154 御典薬の司
ビクビクとおびえる侍女に案内されて、紫の塔の個室に入る。ここは罪を犯した貴族を取り調べるための部屋のようだ。
執務机のような大きな机。机を挟んで向かい合う二つの椅子。それに部屋の片隅にもう一つ小さな椅子があった。
侍女が部屋の片隅にある椅子に腰をかけようとして、ガタッと大きな音を立てて転んでしまう。
「あ、あ、あの! 申し訳ありませんでした!」
すぐに飛び起きて、頭を下げる。
「いいのよ。怪我はない?」
「あ、はい……。大丈夫です……」
「そう……」
私は執務机の正面の椅子に座っていいものか分からずに立っていた。するとすぐに扉が開かれた。
「ゴブリン!?」
思わず叫んでしまったが、すぐに口に手を当てる。
ゴブリンに似ている。でもわけがない。背は低く、頭の大きさの割に体が小さい。いや、よく見ると小さいのではなく、筋肉が痩せ衰えて細いだけのようだ。額が広く突き出ていて、眼鏡をかけた大きな目はつり上がっており、鼻も口も大きいが、肌はちゃんと人間の色だし、耳も丸い。
そんな私の失言を気にする様子もなく、その男性は執務机にバサリと書類の山を置いた。椅子に座り、ジロジロと私を見る。その視線の強さに居心地悪くなった。
「貴君がユリア・オルシーニ伯爵令嬢であるか……?」
「は……はい」
「ふうむ……。オルシーニ家の令嬢はまだ若いと聞いておったが、まさかこんなに子供であったとは……」
「あの……」
「うむ。吾輩は御典薬の司をしておるラーツェである」
「御典薬の司!!」
私は慌ててスカートの裾をつかみ、片足を後ろに引いて膝をかがめる。
御典薬の司はルモンドさんも薬組合長になる前に勤めていた役職で、王を直接診察して薬を調合する薬師のことだ。ということは、ラーツェ様はこの国で最高峰の薬師の一人だということだろう。
「ご挨拶が遅れました。ラーツェ様。オルシーニ伯爵家の娘、ユリアでございます」
「うむ」
つまらなそうにラーツェはうなずき、私に執務机の真っ正面にある椅子を勧めた。そこに座れば、ラーツェ様と向き合うことになる。
「さて……。貴君に聞きたいことがあるのである」
「はい」
私はゴクリとつばを飲み込んだ。これからきっと国王暗殺未遂の取り調べが始まるはずだ。でも何でそんな罪に問われているのかも知らなくて、何を答えればいいのか……。せめて私の方から質問できれば……。
「オーク虫は普通のオーク虫じゃないのであるか?」
「へ?」
オーク虫? 何のこと?
「『へ』ではない。『へ』では。あの毛生え薬のレシピである!!」
「毛生え……薬?」
はてなんの事だろう? 私は毛生え薬なんて作った記憶はない。
「領地で『御使い』と名高いユリア嬢ではないのか!? あの毛生え薬を作ったのは!! あの毛生え薬は、オルシーニ伯爵が広めたものであるぞ!!」
「お父様が……?」
はたと思い出した。私がお父様に作って差し上げた頭痛薬のことを。三ヶ月分の追加注文を受けたが、オークアップルが足りなくて作れなかったものだ。確か副作用で髪の毛が生えて、高位貴族や王族からも垂涎の……。
「あ!!」
「思い出したであるか!?」
そうだ。確かお父様は王族からも要望があったと言っていた。ということは、私が国王暗殺未遂容疑で捕らえられたのは……。
ゴクリとつばを飲み込む。普通なら始めて会った自分よりも身分の高い方に質問なんかしてはいけない。それが取り調べなら特にだ。でも興奮したラーツェ様の様子では、まともな取り調べになるような気がしない。
「もしかして国王暗殺未遂容疑というのは、その毛生え薬が関わっているのでございますか?」
「そうである!!」
「あれは毛生え薬ではございません。私が父に頭痛薬として処方したものでございます」
「むむ!! あれは毛生え薬ではないとな! 確かにあの薬を飲むと頭がすっきりとして、肩こりが治るという話もあったが……」
「あの……。王様はどのくらい服用されたのでしょうか? そして暗殺未遂というからにはお加減が悪いのだと存じますが、どのような状態なのかを教えていただけませんか?」
「むむむ!! それはそなたの知るところではない!」
御典薬の司であるラーツェ様が診ているから大丈夫だということだろうか? だったら私が口を出すことではないかもしれない。
「して答えよ。オーク虫は普通のではないのであるか!?」
「…………どうしてそれをお知りになりたいのでございますか?」
「それは……」
ラーツェ様は、何故だか部屋の隅にいるビクビク侍女に目をやった。
そして今一度私に目を戻す。
「そんなことはどうでも良い。答えるのだ」
「お答えすることはできません」
「何故である!? 国王暗殺未遂容疑がかかっておるのだぞ!」
「私は薬師です。自分のレシピをこんな場で公開するようなマネはいたしません」
「しょせん伯爵令嬢のおままごとであろう」
「伯爵家令嬢のおままごと?」
「うむ。そうだ。さっさと白状するのである!」
私は腰に手を当てた。そこにあるはずのシャトレーヌはない。捕まってすぐに、ルーに預けたのだ。小指の先ほどのクモになったルーが自分の体よりも大きいシャトレーヌを丸呑みにしたのには驚いたが、ルーの本体がルイス様の作った魔物だということを思い出して、もう何をしても驚かないと心にきめた。
「私はレバンツで薬組合に登録いたしました」
「薬組合にであるか? ではユリア嬢には師匠がいるのであるか?」
「……いいえいません」
「なら『はぐれ薬師』ではないか。登録などできるはずがない」
「ルモンドさ……前御典薬の司で、今は薬組合長をしておられますルモンド様のご助力によりかないました」
「伯父上の!?」
ラーツェ様は顔色を変える。
たしかリー公爵家は魔力の少ないルモンドさんの代わりにルモンドさんの弟が家督を継いだはずだ。だとしたら、ラーツェ様は現在のリー公爵のご子息ということになる。御典薬の司は国王を診察するような高い地位にある役職だが、体の不調は治癒魔法で直すのが普通の貴族社会。それほどの高い爵位を持つ貴族がなりたがる役職ではない。もしかしたらラーツェ様も魔力が少ないのかしら?
