの当日に連行されちゃったから祭りに行けなかったのよね。せっかくだから、食べたかったわ。
「吾輩。そのような立派な薬師に汚名を着せようとしていたでありますから、本当に反省したであります」
ラーツェ様は妙に演技めいて、うなだれた。
「え……ええ」
「つきましては、一生をかけてユリア嬢の弟子として償いたいと……」
そういえば、そんな事をルモンドさんの前で言って殴られていたわね。少しは見直した部分もあるけれど、得体の知れない感じは強まっている。だから答えは当然、
「嫌です」
見る者全てが可哀そうだと思う程、ラーツェ様は肩を落とした。
御典薬たちも、同様だ。
こうして見ると、ラーツェ様と弟子たちはよく似ている。顔立ちとか体つきとか、そういう部分ではなく、雰囲気が似ているのだ。子は親に似るというから、御典薬たちはラーツェ様を師匠と慕ううちに似てきたのかもしれない。と、すれば、ラーツェ様はなかなかいい師匠であるのだろう。
「吾輩。諦めないでありますよ」
ラーツェ様は寂しそうな笑顔を私に向けた。
頭頂を薄く隠す耳元の髪が、ハラリと落ちる。その様はより強く哀愁を漂わせた。……ミーシャは笑いを押し殺すのに必死なようだが。
「ところで、ユリア嬢は『気付け薬』の調合をされるのでありましたな?」
「は……はい」
私のシャトレーヌの気付け薬はとうに無くなっていた。エリスさんに使うのならば、どこかで調合しなければならないと思っていたのだ。鴆の羽ほどではないが、鴆の糞も手に入りにくい素材。御典薬の素材棚ならあるはずだと踏んでいた。
ラーツェ様は金色の鍵を私の前で揺らした。
「これは御典薬の司の部屋の鍵でありますよ。詰め所にある素材ならば、量は少ないものの大抵は揃っているでありますし、何より覗き見防止、遮音、防音、防熱、様々な魔法がかけられているであります。調合はここを使うでありますよ」
「そんな……いいのかしら?」
「何がでありますか?」
「だって……その……。今の御典薬の司はルモンドさんなのに、了承を得ないで部屋を使っても……」
ラーツェ様は悪意のない顔で答える。
「問題ないでありますよ。ルモンド伯父、いや師匠は御典薬の司という役職を嫌っているでありますから、部屋は使わないであります」
「……それで御典薬の司として、問題はないの?」
「なあに、国王の魔力栓塞の薬はちゃんと作ってあるでありますから」
ラーツェ様は一瞬、陰湿な目をして「作るよりも国王に飲ませるのが大変なのでありますが……」とため息をつく。
「そ、そう。では、ありがたく部屋を使わせていただきます」
私は金色の鍵を受け取った。
「では、吾輩はリンドウラ・エリクシルを運び込ませて、アルコールを飛ばす処置をしているでありますよ」