157 ラーツェ
冒険者ギルドからの報告書。
それはラーツェの人物調査と、ここ数か月の購入リストだ。
ラーツェという人は、ルモンドさんの弟が当主を務めるリー公爵家の次男だ。魔力も公爵家にふさわしい量があり、頭脳明晰。難点は、あのゴブリンに似たあの外見と貴族らしく腹の探り合いができない率直さ。学生時代から人嫌いで有名で、深く関わった人はいない。ただそのラーツェが深くのめりこんだ物があった。それが薬学だ。
王立学園では、学生は一つ以上の研究室に入る事が義務付けられている。数ある研究室のなかで、一番不人気で、一番人と会う機会が少なかったのが薬学の研究室だ。そこでラーツェは薬草、鉱物、獣の素材などを調合して、思いもよらぬ効果が出ることに深く興味を持った。そして卒業後に、叔父であるルモンドさんの弟子となり、魔物の素材や魔石も扱えるようになると、寝食を忘れて研究にのめりこむことも珍しくなくなった。短い期間でルモンドさんのもとでの修行を終え、一人前の薬師となると、さらに研究熱は上がり、人体実験に近いことまでやっていたそうだ。
人体実験とはいっても、結果だけを見れば成功例が圧倒的に多かったらしい。しかし多額のお金がかかる治癒魔法ではなく、治療薬を求めるのは大抵が平民だ。もし失敗があっても平民が公爵家のラーツェを訴えることはできなかっただろう。発表を見ても、どれほどの失敗があったのかははっきりとはしない。
ラーツェは御典薬として王宮で働きながら、どういった経緯であろうと平民の治療もし評判を高めた。そして数年前、ルモンドさんが御典薬の司を引退したときに、その座をラーツェが継いだのだ。
この数年間、問題はおきなかった。でもこんな研究のためには犠牲をいとわないラーツェに、国王自身が頭痛薬の量産を命じた。
つまるところ国王が瀕死になるような薬を作ったのは、ラーツェだ。
そして購入リスト。
この購入リストを見た時に、私はさすがラーツェはこの国最高峰の薬師だと思った。
薬師は自分のレシピを弟子以外の者に教えることはしない。他人のレシピを知りたかったら、その人の弟子になるか、殺して奪うかしかない。でも同じ薬効が出るかは不確かだが、研究するという方法もある。
元の薬を調べて、どんな素材がどれだけの量入っているのかを研究して再現するのだ。星の数ほどある素材の中からほんの数種類を導き出し、砂粒の十分の一の重さで量を調整していく。素材や量が違えば薬効も変わるかもしれない、地道な研究だ。
ラーツェが頭痛薬、いや毛生え薬の研究にのめりこんだであろう時期に購入されたものは、私のレシピとピタリと合っていた。ただ惜しいのは私のレシピでは、オーク虫が普通のオーク虫ではなく、オークアップルで育ったオーク虫だったということだけだ。
オークアップルで育ったオーク虫には薬効を飛躍的に高める成分が入っている。そのため、普通のオーク虫では失敗したのだろう。きっとオーク虫は間違いだと考え、その次の購入リストからは、オーク虫が抜けて別の薬効を高める効果がある素材が考えうる限り多数書かれていた。
最後の購入リストに書かれていた素材。それを見て、私はラーツェが失敗とはいえない失敗をした原因かもしれないものに気が付いた。
そしてその確信を得るために、スフィラに持っていかせた購入リストの書類の束の一番下ページのその部分に印を付けておいた。
スフィラは、あんなにビクビクしているのに、本当は優秀なのだろう。たった一日で、国王が瀕死の重体になった理由を突き止めたのだから。
「あ……あの……。ユリア様は、なんで……あの……」
「なんで原因を突き止められたか、って?」
「そ、そうです!」
そんなの決まっている。
「当てずっぽうよ」
スフィラが豆鉄砲を食らったハトみたいな顔になっている。
「あて……あて……あて?」
「そう。当てずっぽう」
「な、なんで? え? ど、どうして?」
私はため息をついた。
「あなたも気が付いているんでしょう? この紫の塔にあって私が魔法を使えることも、私の周りで魔道具がうまく働かなくなることも」
「は、は……い」
「書類だって外から持ってこれたくらいですもの、食料だって水だって簡単に持ってこれるわ」
「……」
「気がかりはなのは、オルシーニ伯爵家の扱いだけ。だけど警備の様子を聞くと、罪状の割にはそんなに厳しくないようね」
「…………」
「だとしたら、私は急いでここを出る必要もないのよ」
「………………」
「もし報告書にあったあの素材のことが関係なかったのなら、何か他の証拠がないか考えるだけだわ」
「……………………」
「最初の当てずっぽうが当たってて、本当によかったわ」
会心の笑みを浮かべると、スフィラはその場で崩れ落ちた。
「それにしても、あの素材で瀕死の状態にさせてしまうって事は、王様は……」
「そこまでにしてもらおうかのお」
「誰?」
スフィラが完全には閉じていなかった扉が、全開に開かれる。入ってきたのは、小太りで人のよさそうな顔のおじさんだ。ただ髪の毛一本ないツルっとした頭の上に、黄金に輝く王冠を載せている。
国王、その人だ! そう気が付いた私は、冷汗をかきながらカーテシー、つまり貴族の婦女子の礼のポーズをとる。
「よいよい。頭を上げよ」
「しかし陛下!」
王様を止めた人物がいた。目だけ上げて、もう一人の人物を見る。背がスラリと高く、目鼻立ちがスッキリとした王様と同じくらいの歳の人だ。
司祭? いえ、この豪華な衣装、司祭よりももっと上かしら? でもどこかで見たような……?