ラーツェ様はビクビク侍女を向き、声を荒立てた。
「それは誠であるか!?」
「ひ、ひぃ──! わ、分かりません!! し、調べてみませんと……」「で、あるな」
ラーツェ様は、再び私をねめつける。
「登録したという証拠はあるか?」
「……どうぞレバンツの薬組合におたずね下さい」
グレテルに見せた登録薬師である証明のメダルは、名前の入っていない仮のものだ。それを見せても信用してくれるかは分からない。それよりもメダルと一緒になっているシャトレーヌをラーツェ様に見せる方がまずい気がした。あの中には私が作った様々な薬が入っているからだ。
「もう一度、ユリア嬢に聞く。オーク虫……いや、レシピを公開するつもりはないのであるか?」
「ラーツェ様も薬師であるならお分かりでしょう? 薬師がレシピを引き継ぐのは弟子にだけ」
「それ以外の場合もある。明らかに犯罪にその薬が使われた時である」
「……」
ラーツェ様が本当に知りたいのはオーク虫のことのようだ。もしかしたら頭痛薬、いえ毛生え薬はオーク虫以外の素材は研究済みということなのかしら?
無言を貫く私からラーツェ様は目をそらした。
「よろしい。レバンツに確認をとらせよう」
興味を無くしたように、ラーツェ様は机の上の書類をまとめ始めた。
「あの……一つ質問させてください。我がオルシーニ伯爵家はどうなるのですか?」
「オルシーニ伯爵家か……」
再びラーツェ様はビクビク侍女に目をやる。
何だろう。あのビクビク侍女が何を知っているっていうんだろう。それに私が登録しているかどうかをあの侍女に確認していた。あの侍女は、見かけどおりの侍女じゃないのかもしれない。
「……悪いようにはせん」
今はそれだけ聞ければ十分だ。
「さようでございますか」
ラーツェ様は部屋を出て行った。私はビクビク侍女に案内されて居室の方に移動する。罪を犯した貴族が住むに相応しく、程よく品が良く程よく質素だった。本や楽器など時間を潰せるものは一つもなく、窓際の机にレターセットだけが置かれていた。自分の罪を告白せよということなのだろう。
「あ、あの……。ご存じかもしれませんが……」
「何?」
「ひ、ひぃ──」
「なんでそんなに私におびえているの?」
「い、い、言えません──」
「そう。だったら要件をがんばって伝えて」
「は、はいぃ」
侍女が伝えたのは、紫の塔のなかでは魔法が使えない。使えるのは魔道具だけだということだった。その魔道具も、光の魔道具や空調の魔道具くらいであとは大したものはないらしい。使用人は一日三回食事と水を運びにやってきて、体を清めるためのたらいの水と布は夜に持ってくるだけなのだそうだ。貴族は自分で自分の世話をしなくてはいけないのが大変だろうけれど、我慢してほしいとのことだった。
「ええ。問題ないわ。一人暮らしには慣れているもの」
「え……? それはどういう……?」
私は思いきり人の悪い笑みを浮かべる。
「聞きたい?」
「ヒィ──!!」
侍女は悲鳴を上げながら脱兎の勢いで逃げ出した。
あー、せいせいした! あんまりおびえられているのも気分悪いのよね!
今日のお話は……
-ゴブリン薬師
-毛生え薬
-一人暮らし
さて近々新連載を始める予定です。
つきましては感想返しをしばらく中断させて下さい。
ただ感想はしっかり読ませてたいだくつもりですし、誤字報告の大歓迎です。
申し訳ありませんが、ご理解をお願いいたしますm(__)m