166 母と娘②
結局あの後、気絶したラーツェ様をルモンドさんは肩に担いで帰って行った。
いったい何しに来たんだろう……。
がっくりと疲れだけが残った。
「セドリックもありがとう」
私は案内してくれた王都執事長のセドリックにお礼を言う。するとヨーゼフの甥だという赤毛の男は、慌てたように頭を振った。
「い、いいえ。とんでもないです。私など……」
と、恥じ入るように身を縮めた。
「もしかして、ルモンドさんとラーツェ様に対応できなかったことを気にしているの?」
「え……。それは……」
お父様が貴族院で重用されているとはいえ、悪名高い我がオルシーニ家にはここ十数年の間、ほとんど貴族の来客が途絶えている。例外といえば、私と婚約の話が浮かんでいたコロンナ侯爵家のエンデ様だ。コロンナ侯爵家も金銭的に余裕があり、エンデ様が五男という立場でさえなければオルシーニ家と繋がりをもとうとは思わなかったはずだ。
もちろんそんなわけでセドリックは貴族の客、それも格上の公爵家の方の対応には慣れていなかった。さらにあの二人は一般的とは言い難い。
私はクスリと笑った。
「仕方ないわよ」
「え?」
「あんな事をするお客様には、どんな執事だって対応できっこないわ」
「そ、そうでしょうか……」
「そうよ」
私が自信ありげに頷くと、セドリックは安堵で体中の力が抜けたようだ。
「それにしてもお嬢様はリー公爵家の方々といつ繋がりができたのでございますか?」
なかなか答えづらい質問だ。
ルモンドさんとは海辺の街レバンツで出会った。でもレバンツへの旅のお供はヨーゼフと年端もいかない侍女と下僕見習い、そして冒険者が二人。変な噂が広まっても困る。
そしてラーツェ様とは貴族を幽閉するための紫の塔。不問になったとはいえ、こちらも噂を広めたくない。
「ええっと……。ヨーゼフつながり?」
私は全てをヨーゼフに丸投げした。
もともとルモンドさんはヨーゼフの知り合いだったし、ラーツェ様はルモンドさんの甥で弟子でもあるのだからつながりがあるのは間違いではない。……苦しいが。
セドリックは私の心苦しさに気付くことなく「ああ……」と手を打った。
「叔父……、いえ、総執事長は顔が広いですからね」
「え……、ええ」
この話題が続くと、聞こえない・話せない状態だったヨーゼフがどうして治ったかまで説明しなくてはならないような気がする。だから急いで話題を変えた。
「ところでエリスさんはまだいるかしら?」
「どうでしょうか? 今、確認してまいります」
「いいわ。私が行くわ。あ……そうだ、ミーシャに私のお茶も用意してくれるように伝えてもらえる? 少し寒かったから」
「かしこまりました」
うまくセドリックと会話を中断できてホッとした。
居間に近づくと、開いたままの扉の隙間から何やら言い争っているような声がする。
エリスさんはまだ帰っていなかったようだ。
でも相手は一体誰だろう? アランでも来たのかしら? 夫婦ケンカ?
少し中を覗いてみる。
エリスさんの相手が分かった。
お母様だ。
並んで座っている二人は、どうやら言い争いというものではなく、一方的にお母様がエリスさんを叱責しているように見える。
それにしてもなぜお母様がエリスさんに?
ふと思いだした事があった。
私の淑女教育のための家庭教師を探すことになったが、エリスさん以外の家庭教師は見つかっていない。なぜなら家庭教師は階級の低い貴族の跡取り以外の子女がなる仕事であり、「どこそこの令嬢に教えた」というのが職歴となる。社交界でその令嬢の評判が上がれば自分の手柄になり、評判が下がれば自分の悪評になる。それなのに元々が悪評の高いオルシーニ家の令嬢だ。まともな家庭教師など見つからなかったのだ。
しかし私がエリスさんを刺繍の先生にすると言った時に、お母様が猛反対をした。曰く「平民に教えを乞うなんて貴族のすることじゃない!」だそうだ。
きっとそのことでお母様はエリスさんに何か文句を言っているに違いない。
お母様を止めようと、部屋に入ろうとした時に「パンッ」と乾いた音が響いた。
エリスさんがお母様に伸ばした手を、お母様が払いのけたのだ。
「お母様!」
私は思わずカッと頭に血が上り、居間にズカズカと入り込んだ。それに気が付いたお母様は取り繕ったように、スッと目を細くして扇で口を隠した。
「ユリア。淑女ともあろう者が、そんな大きな音を立てて扉を開けるものではありません」
「お母様には言われたくありません!」
お母様が何かを言いかけようとしたが、私は言葉を被せる。
「お母様。答えてください。淑女というのは、妊娠中の女性を叱責し、あまつさえ手を払いのけるような真似をする女性のことをいうのですか?」
「え……?」
お母様は眉根を寄せた。
一方エリスさんはといえば「違うんです。叱責なんかじゃありません。私が奥様に失礼な事を……」と慌てて手を振る。
「エリスさん。あの場面を見れば、お母様が悪いのは誰だって分かります。本当にお母様が酷いことを……。ごめんなさいね」
私が謝ると、お母様は不機嫌そうにそっぽを向いた。
「お母様。聞いてらっしゃるのですか? 本当はお母様が謝らなくてはいけないというのに!」
ふと、お母様は私から背けたままの視線を床に落とした。
「……お前は、本当にゴッソにそっくりだこと」
ゴッソというのはお父様の事だ。何故ここでお父様のことが出てくるの?
「どういう意味ですか?」
お母様は鼻を鳴らした。
「気分が悪いわ。自室に戻ります」
「お母様!!」
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