164 本物の王子様
「本当にすまないな、ユリア」
王宮へ向かう途中の馬車の中、お父様は私が王子といっしょに魔法の勉強をすることになったことを自分の力不足だと謝った。普通の貴族ならどうにかして王族とつなぎをつけたいはずなのに、お父様は反対に私を王族から離しておきたいようだ。
「実は、ユリアには話していなかったことなのだが……。我がオルシーニ家は貴族社会では評判が悪い」
……知ってます。
「その理由もだな……。こんなことを子供のユリアに言うべきかどうかは迷うのだが、知らずにいたら中傷され、傷つくかもしれない。実はお前の叔母のベアトリーチェのことだ」
お父様は、深々とため息をついた。
でもお父様。それも知っています。そして『前の人生』では知らずに学園に入学したために、悪口言われ放題でした。その悪口でべアトリーチェ叔母様がどのようなことをしたのかもすでに知っています。
ベアトリーチェ叔母様は、若い頃から目の覚めるような美人で有名だった。そして十三歳で学園に入学してからは、様々な人から求婚されたそうだ。確か王太子、宰相家の跡取り、教会でも地位の高い親を持つ子息、武芸に優れた者、学業に優れた者。花もほころぶ十六歳になるころには、それはそれは熾烈な恋のさや当てが繰り広げられたらしい。
その恋のさや当てのせいで、それぞれの実家同士まで争いが起こり治安が乱れた。そしてとうとう王太子の交代にまで問題は発展してしまい、ベアトリーチェ叔母様は学園の中退を余儀なくされて領地へ戻され、お祖父様の命によりブルーノ叔父様と結婚した。
それ以来、オルシーニ家は貴族社会のはみ出し者だ。
ちなみにお母様がもともとの婚約者から婚約を破棄された理由も、ベアトリーチェ叔母様のような風紀を乱す女がいる家とは婚姻できないということだった。
お父様は私の知っている内容を、ひどく言いづらそうに話しきった。
確かに年若い娘に聞かせるには刺激の強すぎる話だ。そして私も何故知っているかと聞かれると厄介なので、知っているとは言い出せない。
「……という訳だ。だからユリアも口さが無いことを言われることがあるかもしれない。もし言われたら……」
お父様は、できるだけ目立たないようにして身を潜めていたミーシャに鋭い視線を向けた。
「私に報告しなさい。どこの誰が、どういう風にユリアを傷付けようとしたか」
「かしこまりました!!」
お父様……、仕返しする気、満々ですね。
「でも王太子交代までさせたオルシーニ家の私を、王様もよく御典薬に迎えようとしたり、自分のお子様に近付けようとなさいますね?」
「それはあれだ。王太子交代によって、ご自分が王位についたからだ」
「なるほど……」
お父様は、声を潜める。
「王太子交代になるように仕向けたのも、今の王だという噂もあるがな」
「……」
あんなに人のよさそうで無害そうな外見をしているのに、さすが王族というべきか。
王宮のホールでお父様と別れ、私はそこで待っていた王宮女官に王子様の勉強部屋の一つに案内された。
「こちらで皆様お待ちです」
「皆様?」
「はい。第二王子であられますアレックス様と、ご学友の宰相様のご子息ターメル様、それに教皇の甥のセイリン様でござます。みなユリア様がお見えになるのをお待ちしておりました」
「魔法の授業には、皆様いつもいらっしゃるのかしら?」
王宮女官は首を振った。
「私が来るのを待っているって言ったわね……? そういうことかしら?」
王宮女官は返事もせず、ただ曖昧に微笑んでドアをノックする。
「来たか!」
中から少年たちの興奮した声が聞こえる。
……嫌な予感がする。
王宮女官は身をずらして、ドアの影から自分が出ないようにスッと開けた。
その直前に、私はミーシャを前面に押し出す。
バッシャ――ン!!