「よいから、よいから。オルシーニ伯爵令嬢に迷惑をかけたのは、余たちの方じゃ」
「しかし……」
私の目の前で、しばらく二人は押し問答をする。そういえばスフィラは? と目で探すと、壁際で小さく丸まって、いや跪いて震えていた。うん。気持ちは分かるわ。私だって、王様がいきなりお見えになるなんてビックリよ。
やっと王様の指示通り顔を上げられた時には、足の筋肉がプルプルしていた。カーテシーはけっこう筋肉を使う。
「今回のことは、申し訳なかったのお」
「陛下! 伯爵令嬢ごときに王が謝罪してはなりません!」
「よいよい。ここは公式の場ではない。余達の他は誰もおらぬではないか」
「陛下……」
また押し問答が続くのかと思ったけれど、今回はすぐに終わって良かったわ。
「スフィラから話しはきいた。そちも、余がラーツェに毛生え薬を作るように命じたのは気付いておろう?」
「はい。陛下」
「余はラーツェが作った毛生え薬を飲み、瀕死の重体になってしまった。ここにいるアイゼルの治癒魔法が間に合わねば死んでおったかも知れぬ。回復してすぐに、余も感情的になっておってな。ラーツェに命じたのじゃよ。『何があっても完璧な毛生え薬を作れ』と」
しょんぼりとした表情の王様。でも私は思った。そんな死にそうな目にあっても諦めないんだ……。男の人にとって、髪の毛ってそんなに大切なものなの?
「それでラーツェが少々暴走してしまったようでな……。そちを逮捕させたようじゃ」
その言い方って……もしや。
「陛下は、ご存じなかったのですか?」
「うむ、面目ない。アイゼルが教えてくれなんだら、今も知らずにおったところじゃ」
豪華な司祭服を着た人、アイゼル様がずいっと前に出る。
「私が陛下に知らせた。陛下の状態が落ち着いたので、教会に帰ったら娘が血相を変えて、そちが捕まった、どういうことかと怒鳴られた」
「娘?」
「アリーシアだ」
「アリーシア先輩!!」
国王暗殺未遂なら、きっと治癒魔法が使える人が教会から呼ばれているだろうと思って、ルーを通じてアリーシア先輩に渡した手紙がこんな風に役にたつなんて!
アイゼル様は、軽く頷いて話を続ける。
「すぐに確認したら、まことに学園にさえまだ入っておらぬような子供が紫の塔に閉じ込められておるではないか。これはどうしたことかと陛下に尋ねたが、陛下もご存知なかった。さらに調べて、ラーツェの暴走によりそちが捕らえられたのだという事がわかったのだ」
「つまりその調査部が間違えておらぬのならば、そちが毛生え薬を作った薬師ということでよいのか?」
「はい。陛下」
「ほう……。薬組合にも登録しておるとか……。優秀よのお……。御典薬にならぬか?」
「そ、それは……」
「よいよい」
「は……」
「それにしても調査部はいったいなぜラーツェの暴走が見抜けなかったのか⁉」
アイゼル様は、ガタガタ揺れる丸まったスフィラの背中を睨む。
そっか……。ラーツェの暴走だったとしても、実際に逮捕したのはスフィラたちの部署だろうから、巻き添えを食っちゃったのね。
でもスフィラの震え方、尋常じゃなくなっているから、お願いだからもう睨むのを止めてもらいたいわ。
「すまなかったのお。オルシーニ伯爵令嬢、いやユリア嬢。すぐに解放するゆえ、このこと大事にしないでほしいのじゃが……」
誤認逮捕、未成年の紫の塔収監、その他もろもろを「大事にしないでほしい」の一言で終わらせるのは難しい。でも王様がいうならば、ダメとは言いにくい。
「分かりました……」
あ、待って。これで終わりにしてもいいのかしら? このままじゃラーツェが……。
レシピが死ぬほど欲しかったくせに、取り調べでもけっして無理強いはしなかったラーツェの姿を思い浮かべた。
優秀な薬師。きっと私の代わりに国王暗殺未遂容疑を受けるのだろう。このままにしておくのは、残念過ぎる……。
「お願いがあります。この場に、ラーツェ様をお呼びいただけないでしょうか? 確認したいことがいくつがございます」
「………………よかろう」
-当てずっぽう
-小太りのおじさん
-アリーシア先輩のお父さん