150 レバンツでのやり残し
「クラリッサ様、魔力栓塞の薬をここに移動させて下さい。まだここに魔力の塊があります」
「……分か……った」
クラリッサ様の額からは汗がしたたり落ちている。全身麻酔をかけたグレテルの魔力の通り道に、クラリッサ様がオーク虫の卵を素材として調合した魔力栓塞の薬を操作して動かしているのだ。
全身に張り巡らされる魔力の通り道を塞ぐ塊は、微弱な魔力を患者の体に通すことで見つけることができる。しかしクラリッサ様には魔力栓塞の薬を操作するのが精一杯で、塊の場所を見つけるのは難しいらしい。結局、ヨーゼフの時と同じく、今回もクラリッサ様と私の二人がかりで治療に当たっている。
私が指し示した場所にオーク虫の卵が到達すると、その部分だけがぽうっと青色に光る。魔力の塊が消えた!
「すべて終わりました。あとはオーク虫の卵を体内に残さないように、外に出して下さい」
「涙腺から出すんだったな?」
「そうです。ヨーゼフの時と同じです」
魔力の流れ道に卵を動かすのと同じくらい難しい操作だが、クラリッサ様はやり遂げた。後には、グレテルの頬に真珠のような乳白色の涙が一粒……。その涙は頬からつたい落ちる前に消えて無くなった。
「ふう……」
クラリッサ様は、いかにも疲れた様子で床に腰を落とした。
「大丈夫ですか?」
「ああ。私は休んでるから、グレテルを起こしてやんな」
「はい!」
グレテルの鼻の下に気付け薬の瓶を揺らす。
「ん……」
「気が付いた?」
「……ユリア……さん? あれ? 私、学校に行っていたはずなのに……」
「鴆の麻酔は楽しい夢を見させてくれるのよ。グレテルにとっての学校は楽しいところなのね」
「……夢? ああ……そうか……」
残念そうな顔をするグレテルに微笑みかける。
「大丈夫よ。あなたの病気は完治したもの。いつだって学校にいけるわよ」
「……本当に?」
「ええ」
グレテルは以前のように儚くはないが、透明感のある笑顔を浮かべた。
「あの……ありがとう」
それはグレテルの口から初めて出てきた感謝の言葉だった。「いいのよ」と言いながらも、胸が熱くなる。
「あの……一つ聞いていい?」
「何?」
「なんであそこまでワガママを言った私を見捨てなかったの?」
私はふふっと笑う。
「薬師はね、患者の言葉だけを聞いて判断するわけじゃないのよ。グレテルは口では治療を拒否するって言っていたけれど、一度だって私の診察を拒否しなかったじゃない? 本当は治りたいって思っていたからよ。そうでなければ、嫌いな相手に体を預けられないものよ」
「……そう……よね。で、でも……私、ユリアさんにひどい事を……。ごめんなさい」
「気にしてないわ。言ったでしょ。薬師はね、患者の言葉だけを聞いて判断するわけじゃないのよって」
「でも……あの……」
「グレテル、少しでも悪いと思っているなら私と友達になってくれないかしら?」
「え? 私なんかでいいの?」
「もちろんよ。だって私は貴族の間ではつまはじきにされているから、学園に入っても友達はいないんだもの。ぜひともグレテルとは友達になりたりたいわ」
「へ? なんだか、貴族とか学園とか一介の薬問屋の娘である私にはとんと関係がない言葉が聞こえた気がするんだけど……」
「ああ、そういえば……。私、本名はユリア・オルシーニ。オルシーニ伯爵家の娘よ」
「き、伯爵⁉」
「そう。それとあなたは魔力栓塞の病気は完治したけれど、魔力自体が無くなったわけじゃないから平民としては珍しいけれど学園に入学する義務があるの」
「学園⁉ 義務⁉」
「ええ。だって使い方を学ばないで魔力が暴走したら怖いでしょ? だから魔力持ちはみんな学園に入学してそこで魔法の使い方を勉強するのよ。もちろんグレテルも。来年、同級生になれるといいわね~」
学園の話や私の身分についてはいずれ分かることだが、わざわざこの場で話をしたのはグレテルに意趣返しするためだ。「薬師は患者の言葉だけを聞いて判断しない」とは言っても、腹が立つのは仕方がない。私を怒らせたら、どんな目にあうか分からせてやるわ。顔を青ざめさせているグレテルを見て、思わず高笑いしたくなる。
それももう一つ切実な問題が……。『前の人生』での学園時代には、私には誰一人として友達がいなかった。平民の言葉でいうところの「ぼっち」というやつだ。あの頃は、婚約者のエンデ様がいればいいと思っていたけれど、今またそんな状況で学園に入学するのは辛すぎる。修道院で会ったアリーシア先輩とも友達になれそうだけれど、残念ながら学年が違う。せっかくグレテルに恩を売ったのだ。今の人生では「ぼっち」は回避したい。
私はニンマリとグレテルに笑いかけた。
◇◇◇
