169 王家の秘薬
「なるほど……。それで吾輩に素材を分けて欲しいということでありますな?」
「え……ええ」
私は通された玄関ホールで、リー公爵家に来た理由をラーツェ様に話しながら、爆発と溶解液や放水、その他もろもろの残骸があっという間に片付けられている様子を驚きながら観察していた。破壊された箇所が溶剤や硬化剤で次々と修復され、汚れは貴族出身らしき執事が浄化魔法できれいにしている。執事長の的確な指示と、平静な態度を見ればよく分かる。このラーツェ様による破壊行為があの執事が言ったように「いつもの事」だということが。
それにしても使用人に貴族出身者がいるとは、さすがリー公爵家だ。悪評の高いオルシーニ伯爵家とは違う。オルシーニ家では求人しても、まずそんな人物は来ない。
そういえば玄関で私の対応をしたあの執事は、執事の中では一番の下っ端のようだ。さんざん先輩らしき人に怒られている。どおりで公爵家の執事としては対応が悪いはずだ。
どうして自宅を破壊するような行為をするのかラーツェ様に聞いてみると、リー公爵家には『生きることは戦うことだ』という家訓があり、家長の命に背くなら戦って我が道を通さなければならないのだそうだ。今日はルモンドさんがいなかったから、楽勝だったと機嫌のよさそうなラーツェ様。でもリー家は『生きることは戦うことだ』っていう家訓の解釈を絶対に間違っていると思う。
どんな家長の命に背く必要があったのかと重ねて聞くと、「ユリア嬢に会うのは禁じられていたのですが、うちの屋敷にオルシーニ家の家紋の入った馬車が入ってくるのが見えたからでありますから」と、恥ずかしそうにもじもじしながら言った。
…………。
使用人達の目が痛い。
この破壊行為を間接的に引き起こしたのは私ということね。
ラーツェ様は私が挙げた希望する素材の名前にいちいち頷いた。
「ユリア嬢のご希望の素材は確かにこの屋敷にあるであります」
「そ、それなら、譲っていただけないかしら? もちろん代金は……」
「代金は心配しなくていいであるます。しかし……」
ラーツェ様は何かを考えている様子で口ごもった。
「何か問題があるのですか?」
「いえ……。その……ユリア嬢の患者は、もう破水しているのありましたな?」
「ええ」
ラーツェ様は「ふうむ」と首を傾げた。
「それでその患者にユリア嬢はどのような薬を作るおつもりでありますかな?」
「陣痛抑制薬と、感染予防薬を……」
破水していても陣痛を抑え、胎児を少しでもお腹の中に留まらせて成長するのを待つ。破水してしまったため、胎児を感染などから守る羊膜が破れてしまったため感染予防薬も必要だ。他に何かあるのかもしれないが、今の私にはこれくらいしか打てる手を思い浮かばない。
これでどのくらい日数が稼げるか分からない。数日稼いだとしても、胎児は外の世界で生きていけないかもしれない。でもやらないよりも生存の可能性は高まるだろう。
私の答えを来て、ラーツェ様は「やはり」と、小さな息を吐いた。
産科に疎い、私と違ってもしかしたらラーツェ様は御典薬として産科に踏み込んだ介入をした経験があるのだろうか?
