153 捕縛されたユリア
新章開始です。
馬車の窓から遠くに見えていただけの王都の城が、ほんの少しの時間でみるみる大きくなる。
(私がレバンツを出たのは何日前だったかしら?)
私が心の中でつぶやくと、どこからか声にならない声が頭に響く。
──五日。
その声は「前の人生」で私と一緒に森の家で暮らした魔獣のルーだ。ルーは赤の御使いであるルイス様が作ったショゴスという魔獣で、人の考えを読み自分の姿を変えられる。普段は黒い体に赤い瞳の子犬の姿でいるが、今は小指の先ほどもない小さなクモの形をして私のスカートの裾に隠れている。
(五日……)
海辺の街レバンツから王都までは、普通に旅をすれば二週間はかかるはずだ。それをたった五日で王都に着いたのは、私が国の緊急時に使うという魔道馬車に乗せられたからだ。この魔道馬車が使用されること自体が、国にとっての一大事だということの証明でもある。
(国王暗殺未遂容疑……)
私が捕らえられた容疑。これからどんな取り調べがあるのか不安でため息を吐いた。
そのとき、馬車の室内の片隅でひっそり座っていた喪服のように黒いお仕着せを着た侍女がビクリと体を震わせる。いくら容疑者の召喚とはいえ、未成年の伯爵令嬢だ。世話をする人が必要だと役人の誰かが思ったのだろう。もしくは見張りのためか……。最初の頃は、国王暗殺未遂なんていうまったく身に覚えのない罪にどうして私が疑われたのか、国王暗殺未遂とはどんな事が起こったのかをこの侍女に聞こうとしたが、「何も知らない」とただただひどく怯えていた。それからは怖がらせるだけなので、私も侍女に話しかけるのをやめた。
私は肩をすくめて、再び窓の外に目をやった。
王都をグルリと取り囲む外壁、そして外門はもう間近だ。
「あ……あの……」
侍女がビクビクしながら声をかけてきた。珍しいことだ。こんな子供でも国王暗殺未遂容疑者という大罪人が怖いのか、私にはできるだけ関わろうとしないのに。
「何かしら?」
「あ、あの……、カ、カーテンを閉めてもよろしいでしょうか?」
「カーテン?」
「はい。王都に入ったら、そうするように指示が……」
私は一つ前の季節、春の終わりまでは王都に住んでいたはずだから、王都の中の道を隠す必要はないはずだけど……。
「ええ。いいわ」
侍女はホッとしたような顔で、カーテンを閉じた。
魔道馬車は王都に入ると、走るスピードが普通の馬車と同じになった。さすがに他の馬車がいるので、この馬車だけスピードを上げられないのだろう。
そうだ、王都に入ったのなら確認しておかなくちゃ。
(ルー。オルシーニの屋敷の場所は知ってる? もし長く捕らえられるような事になったら、屋敷の様子を見てきて欲しいんだけれど)
──知っている。ユリアが幼い頃から、見てきたゆえ。
私は苦笑いを浮かべた。
(そうだったわね。ルイス様はルーを通じて私をずっと見守ってくれていたんだものね)
──是。
見守るとはいっても、私の安全の基準とルイス様の安全の基準は違うようだ。「前の人生」で私が婚約者のエンデ様に裏切られた時も、魔力を暴走させフランチェシカを傷つけた時も、勘当された修道院でひどいイジメにあっていた時も姿を現してくれなかった。どれもルイス様にとっては危険ではなかったかららしい。
でも修道院を出て下働きなんかをしながら街から街をさまよっていた時は、盗賊や魔獣を近づけないようにしてくれていたそうだ。それに北の方の街を出て迷い野垂れ死にそうな時には、ルイス様に働きかけて一般的には「迷いの森」と呼ばれる魔道の結界の中にあるルイス様の工房の一つに導いてくれたのだという。ルイス様にとっては、命が危ぶまれる状態こそが危険と判断する基準のようだ。
そのルーが私の前に現れたのは、ルイス様と同じ神の御使いの一人であるニコ……ニコラウスが面白半分でルーを捕らえて私が住んでいた森の家に投げつけた時だ。私が発見したときは、ニコにつけられた傷に加えて無理矢理結界を破らされたことで、瀕死の重傷を負っていた。それを覚えたばかりの薬で治療したことで、ルーは私と森の家に住む事になったのだ。
この話は全てルイス様に聞いたことだ。ルーは私やルイス様とは違って、「前の人生」の記憶がない。ダンやガウスと同じく……。それが少し寂しい。
──大事ないか?
