161 父と娘
部屋に入ってきたお父様はさっきと同じく強面のままだったけれど、目は心配そうな光に満ちていた。
「あ……、あの。あんな風に部屋を飛び出してしまって、申し訳ありませんでした」
「いや、いいんだ。あれはアドリアーナが悪い。しかしアドリアーナがお前のことを心配していないはずがないのは分かっているだろう」
「……はい。エンデ様のことを持ち出されて、つい感情的になってしまいました」
「エンデ君か……。婚約を白紙にしたことも、アドリアーナにとっては未だに納得のいっていない事だからな……」
「納得がいっていないからって、エンデ様に『既成事実を作れ』って領地に行くようにそそのかしたのはお母様だそうですよ。やっぱり、許せません」
お父様は「既成事実」の言葉を聞いて、すっと顔色が変わった。
……うん。真剣に怒ったお父様は本当に怖い。私から「許せない」と言ったのに、お父様を見ると、「お母様を許してあげて」って言いたくなる。
「そ、そんなことよりも、今回の紫の塔収監についての報告と相談があるんですが……」
話題が変わったため、お父様の顔は耐えられる程度の強面に戻る。
「今回の紫の塔収監についてですが、私の国王暗殺未遂容疑は晴れました」
「うむ。それは聞いておる。なんでもラーツェ様がレシピ欲しさに暴走したせいだそうだな」
私達はお互いが持っている情報の交換をした。とはいっても、訳も分からずに軟禁されていたお父様にはほとんど情報はなく、与えるのは私が主だ。そして最後に……。
「お父様は『よいよいお化け』というものをご存知ですか?」
お父様の顔が再び怖くなる。
「……どうしてその名をユリアが知っておる?」
「アイゼル様が教えてくれました。詳しくはお父様に聞くようにと」
アイゼル様は修道院で仲良くなったアリーシア先輩のお父様だということまで説明すると、お父様は考え込んで髭を撫でた。
「アイゼル様は、普通ならそんな助言をしてくれるような方ではないのだが……。余程、娘に叱られるのが嫌だとみえるな」
「それで『よいよいお化け』とは……」
「予想ができておろう。王の事だ」
「やっぱり……。アイゼル様は、今回のラーツェ様の暴走を王様はご存じだったとお考えのようです」
「さもありなん。王は人の好さそうな見かけに騙されがちだが、なかなか横暴だ。アイゼル様がそういうのならば、確かに王は何もかも知っていたのだろう。いや知っていただけではなく、ラーツェが暴走するように仕組んでいたのも王だろう。ご自分の望みは『よいよい』と言いながら、何でも押し通す王だ」
「そこまで……しますか? 毛生え薬のために?」
「する! それは断言する!」
やはり男の人というのはよく分からない。
「ユリアも王の『よいよい』には気を付けるのだぞ!」
「はい」
……ん? 何か王様に『よいよい』って言われた気がする。何だっけ?
「あ! お父様、大変です!」
「何だ! 何か無理を言われたのか⁉」
「御典薬にならないか……と言われました」
お父様は両手で顔を覆い、膝から崩れ落ちた。
「あ……、あの。私はまだ十二歳ですもの。断れますわよね?」
「……尽力しよう」
お父様が頑張って断ってくれるらしい。大丈夫かしら?
「お茶でも飲みますか?」
「ああ、もらおう。ブランデーを八分目まで入れてくれ」
それ紅茶じゃないと思います。
私はベッドサイドの鐘を鳴らして侍女を呼んだ。すぐに現れたが、もちろんそれはミーシャじゃない。
ティーテーブルに移動して、そこでお茶を入れてもらう。
「ありがとう」
侍女はビクッとして目を大きく広げ、礼を一つしてから慌てて退出していった。
「何かしら? セドリックといい、さっきの侍女といい……」
「それはお前の態度が違うからだろう」
紅茶風味のブランデーを飲みながら、お父様が説明してくれた。
「お前は領地に行く少し前、そう……エンデ君と婚約したくないと言い出す前と比べると別人のようになった。思慮深く、落ち着きがあり、人に礼を尽くして、寛容な心を持った。セドリックもあの侍女も、お前の変化に驚いたのだろう」
そうか。私が人生をやり直してからここにいたのは短い間だけ。それもやり直し直後の混乱していた時期。私らしさを取り戻したのは、領地に行ってからだ。
「以前のお前が悪かったわけではない。でも視野が狭く、貴族というものをはき違えていて、生きづらくなるのではないかと心配だったのだよ」
再び紅茶風味のブランデーを口に含みながら、ポソリとお父様はうつむきながら呟いた。
お父様の心配通り、『前の人生』での私はエンデ様がいれば他に何もいらないと言いながらも、使用人に対しては横暴で、生きづらい日々だった。
ふとお父様が顔を上げる。
「そういえばお前が『相談』もあると言っていたのは何だ?」
「ああ……、そうでした。実は私は紫の塔で魔法が使える上に、この国の高度な魔道具は全て私の支配下にあります。っていったらどうしますか?」
私の意思で魔道具は動いたり、活動を止めたり、仕事の方向性を変えるのだから支配下という言葉でもいいだろう。でもちょっと言い過ぎだったかしら……と小首をかしげると、お父様がブランデーの入ったカップを床に落とした。
