163 それぞれの問題
私が王子とともに勉強する事を知った母様は卒倒した。
仕方なく私が診察する。
「脈も乱れていませんし、貧血の徴候もありません。精神的なものですわ」
「……ユリア、なんであなたがそんな事を? 学んだ事なんてないでしょうに!」
「興奮するとまた具合を悪くしますわ」
「なりたくてなったわけじゃありません!!」
「……」
私に答える気がないのに気が付いたお母様は、自分付きの侍女にお茶をいれるように言った。
「お母様。今は紅茶はお止めになって、ハーブティとか心が落ち着くものをお飲みになった方がよろしいですわ」
「紅茶が飲みたいのよ!!」
「……そうですか。では私はこれで……」
お母様は傷ついたように目を広げた。
「一緒に飲んでいかないの?」
「お母様の精神的な不調の原因は私でしょ? あまり近くにいない方がいいですわ」
「ダメよ!」
お母様は駄々っ子のように首を振った。
私はため息をつく。
「では一杯だけ……」
紅茶の準備が整うまで、私たちは無言だった。 さっさと飲んで席を立とうとしていた私をお母様は引き留める。
「ユリアは……、エンデ様の事は本当に嫌いになったの?」
「ええ」
ヨーゼフをあんな目に合わせて、謝罪の一言も言ってこない。そんな男を許せるはずがなかった。もっとも許せないのは私だけではなく、同じように怒ったお父様は、エンデ様のコロンナ家にこっぴどい仕返しをしたそうだが。
お母様は、扇で口を隠しながら、いかにも貴婦人めいたため息をつく。
「お母様は、ユリアとエンデ様を本当にお似合いだと思っていたのよ」
その言い方に、ついカチンとしてしまった。
「お似合いなら、既成事実をそそのかしてもいいんですか?」
「何の事?」
「お母様がエンデ様にした事です!」
「私が何をしたっていうの⁉」
ついつい私も感情的になる。
「私はエンデ様に襲われかけたんですよ!!」
そういうと、お母様は初めて聞いたと顔色を変えた。どうやらお父様はお母様に詳しい話をしていなかったらしい。
「そんな……。だって、私……。ユリアにだけは好きな人と一緒になってもらいたくて……」
お母様は、額に手を当てると「あっ」と呻いて気を失った。
私も何度か気を失っているが、これはお母様似だったのかと苦々しく思う。
それにしても「ユリアにだけは」とは、お母様にはお父様と結婚する前に好いた人でもいたのだろうか? 確か叔母様の素行が問題で婚約破棄されて、急遽、お祖父様の秘書をしていたお父様と結婚したはずだ。お母様は、前の婚約者を忘れられないのかしら?
こんな三文恋愛小説のような話も、他の人ならいざ知らず、自分の両親の事となるとなんとも嫌な気持ちになる。
「服を緩めて寝台に寝かせてちょうだい」
慌てふためく侍女に指示を出して、私はお母様の部屋を出た。
胸の中はモヤモヤするが、お母様の体調不良を言い訳にして王子との合同授業は一週間延期となったのは幸いだった。
◇◇◇
王子との勉強が延期になったので、空いた時間にアランの奥様の診察を兼ねたお見舞いをする事にした。
「アランさん、こんなところに住んでらしたんですね」
私のお供に付いてきたミーシャが、アランの自宅を見て目を丸くする。
アランの家は、貴族街に近い広い一軒家だった。貴族街が近いので、それなりに地価の高いところだったので、私は意外に思ったのだ。
なんでも今は一緒に暮らしていないが、奥様のご両親の持ち家なのだそうだ。アランの奥様の家は、代々オルシーニ家に仕える護衛で、勤め先であるオルシーニの王都屋敷にすぐに通えるようにと先々代の当主が居を構えさせたのだとアランが説明してくれた。
「こちらでございます」
領地では見かけなかったような洗練された家のドアをノックすると、お腹がややふっくらした女性が出てきた。
「エリス、ただいま」
アランは妻であるエリスの額に軽くキスをする。いつものアランらしくないその甘い雰囲気に、私とミーシャは絶句した。
「あなた!! お嬢様の前で何をするんですの!! ご挨拶が先でしょ!」