ルーの心配そうな声が聞こえる。寂しさが伝わってしまったようだ。私は唇の端をなんとか持ち上げた。それだけで何故か侍女がビクッとする。
(ええ、大丈夫よ。お父様も捕らえられているのか、お母様はどうしているのかを教えてね)
──応。
お父様と私は「前の人生」では仲が良かったとは言えなかった。それは私がベタ惚れしていたエンデ様との婚約をずっと反対していたからだ。機嫌の悪いクマみたいな顔をして、言葉少ないお父様をできるだけ避けて暮らしていた。その点お母様は大好きだった。お父様の頭越しにエンデ様と婚約を結んでくれたのもお母様だ。欲しいものは何でも買ってくれた。子供に不似合いな化粧も、ドレスもアクセサリーも何でも。でも私がフランチェシカを傷つけてお父様に勘当されたときに、救って欲しいと伸ばした手をお母様は取ってくれなかった。あの時のお母様の心を閉ざしたような表情は忘れられない。
でも私は五十六歳から人生をやり直した。お父様もお母様も私の中身に比べると、ずっと若くなってしまった。
領地で会ったお父様や、婚約話が撤回になったエンデ様に既成事実を作って婚約を成立させるようにそそのかしたお母様を知り、二人への見方が変わった。お父様は不器用だけれど、愛情深い人。お母様は好きな事をなんでもさせてくれるけれど、本当に私のためを思ってしてくれるのではない人。
そんなお父様とお母様の仲も良くはない。貴族院で辣腕を振るい、お母様の妹・ベアトリーチェ叔母様のせいで地に落ちたオルシーニ家の評判を上げようと奮闘している婿養子のお父様と、社交嫌いで家に閉じこもり世間知らずなオルシーニ家跡取りのお母様。性格が合うはずもない。私の記憶でも、小さな頃からお母様がお父様にひたすらヒステリーをぶつけていた記憶しかないのだ。
それでもやはり私の家族。
私が捕らえられて、最初に気になったのはお父様とお母様の事だ。私一人ならルーが私を森の家に連れて行ってくれる。森の家なら、結界となって他に人が入ってこないから捕まる心配もないし食料もある。ほとぼりがさめるまで、森の家で引きこもっていればいいのだ。でも逃亡したらお父様とお母様にも重い責が問われるだろう。それにオルシーニ家に仕えるみんなや、領地の人たちにも。だから私は魔道馬車に乗り込み、大人しく王都まで運ばれてきたのだ。
(それにしても、みんな心配しているだろうな……)
私一人になるタイミングを見計らったように行われた逮捕は、ミーシャやヨーゼフ達にメモを残す暇さえなかった。みんなは急に私がいなくなったと思って、必死にレバンツの中を探しているに違いない。
(ルーにミーシャと連絡を取ってもらえば良かったかしら?)
そう思わなくもなかったが、捕らえられたあの時は私も混乱していたし、何よりもルーが離れるのが怖かった。これからこの王都でどういう風に取り調べされて、どういう風に扱われるのか分からないけれど、できるだけ早く知らせなくちゃ。
そんな事を考えているうちに、馬車はガタンと揺れて止まった。
「あ……、あの……。つ、着いたみたいです」
「そう。それで、ここはどこなの?」
分厚いカーテンの向こうはまだ見えない。
「え、えっと。確か、予定では紫の塔だったと思います……」
「紫の塔……。そう……」
直後に馬車の扉が開いて、薄紫の壁面が目に入った。
紫の塔は罪を犯した貴族を幽閉するための場所だ。中は貴族が住むのに相応しいように整えられているが、塔自体が巨大な魔道具で魔道具は使えるけれど魔法は使えなくなるそうだ。もちろん、私も聞いた話でしかないけれど。
もしかしたら未成年ということが考慮されて、もっと手ぬるい対応をしてもらえるかもしれないと思ったけれど、そうもいかないようだとがっかりした。
(国王暗殺未遂なんて、絶対に何かの間違いだわ。私のためにも、オルシーニ伯爵家のためにも、みんなのためにも絶対に疑いを晴らさなくちゃ!!)
今回はこんなお話でした。
王都に帰ってきたユリア
ビクビク侍女
紫の塔
(ルーと両親についても振り返り)