165 弟子志望者
今までの話。前章までのまとめは174部(152話と153話の間)をご覧ください。
今章のこれまでの話。
自ら作った「毛生え薬」のせいで国王暗殺未遂容疑で捕らえられたユリア。
王都の紫の塔に幽閉される。
尋問に当たる御典薬の司・ラーツェ。
だが国王が服用していたのはユリアが作ったものではなく、ラーツェが作っていたものだった。
従魔のルーを通じてその事を知ったユリアは、ビクビクしてばかりの侍女(正体は捜査官)のスフィラに密告する。
責を問われるラーツェだが、ユリアは本当の問題が国王が膨大な魔力を抑えるために飲まなくてはいけない魔力栓塞の薬を勝手に断薬し、ラーツェが作った毛生え薬を多量に飲んでいたことだと説明した。
不問にされて家に帰されるユリア。
王都のオルシーニ屋敷では父と母が待っていた。
母には『前の人生』で裏切られた思い出と、今の人生でもユリア婚約者候補のエンデをそそのかして領地に来させ、その結果エンデの暴力のせいで執事長ヨーゼフが瀕死の重体になった恨みがある。
娘と母の確執は深まる。
そんな中、護衛のアランから妊娠中の妻・エリスの様子を見て欲しいと頼まれる。
大きな問題はないが、様子を見るためにエリスを刺繍の家庭教師として通わせることにする。
そしてユリアは王から第二王子アレックスのご学友となるべく、王宮での魔法学の授業に参加するように命じられる。しかしアレックス王子からは手荒な歓迎があった。しかしその手荒な歓迎も自分の魔法で仕返しをする。
次の王宮での魔法学の授業は体調不良を理由に断った。仮病なのは相手方にも分かり切ったことだろうが、なにせ王子が臣下の娘である私に水をかけようとしたのだ。何事もなく受理された。ただし、体調が回復したら復学するようにとの手紙と花束が王から届いた。
数日後。
「お、お嬢様。申し訳ありませんが、少しよろしいでしょうか?」
居間で私が護衛のアランの妻であるエリスさんに刺繍を教わっているところに、血相を変えた王都執事長のセドリックが飛び込んできた。
「どうかしたの?」
私は刺繍の手を止めてセドリックを見上げた。内心ホッとしながら。
前の人生では一人暮らしの平民薬師だったため、繕い物ならばお手の物だ。でも貴族のたしなみとしての刺繍は装飾的でかなりの技巧を必要とするため、かなり苦戦を強いられていた。
「じ、実はリー公爵家のルモンド様とラーツェ様がお見えになっております」
ルモンドさんは、元御典薬の司で現在は薬組合長をしている。総執事長のヨーゼフの昔馴染みでもある。そしてラーツェ様はルモンドさんの甥で御典薬の司だった人だ。「だった」というのは、国王が勝手に断薬して体調不良になったのを私が作った頭痛薬(毛生え薬)のせいだと罪をかぶせ、頭痛薬のレシピの公開を迫ったものの、悪巧みがバレて降格になったからだ。本来なら降格で済むはずがないのだが、どうやら黒幕は国王だったようなのと、私が薬組合公認薬師であることを告げると無碍な扱いをしなくなったため、その程度の罰で済まされたそうだ。
私自身としてもラーツェ様をそれ程恨む気持ちはなく、あの国王の御典薬の司という立場に同情したくらいだ。国王から私も御典薬にどうかというお言葉があった。学園に入学すらしていないのでと断ることができたが、卒業したらどうなるか分からない。……恐ろしい。
「そんなお約束をしていたかしら?」
「いいえ。急な来訪です」
「……そう。分かりました。では応接室にお通しして。すぐに向かうわ」
「そ、それが。ルモンド様がおっしゃるには、お二人はお嬢様に謝罪に来たのであって、お嬢様の許しが得られなければ屋敷に入る資格はないとおっしゃりまして……」
「……それで二人はどこにいるの?」
「玄関の外に……」
「分かったわ。私が行きましょう」
セドリックはホッとしたように力を抜いた。
「エリスさん。申し訳ありませんが、お聞きの通り急な来客がありまして、今日は中断してもよろしいでしょうか?」
「ええ、もちろんでございます。片づけの方は私の方でしておきますので」
「お願いいたします。でも急がないで大丈夫ですよ。もう少ししたらアランの交代の時間ですから、それまでゆっくりしていって下さい」
アランの名前を聞いて、エリスさんは頬をほんのりと染めた。妊娠九ヶ月に入った。以前よりはお腹の膨らみが目立つようになったが、まだまだ初々しい様子だ。血と気の通りを良くする、特に妊娠中の女性にはいい効果のあるお茶を家でも飲んでいるせいか、初めて会った時よりも全体的にふっくらとしている。
私はミーシャにそのお茶とお菓子を出すように命じて、セドリックと玄関先に向かった。
すっかり葉が黄色く色づいた樹木の下、ルモンドさんがこちらに背を向けて仁王立ちをしていた。ラーツェ様の姿はよく見えないが、体も小さくて細くゴブリンによく似た相貌のラーツェ様のことだがら、ヨーゼフと同世代でありながら「戦う薬師」としていっこうに衰えを見せない偉丈夫のルモンドさんの影にかくれてしまっているのだろう。
「お、お久しぶりでございます。ルモンドさんとラーツェ様……?」
私がルモンドさんの大きな背中に声をかけると、ハッとしたように振り向いた。
「ユリア嬢! この度は甥がユリア嬢に卑劣な事を……。国王暗殺未遂の容疑をかけ、レシピを強奪しようとするとは……。叔父であり、師であり、元上司であるこの私もお詫びに上がった次第です。しかし、なんと言ってお詫びをすればよいか……。申し訳なくて屋敷に入る事もできずに、こんなところで……」
「えっと……。それはいいんですけれど……。それよりもラーツェ様が……」
ラーツェ様はルモンドさんに文字通り首根っこをつかまれ、というか持ち上げられて足をぷらんぷらんとさせている。どうりで見つからなかったはずだ。
ラーツェ様の顔が緑黒なのは元からなのか、それとも息ができないのか……。
間違いなく、後者だ。
「ユリア嬢におかれましたは、レバンツでの薬組合の不正を暴く手伝いをしていただき、どんなお礼をしても足りないくらいなのに、愚かな甥、愚かな弟子がしでかした事件……まことになんとお詫びを申し上げたらよいか……」
「あの……、私は大丈夫ですから。ラーツェ様を放して上げた方が……」
白髪に一筋の紺色のメッシュが入ったルモンドさんがホッとしたように目尻にしわを作る。
「ユリア嬢はお優しい」
しかし「よいのです」と、表情を一転させて一層ラーツェ様の首をつかむ手に力を込める。
「ルモンドさん! ラーツェ様、死んじゃいますよ。泡を吹いていますよ!」
私の必死の説得で、ルモンドさんは手を放した。
ラーツェ様はドサリと地面に落ちた。よかった、まだピクピク動いている!