「あら、すぐに【浄化】魔法できれいにしますわね」
使用人の手を借りることなく、さっさと飛び散ったブランデーを浄化してきれいにする。それが終わってお父様に目をやると、さっきと同じ、カップを手に持っているかのような形のまま固まっているお父様がいた。
「お父様?」
「……」
「お父様?」
困った。スフィラもあれだけ怯えていたのだから、お父様も多少は驚くだろうとは思っていたけれど、こんなに驚くとは……。
仕方がない。正気に戻るまで、私は普通のお茶を飲んで待っていましょう。
う~ん。このお茶の淹れ方が下手なわけではないのだけど、私の好みからするとちょっと熱すぎるわね。それにちょっとだけ味が濃すぎるかしら。まあ、これはこれで十分においしいのだけれど……。ミーシャは本当に私の好みピッタリのお茶を入れてくれるのよね。
「も……、もう大丈夫だ」
「意外と正気に戻るのが早かったですね?」
「う……うむ。驚かされるのは二回目だからな」
「ああ。一回目は私が薬師だという話の時に……」
「そ、そうだ。あの時もこれほど驚くことはないだろうと思ったけれど、この話も同じくらいに驚いたぞ」
「そうでしたか……。でもこんな荒唐無稽なお話をお父様はすぐにお信じになられるのですね?」
「ユリアが言う事なら疑うわけがない」
そうだった。『前の人生』でお父様は私を勘当して修道院に入れたから、私を捨てたのかと思っていたけれど、時期を見て伯爵家に呼び戻すか、ご自分が爵位を捨てて私と共に暮らすかをしようとしていた人だった。私の話を疑うわけがないだろう。
つい顔が緩んでしまう。
「ありがとうございます」
「う、うむ。ところで何をしたら紫の塔で魔法を使えたのだ?」
「……秘密です」
お父様には『前の人生』の話もしていないのに、ルイス様の『にんしょうきー』の話なんてできるわけがない。
お父様はガックリと肩を落とした。
「でもまあ、大事がなくて何よりだった。過去にあそこに閉じ込められた者が、無理矢理魔法を使おうとして魔力切れで亡くなったこともあるのだぞ」
「魔力切れで……」
紫の塔で魔法は使えないけれど、魔力は放出できるということか。これはいいことを聞いたかもしれない。
「それと魔道具を支配下に……だったな。疑いはしないが、……すまない。理解の範囲を超えている。どういう意味なんだ?」
「……いいんです。私の範囲も超えているので。それで相談というのは、この力を正確にではないですが調査部が知ってしまった可能性が高いです。どうしたらいいでしょうか?」
「うむ……。その能力、調査部では喉から手が出るほど欲しいだろう。ちなみに、その能力を他の者に与えることは……」
『にんしょうきー』はルイス様が作った魔道具だから魔道具を支配下に置くことができたのだ。私にはできない。首を振った。
「そうか……。となると……」
お父様はブツブツと独り言を言いながら、考えに没頭し始めた。
「お父様?」
「ああ、すまない。え~と、その件についても少し考えてみよう。ユリアの身の安全が保証される最善な方法がみつかるように」
「よろしくおねがいします」
お父様はもう一口紅茶を飲もうとして、指先から先にカップがないことに気が付いた。気まずそうに、鼻の下を指でこする。
「ところで、お前は来年の春には王立学園に入学することになっておる」
「はい」
「それまでは領地で過ごしてもいいと言っておったのだが……。さすがに色々な思惑や難しい問題が重なり合い、領地で自由にさせておく事はできなくなった」
「分かっております」
「ではこのまま、このままこの屋敷で過ごすので構わないな?」
「はい」
「では領地に送るはずだった家庭教師は、こちらで使う事にしよう」
「……え? 家庭教師?」
お父様は、いったい何を言い出したのかしら?
「お前の今の学力では王立学園に入ってから、周りについていけるか不安だ。今から家庭教師に学びなさい」
そ、そういえば、『前の人生』でもお父様がそんな話をしたけれど、お母様に泣きついて止めてもらったんだったわ!
今の私の学力……。一度は学園を卒業したんだもの、少しくらいは記憶に……。ダメだわ。カケラも残っていないわ。今の私にできるのは、薬学と魔法くらい。礼儀作法も領地経営学もすっかり忘れ果てているわ。
でも、今さら机に座ってお勉強なんてできるかしら……? というか嫌でたまらないわ。
「あの……、お父様。それは入学してからでも……?」
「もしかしたら学力の方も何らかの力で上がっているのか?」
お父様は興味深そうに聞く。『前の人生』の事をお父様に話していないのだから、どこがどう変わったと説明できないのがもどかしい。お父様に話した方が……。ううん。紫の塔で魔法が使えたって話だけでもあれだけ驚いていたんだもの。話したらどうなるか分からないわ。
「……学力は上がっていません。それどころか、多分、お父様が予想するよりも低くなっているかと……」
苦しそうに答えると、お父様もガックリと頭を垂れた。
「そうか……。う~むできるだけ早く家庭教師を見つけよう」
「……はい」
-お父様、こわい(泣)
-御典薬
-今さら勉強なんてできる⁉