グレテルの治療が終わったその日の午後に海辺でバカンスをすることに決めていた。残り少ないレバンツの日々。なんやかんやと働きづめだった私達がやり残したものだ。
「ねえ……ミーシャ、私、本当にこんな恰好で外に出るの?」
この街に来てから着ているこの白いワンピースだって露出が多いが、馬車の中で着替えさせられたこの水着はことさら露出が多い。胸周りとお尻周りはたっぷりとしたフリルで隠れているけれど、ツーピースなものでおへそが出ている。日焼け防止のために薄いシャツを羽織ってはいるけれど、恥ずかしくて外に出たくない。
「何言っているんですか。レバンツの思い出にみんなで海のバカンスを楽しもうって言い出したのはお嬢様じゃないですか。バカンスだったら、これくらいの水着は普通ですよ」
「でもそれならなんでミーシャはいつものメイド服みたいな格好なのよ!?」
「お嬢様でも失礼です。これは水陸両用の服なのです。速乾機能がついていて……」
「そんなこと聞いてないわ!」
「外ではダンさんやガウスさんがお待ちですよ」
「みんながいるから出づらいんじゃないの~!!」
「つべこべ言わずに、クラリッサ様を見習ってください!! クラリッサ様はとうに水着に着替えて外に出ていますよ!!」
「そんな事を言ったって……。クラリッサ様はどんな水着なの?」
馬車の窓から首を外に出して、その姿を探す。
クラリッサ様は修道女服の上半身をはだけさせて余った布を腰のところで紐でくくり、豊満な胸はどこぞの女冒険者のように黒い下着一枚で隠されているだけだ。そこへ荒くれ者のような冒険者達が通りかかった。クラリッサ様に絡む前に、ダンやガウスに知らせなくちゃと思った瞬間、冒険者達がピシッと背筋を伸ばして「姉御、押忍!」と非常に緊張した面持ちで挨拶をする。クラリッサ様は鷹揚に頷いた。その姿の様になる事……。
「……あの人、本当にレバンツで何をしていたのかしら?」
「さあ……? あ、ミードさんは遅れてくるそうなので聞いてみたらいかがですか?」
「そうね……。いえ、やめておくわ」
クラリッサ様が冒険者達に何をしたのかを知ったら、ミードさんだけでなく私も胃が痛くなりそうな気がする。それにしてもクラリッサ様に比べたら、私の水着なんて大したことがない気がしてきた。
「ルーも大丈夫だと思う?」
――問題ない。
「あ、ルイス様にはこの水着姿は知らせないでよ!」
――……諾。
なぜ返事に間があったんだろう。いぶかしい気持ちになりながらも馬車を下りると、近くにダンとガウスがいた。ダンは私の水着姿を見て、うっと後ずさる。反対にガウスは、身を乗り出して猫のように目を細めてきた。
「あら、ユリアちゃん。かわいい水着ね…….。でもその体形……」
ガウスの目は、私のかすかにしかない膨らみに注がれる。思わず手で隠してしまう。
「やっぱりユリアちゃんってお子様なのよね。普段の言動からは忘れちゃいそうだけど。あ、ごめんなさい。ユリアちゃんも大きくなれば、きっといろんなところが育つから大丈夫よ!」
うっ……。実のところ、大人になっても身長が少し伸びただけで、体形はこのままだ。ついついミーシャのメロンのような胸をうらめしく見てしまう。
それにしても、ダンは暗い顔をしたまま一向に近寄ってこない。
「ガウス、ダンはどうしたの?」
「ユリアちゃんのギャップに衝撃を受けているだけよ」
続いて「歳の差を忘れていたのかしら? 全くいい気味だわね」とガウスの独り言のようなつぶやきがあったのだが、どういう意味だかさっぱり分からなかった。
「それよりも、ヘンゼフちゃん達も来たみたいよ」
ガウスの指さした方を見れば、呑気そうな顔のヘンゼフが「ミーシャさ~ん」とブンブンと手を振った。次の瞬間、ヘンゼフの頭がスコ――ンといい音をたてて吹っ飛ぶ。
「お前の主はお嬢様じゃぞ! そんな事ではいい執事にはなれん!!」
どうやらヨーゼフが、サンダルでヘンゼフの頭を叩いたらしい。……死神の力で叩いたら、お孫さん死んじゃうわよ。でも本人は私に死神って呼ばれていたことを知られたくないようだし、見なかったフリをしないと。
「そういえばガウス。この砂浜ではオオヤシャ貝が採れるのよね?」
海では熊手のようなもので砂をさらったり、銛のようなもので砂を突いたりしている冒険者が何人か見える。
「そうなのよ。オオヤシャ貝は明日の夏祭りでたくさんの店が使うから、採取依頼がかかってるのよね。でも今の季節は、潮干狩りに最適なのは夜だもの。冒険者がバカンスを邪魔するほどじゃないわ」
「そう……。じゃあ、残り少ないレバンツを楽しんで、海辺のバカンスを始めましょう!!」
「「「おお!!」」」
この章はあと二話で終わる予定です。
おかしい……。夏の間に書き終わるはずだったのに……(~_~;)