「か、回復薬を……」
私が腰に下げたシャトレーヌから作り置きの回復薬を出そうとするのをルモンドさんは手で止めた。
「ユリア嬢の回復薬を使うのなんてもったいない」
そしてルモンドさんは腐った物を見るような目でラーツェ様を見下ろし、自分のシャトレーヌから出した低級回復薬をラーツェ様に振りかけた。
……それ、内服用のやつ。
ごくごく淡い光がラーツェ様を包み、ラーツェ様がパッと目を開けた。そして私の姿を見ると、慌てて地面に這いつくばって頭を下げる。
「ユ、ユリア嬢! 吾輩をユリア嬢ので……グホッ!!」
ルモンドさんが話している途中にのラーツェ様の頭を、真上から地面に叩きつけた。
「ル、ルモンドさん! やめてください! ラーツェ様が怪我をしてしまいます!!」
ルモンドさんはにニコリと私に微笑んだ後、片膝をついて胸に手を当てた。それだけならば薬師というよりも騎士のような仕草だが、もう片方の手はラーツェ様の頭を地面に押し付けたままだ。
「本当にユリア嬢はお優しい。まるで聖女のようですな。しかし心配はご無用でございます。こやつが見習時代はこうしてよく躾をしたものです。なあに、これでも私も薬師のはしくれ。死なない程度に回復させる加減は重々承知しておりますゆえ……」
「そ……、そうですか。まあ、お二人の日常だというのならば……」
ルモンドさんって「薬師のはしくれ」どころか、王の専属薬師である元・御典薬の司で、この国の薬組合の組合長なのよね。
そういえばラーツェ様は御典薬の司を降ろされたそうだけれど、今は誰が御典薬の司なのかしら? 適任者といえば……。
「もしかしてルモンドさんが今の御典薬の司を?」
「はい……。薬組合長との兼務になりますが」
「それは大変なお役目ですね」
「陛下が魔力栓塞の薬を素直に飲んでくれさえすれば、御典薬の司の仕事はそう大した仕事ではないのですが……。苦いから嫌だと言って……。陛下は人が好さそうに見えて、何を考えているか分からない腹黒で、とても頑固なんです」
ルモンドさんはふうっとため息をついた。
と、ルモンドさんが止める暇なく、ラーツェ様が叫んだ。
「吾輩をユリア嬢の弟子にしてくだされ!」
言い切った瞬間に、ルモンドさんの拳がラーツェ様の顔面にめり込んだ。そしてそのまま遠くへ飛んで行った。
「あ……、あの……。ルモンド様? 聞き間違いでしょうか? さっきラーツェ様が私の弟子になりたいと言ったような気がするのですが……」
「お耳汚しを、申し訳ございません。あやつは反省していないどころか、ユリア嬢に憧れ……ああ、薬師としてのユリア嬢にでございますが、弟子にして欲しいなどふざけた事を言い出しまして……。もちろん、そのたびに性根を入れ替えさせているのですが……。申し訳ない、聞かなかったことにしていただけませんか?」
ルモンドさんは、本当に申し訳なく思っているらしく、大きな体を小さくさせた。
「え……ええ。それはもちろん……」
確かに私のレシピを欲しいと思ったら、奪い取るか、弟子として継承していくかしかない。
そういえば私は『前の人生』でも弟子をとったことはなかった。レシピ目当てで弟子志願者が絶えなかったにもかかわらずだ。もしも私も師匠に弟子入りして受け継がれてきたものならば、誰かに伝授したいと思ったかもしれない。でも私は薬師の常識がなく、ルイス様のレシピを勝手に見て薬を作っていたのだ。レシピは師匠に伝えられるものという薬師の常識を知ってからばなおさらルイス様のレシピを外にもらすわけにはいかなかった。効き目が普通の薬と桁違いだったという事もあるが……。
それにそれは私が伯爵令嬢だった過去を持っていたのと、調合室は迷いの森の家にあったからだ。
今はルイス様にレシピの継承を認められたし、秘められた過去もない。住まいもはっきりとしている。そういう意味では、今の私に弟子をとらない理由はない。
でもラーツェ様を弟子に? 元御典薬の司で、公爵家の次男で、今の私よりもずっと年上の弟子? ……ないわね。
長らくお待たせしてしまって申し訳ありませんでした。
こんなにお休みしていたのに、ブクマが減っていないことに感謝しかありません。
お休みの原因(言い訳)は活動報告にてしたいと思います。