「きゃああああ!」
「やったぞ! まいったかオルシーニの悪女め!!」
少年たちが、小躍りしながらやってきた。
その先頭をきっていた少年と目が合う。
「………………お前は誰だ?」
「初めまして、アレックス殿下。ユリア・オルシーニでございます」
冷たい視線を投げかける。
考えてきた堅苦しい挨拶をする気はもうない。
私に嫌がらせをするつもりで、友達のターメル様セイリン様を呼んだのだろうから。
「お、お前、なんで濡れていない⁉」
「はあ……。私の忠臣が代わりに水を被ってくれましたから」
びしょびしょになって座り込んでいるミーシャを指させば、アレックス殿下はサルのように「ムキー!!」と地団太を踏んだ。
「侍女を身代わりにするなんて、なんて悪い奴なんだ‼」
「初対面の令嬢に水をかけるのは悪い奴ではないと?」
言い返されるとは思わなかったのだろう。アレックス殿下は「それは……」と言葉に詰まった。意外と素直なようだ。
そこへ宰相の息子タメール様が助太刀に入る。
「お前がユリア・オルシーニというのは本当か?」
「そうですが?」
「ふん。オルシーニ家の悪女といえば傾国の美女と有名だったが……」
ターメル様は「ふん」と鼻を鳴らして、もったいぶった様子で続ける。
「大したことがないではないか」
その後ろでアレックス殿下が「ブース、ブース」とベロベロバーとしながら悪態をつく。
「傾国の美女だったのは私の叔母ですから。私の母は地味ですよ。まさか宰相家のご子息ともあろう方が、私の母が傾国の美女と名高いベアトリーチェ叔母様だと勘違いなされていたんですか? 情報収集不足もいいところですわよ」
「な! 何を⁉」
「ちなみにベアトリーチェ叔母様の娘であるフランチェシカはご期待通りの美少女ですから、学園に入学したら存分におからかい下さってかまいませんよ。美少女相手にそんな真似ができるなら……」
思いだしたことがあった。『前の人生』で、平民出身でありながら膨大な魔力を持っていた美少女のフランチェシカには取り巻きがいた。それがアレックス殿下、ターメル様、セイリン様、そして私の婚約者だったエンデ様だ。最終的にフランチェシカは私から奪い取るような形でエンデ様と結ばれた。私は二人の仲を知った時に、「アレックス殿下たち、今まで何をしていたの⁉ 何でもっとがんばらなかったの」と思ったのだった。
そういえばもう一人、教皇の甥のセイリン様もいたはずだけれど……。
「お嬢さん。大丈夫ですか?」
ミーシャに手を貸していた。うん? もしかして、いい子?
「実にお美しい……。水も滴るなんとやらという言葉がありますが、そんな言葉では言い表せない程のお美しさです。どうです? このまま私と水辺のデートでも?」
口説いていた。
ミーシャは目を白黒させながらも、私に救いを求める。
ふう……。
【水操作】
私がミーシャとその周りに手をかざして、すいっと持ち上げるような動作をすると、ミーシャを濡らしていた水は持ち上がり、空中で大きな水玉になった。
私が手を左右に揺らすと、たぷんたぷんとしながら水玉も揺れ動く。
最初はポカ――ンと見ていたアレックス殿下たちも、大きな水玉が自分たちの上を行き来しているのに気付き顔を青くさせた。
「そういえば、お礼がまだでしたわね?」
ニヤッと笑えば、アレックス殿下たちはいっせいに机の下や本棚の後ろに逃げ出す。
「お、お前! 止めないと、父上に言いつけるぞ! そしたらもう王宮にこれなくなるのだぞ! いいのか⁉」
アレックス殿下がソファーの上で、頭にだけクッションをのせて叫ぶ。
「ええ、望むところです」
「何を⁉」
「魔法学の授業なんて、この通り。私には必要ないものですもの」
ヒーヒッヒと絵本に出てくる悪い魔女のような笑い声を上げれば、少年たちは「ギャーー!!」と悲鳴を上げた。
私は満足して、殿下たちが使ったのであろうバケツに水を戻す。
「帰ります」
私は踵を返した。王宮女官が引き留めたが、殿下たちに水をかけられそうになったことを知っているため、強くは出られなかった。
こうして私の王宮授業一日目が終わった。
-オルシーニ家の悪評
-本物の王子様
-授業一日目。……一日目?