エリスは子供のように頬を膨らませて、アランを叱る。
「お見舞い、ありがとうございます。アランの妻、エリス・マクベイと申します」
ふわりと微笑んだ姿は、透明感のある少女のようだ。お腹に子供がいるとは思えない。パッと見たところ元気そうで、いったい何をアランは心配しているのだろうと思う。
「ユリア・オルシーニよ。妊娠中の不安な時期に、いつまでもアランをエリスさんのところから引き離していてごめんなさいね」
「いいんです。それが仕事ですもの」
誇らしげにエリスは胸を張った。
「こんなところでなんですから、中でお茶でもいかがですか?」
「ええ。いただくわ」
室内はすでにベビーベッドが設置され、編みかけの赤ちゃん用の靴下や手袋がその上に置かれていた。よだれかけには、見事な妖精の刺繍がされている。
「気が早いと思われるでしょ?」
「それだけ赤ちゃんが生まれるのを楽しみにされているんですね? 今は……?」
初めてエリスは陰りのある表情を見せた。
「八ヶ月なんです……」
「まあ……」
八ヶ月にしてはお腹の膨らみが小さいような気がする。チラリとアランを見ると、かすかに頷いた。そうか……。
「うちに来てくれる産婆さんも、もう少しエリスに食べた方がいいって言うんですが……」
「そんな。がんばっているのよ! でも食べられないものは食べられないんですもの!」
その後はしばらくアランの領地での様子などよもやま話をして、席を立った。その頃にはすっかり気が合い、エリスは私に冗談めいた事も言えるようになっていた。
「今日はありがとうございました。アランのご主人様がユリア様みたいなお可愛らしいお嬢様だっていうのは、ちょっと気が気ではないですけれど、どうぞよろしくお願いいたします」
「ふふふ。アランの目には、エリスさんしか目に入っていないようだけど」
そして「そうだ」とわざとらしく、声を上げた。
「妊婦さんにとても良いお茶が屋敷にあるのよ。よろしかったら飲んでみませんか?」
「ええ。ぜひとも」
血の滞りをなくすようなものがいいだろう。
帰りの道すがらアランに確認すると、やはり悩みはお腹の中の子供の発育があまり良くないとの事だった。産婆によると、それ以外は母体にも問題はないらしい。小さく生まれても元気に育つ子供はいっぱいいるからと言われたものの心配でたまらないそうだ。
もともとエリス自身も体がそんなに強くなかったのに、つわりの期間はほとんど食べる事ができず実家で寝たきりになっていたらしい。アランが王都に戻って来る少し前に、やっとつわりが終わったものの、食欲は元に戻らないらしい。
「産婆さんが問題ないというのならば、私からはあまり手を出さない方がいいと思うわ。でも確かに気になるわね……」
定期的に様子を見られたらいいのだけれど……。
「そうだわ! あの赤ちゃんのよだれ掛けの刺繍はエリスさんがしたのよね?」
「え? ああ、はい。エリスは手先が器用なものですから……」
「だったらちょうどいいわ。体調がいいときでいいの。刺繍の家庭教師に来てもらえないかしら?」
「家庭教師……?」
アランは首を傾げる。
「ええ。幸い、アランの家とうちの屋敷は近いし、妊婦だからと家に閉じこもるよりも外に出て体を動かした方がいいのよ」
「でも……」
「気分転換だと思ってくれればいいのよ。もちろんかかりつけの産婆さんが、ダメだというならば無理強いはしないわ」
どうするかは、二人で話してみるとの事だった。
屋敷に戻った後、以前アランに失恋していたミーシャがガクリと膝をつく。
「エリスさんみたいな素敵な人なら負けても仕方がなかったです」
そしてキッと宙を見上げる。
「でも私だけの王子様もきっとどこかにいるはず! 王子様――! どこにいるんですか――⁉」
心配しなくても、本当の王子様にすぐに会えるわ。
-母の過去?
-アランの妻、エリス
-ミーシャのフラグ
リアルで忙しく、なかなか続きを書けずにいます。
三月はこのまま不定期更新となると思います。
四月には改善できるかと思います。
本当に申し訳ありません。