「……それでは救えないのかしら?」
私にはそれ以外の方法は思い浮かばない。
ラーツェ様はピッと手を真上に上げて、指をパチンと鳴らした。
するとそこかしこにいた使用人達は、片付けや修繕を放棄して、いっせいに持ち場から離れていなくなる。
「人払いをしたであります」
「……人払いが必要な話なの?」
ラーツェ様は真剣な目で頷く。
「ユリア嬢は『王家のゆりかご』という薬をご存じでありますかな?」
「『王家のゆりかご』? いいえ。聞いたこともないわ」
「で、ありましょうな。この薬は御典薬にだけに伝わる秘薬でありますゆえ」
意地悪な質問だ。
でも、ここで出す薬の名前ならきっとエリスさんを救える薬なのかもしれない。
私はじっとラーツェ様を見つめ返した。
しかし、ふっとラーツェ様は視線を外す。
「本来は御典薬以外に伝えることは禁止されている薬であります。しかしユリア嬢は学園卒業後に御典薬になられることを王から嘱望されている身。ユリア嬢になら……話すであります」
ラーツェ様は「話す」とは言ったものの、迷っているのか、なかなか言葉が出てこなかった。
「ユリア嬢はこの国の歴史には詳しいでありますかな?」
「えっと……。申し訳ありません」
思わず授業中にさされて答えられない生徒のような謝罪が出る。
「いいでありますよ。まだ学園入学前でありますし」
入学前どころか、私は『前の人生』で一度学園を卒業している。でもエンデ様の気を引くのが精一杯で、恥ずかしい事に勉強はまったくといっていいくらいしていなかった。今考えてもよく卒業できたものだ。
ラーツェ様は簡単に建国以来の王の名前を並べた。そして王家の出産の歴史を語る。王家全体で出産時に問題があったのは十三件。これは王の直系だけでなく、私のお祖母様のような王家の傍流も含まれる。
その問題があった出産のうち、胎児が無事に産まれてこなかったのは七件。これは初期流産や死産なのだそうだ。そして残りの六件は問題があったものの、胎児は健康体で産まれ出ている。この中にはエリスさんのように月足らずで破水してしまった例もあるそうだ。その時も、内服後に出産の徴候は止まり、胎児に感染もなく元気な赤ちゃんが生まれた。
私は目の前が明るくなった気がした。もし私が薬を作っても、必ず赤ちゃんが助かるとは限らない。でもその『王家のゆりかご』を使えれば、助かる可能性はずっと上がりそうだ。
「その『王家のゆりかご』のレシピをラーツェ様は知っていらっしゃるの?」
「それどころか、王宮の御典薬の司の部屋に常備されているであります。吾輩は御典薬の司の座から下りましたが御典薬の一人であることには変わらないであります。それに今の御典薬はみな吾輩の弟子……伯父の目を盗んで『王家のゆりかご』を持ち出すのはたやすいであります」
「じゃ、じゃあ……」
「しかし『王家のゆりかご』は、問題がある薬なのであります」
ラーツェ様は目を伏せた。
「問題?」
「先程の話であります。六件は問題があったものの、健康体で産まれたであります。しかし、六件とも母体は出産時か、出産してすぐに亡くなっているであります」
「え……⁉」
六件が六件とも……? その「王家のゆりかご」のせい?
「王家にとって大切なのは、他国や他家から嫁いできた母体よりも次世代を継ぐ新しい命で、次代の王家であります」
「それってどういう……?」
「『王家のゆりかご』は母体の栄養、そして生命力の全てを胎児に持っていくもの。胎児は一日で一週間分の成長をするであります。でもそれを育む母体は生命活動を極限まで低下させて深く眠り……、二度と目が覚めることがないであります。出産も医師が腹を開いて赤子を取り出すのであります」
「二度と目が覚めない?」
それじゃ赤ちゃんは助かってもエリスさんは……。
「吾輩はこう考えます。『王家のゆりかご』は、母体をただの『ゆりかご』と……まるで物の様に使い捨てにするものなのであると……」
私は衝撃を隠せなかった。
そんな非人道的な薬があるなんて……。
「…………なぜ私にそれを? そんな薬を使うなんてありえないわ!」
ラーツェ様は視線を上げて、私と目を合わせた。
「使うかどうか決めるのはユリア嬢ではないであります」
「え?」
「母親というのは……自分の命よりも産まれてくる子供の命を選ぶことがあるのであります」
「母親……」
「確かに『王家のゆりかご』は危険な薬であります。でもその薬を使うかどうかは、ユリア嬢が決めるのではないであります。母たる、ユリア嬢の患者が決めるでありますよ」
「………………」
かくして私達はリー公爵家の調合室から素材を、そして王宮にもぐりこんだラーツェ様はすんなりと御典薬の司の部屋から『王家のゆりかご』とついでに私が作ろうと思っていた陣痛抑制剤と感染予防薬を持ち出し、エリスさんの待つオルシーニの屋敷に向かったのである。