168 訪問
玄関で私の荷物を下ろしていた、さっき下りたばかりの馬車に乗り込む。
お付きの者が誰もいないことに御者は目を白黒させていたが、私が行き先を告げると緊張した口調で「かしこまりました!」と叫んだ。
「急いで!」
「は、はい!!」
先程のお母様の事が気になって、馬車がガタゴトと揺れるのさえイライラとする。
つい馬車の天井を備え付けの杖でゴンゴンと突き上げ「早く!」と急かしてしまう。
回転を早くした車輪は、同じ貴族街ではあるが、オルシーニの屋敷よりもさらに身分が高い人たちの住まう地区へとひた走る。
窓の外に目をやると、オルシーニの屋敷の地区よりも戸数は少ないが、一戸一戸の土地は広く、道沿いに立つ塀の隙間から見えるそれぞれの屋敷は実に立派である。
一際高い塀が切れた所に人を威圧するような巨大な門があった。
御者は門番に入門の許可を求める。
が、約束もしていないため門番はそれを拒んだのが窓越しに聞こえた。
イラっとして、私は馬車の扉を荒々しく開けた。
「お、お嬢様……!」
慌ててこの御者が手を差し出した。その手に申し訳程度につかまる。
「ありがとう」
「あ……いえ。あの……お嬢様……」
「聞こえたわ」
私は二人いる門番達に横柄に向き直った。
「あなた方では話にならないわ。ルモンドさんかラーツェ様に会いたいの。取次をしてちょうだい」
そう。私が薬の素材を手に入れる当てにしたのはリー公爵家だ。リー公爵家の当主はルモンドさんの弟、そして当主の息子がラーツェ様である。紫の塔に閉じ込められて(?)いたときに手に入れた報告書で、ラーツェ様が御典薬になる前はこのリー公爵家の自室の調合室で様々な危険な薬を作っていたと書いてあった。そして現在、ラーツェ様は自宅謹慎を受けているはずだ。あのラーツェ様が自宅謹慎だからと言って調合をしていないことなんて考えられない。だとしたらここに役に立ちそうな薬の素材があるに違いない。
突然の貴族令嬢の命令に、門番達は慌てふためき、一人が屋敷に走って行った。少ししてその門番と一緒に現れたのはルモンドさんでもラーツェ様でもなく、若い執事だった。
「当家にどのようなご用でしょうか? オルシーニ伯爵令嬢ユリア様」
「あら? 私、名乗ったかしら?」
「馬車の紋から判断いたしました。間違っていたでしょうか?」
有能そうな執事は、軽く目を伏せた。
確かに馬車の扉の部分にオルシーニの紋章が浮き彫りにされている。しかし家紋を知っていても私の名前まで出るのは、よほどこの執事が有能なのか、それともリー公爵家でなんらかの理由で私の話題が出たかのどちらかだろう。
「いいえ。間違っていないわ。オルシーニ伯爵家が娘、ユリアよ」
「左様で。ところでユリア様、本日、当家とはお約束はないと存じますが……」
「約束はないわ。でもルモンドさんか、ラーツェ様に会わせて欲しいの」
執事は上品に鼻で笑う。
「失礼ながら、オルシーニ伯爵令嬢ユリア様。貴族の間では訪問の前に約束を取り付けるのが常識でございまして」
まるでオルシーニ家が貴族ではないような言い方だ。
伯爵家よりも身分が上の家に仕えているせいで自分までも偉くなったつもりなのか、それともオルシーニの悪評のせいなのか。でもそんなのはどちらでもいい。
私は鼻をツンと上に向けて、苛立った口調で執事をさえぎった。
「先日、ルモンドさんとラーツェ様は約束もなく私の屋敷に来たわよ」
その事を知っているのか知らないのか、執事はわずかに目を揺らす。
もうこんな執事に相手をしている暇はない。
「早く取次しなさい。ルモンドさんもラーツェ様も私を断るなんてしないはず。ここで追い返すなら後悔するわよ。今の私、経験したことがないくらいイライラしているの」
「ですが、当家にも当家の都合というものが……」
と、リー公爵家の屋敷内部から爆発音が聞こえ、ズーンと地面が揺れた。
「え? 何?」
まさか盗賊の襲撃⁉
領地の屋敷に盗賊が襲撃した時の記憶が蘇り、一瞬身を強張らせる。
執事がチッと舌打ちをして、さっきまでなかったにこやかな笑顔を見せる。
「ただいま、当家は取り込んでおります。どうかお帰り下さいませ」
「え……でも」
爆発音はだんだんと近づいて来る。と、同時に屋敷の中から人々の声も聞こえた。
『第三班は捕獲用の網を……!』
『ダメです! 使い物になりません。溶かされました!』
『第四班、放水開始!』
『防御魔法を張られました!』
なんなの? あの爆発音と声は。
「もしかして盗賊の襲撃か何か?」
執事は目にバカにしたような色を浮かべる。
「武勇で知られるリー公爵家に襲撃に来るような勇気のある盗賊などいるわけございません」
そういえばルモンドさんも薬師でありながら、前の戦争では武勇でもならし、「戦う薬師」の二つ名を得たんだった。
「でも……」
「これは、いつもの事でございます」
「いつもの……事?」
いつの間にか、さっきまでのイライラはすっかり吹き飛んでいた。
「こうなってはしばらくは収まりません。お怪我をされるまえにお帰りくださいませ」
執事が私の腕をつかんで、馬車に押し込もうとする。
「え……、でも……」
「さっ!」
ドゴーン!!!
執事の力が強くなった瞬間、大きな爆音と同時に屋敷の玄関の扉が吹き飛んだ。とっさに隠れていたルーが私と執事の前で元の大きな犬型魔物の姿をとり、扉の破片や割れたガラスから私の盾になる。
――大丈夫か?
「あ、ありがとう、ルー。助かったわ」
怪我こそはなかったものの、玄関から離れた門までもがもうもうとした砂煙のため視界を遮られている。
その土煙の中、破片やガラスを踏みしめる足音がする。それもだんだんこちらに近づいて来るのが分かった。
「誰か来るわ!」
ルーがいるため、恐怖はそれほどない。
私は腰に下げたシャトレーヌに手をかけた。中には戦いに向いた薬が数種類入っている。爆弾に、溶解液……。
ふと何か頭の隅に、何かがひっかかった。
――奴だ。
「奴が来る」
ルーと執事の声が重なって聞こえた。
……奴?
幕のように視界を防いでいた砂埃が、地に降りてきた。
ただ一つ、小さな人影が見える……。
あれは……?
ふと頭の隅にひっかかった理由がわかった。領地の屋敷が襲撃された時、爆弾や溶剤を使ったのは盗賊じゃなかった。使ったのは……私だ。薬師である。
「ユリア嬢! 吾輩に会いに来てくれたでありますか?」
ゴブリン……じゃなくてラーツェ様が爆弾片手に、「うふっ」と頬を染めていた。