149 グレテルの真意
私はグフタさんを従えて、グレテルの部屋の扉をバーンと開いた。
中には、私の顔を見てさっと顔をこわばらせるグレテル、そしてグレテルを支え起こすダン。それにダンと同じくらい心配そうな様子のガウスに、その兄であり主治医のアントン先生、幽鬼のようにやつれてどちらが病人だか分からないようなお母さんと、その介助をしているミーシャ、そして魔力栓塞の症状と回復した経験談をグレテルに語ったことがあるヨーゼフが勢ぞろいして待っていた。ちなみにクラリッサ様とミードさんはそれぞれの仕事に行った。
私は部屋の入り口でシャトレーヌを高々と掲げた。そのシャトレーヌには数本の薬容器と黄色の魔石、それに秤と鍋が刻印されたメダルがついていた。シャトレーヌ自体は薬師の弟子なども持つことがあるが、このメダルは弟子では持てない。このメダルこそが薬組合登録の薬師であるとの証だ。もっとも本来なら裏面に、名前や所属する支部で誰の弟子かということを、偽造防止のために魔法を使って転記させる。しかしこのメダルは、グレテルに見せるために借りてきたものなので空白だ。完成した際には
『名前:ユリア
所属:レバンツ
師匠:無し』
と刻印される予定である。
「さあ、グレテル! 約束よ! 治療を受けてもらうわよ!」
わぁっと、病人の部屋には似つかわしくない歓声に沸いた。「やったな!」「よくがんばった!」との言葉が舞う。しかしその中心にあってグレテルだけが不機嫌な面持ちである。ルーが私の腕からするっと逃げ出して、部屋の片隅で丸くなって我関せずと目を閉じた。
「さあこの薬を飲んで!」
意気揚々と藍色の薬を出した私に、グレテルはそっぽを向いて言い放つ。
「嫌よ」
「『はぐれ薬師』じゃなくなれば治療を受けるって、あなたが約束したのよ」
「……覚えてないわ」
昨夜もその話をしたのに、覚えていないはずがない
「どうしてそこまで治療を嫌がるの? 元気になりたくないの? 外を走り回ったり、学校に行ったりもできるのよ」
「学校……」
グレテルの目に動揺が走る。私がおやっと思った瞬間、グレテルはすぐに顔をそむけた。
「ユリアさんを信用できないわ。私からお兄ちゃんを奪うつもりなんでしょ?」
「そんな事はしないわ」
「嘘よ。あなたは私の代わりに妹のようにお兄ちゃんに守られたんでしょ?」
「そんな事は……」
そう言いながらも、『前の人生』ではグレテルと同じ歳だということで、ダンにはいろいろと助けられた。それこそ妹のように……。
「だからあなたに助けられたくはないわ。もしあなたに助けられたりしたら、お兄ちゃんはあなたと一緒に今度こそどこかへ行って、帰らなくなるもの。今までだって私の事を放ったらかしにしていたのに……」
「グレテル……お前はそんな風に思っていたのか……」
グレテルの病気を治す手段を探すために冒険者になったダンは、思いもよらぬ言葉に息を詰まらせた。
「お兄ちゃん。お願いよ。私が死ぬまで側にいて! 他の人のことなんか見ないで!」
パシーン!!
派手な音がした。グレテルが自分の頬を手で押さえて、信じられないという目で母親を見上げる。
「こんなに……こんなに、みんなが心配しているのが分からないの? お前が何を言おうと、手足を縛りつけて、口をこじ開けてでも治療させます!」
「お母さん! あっ……」
グレテルの母親は、その場で白目をむいて倒れこんでしまった。グフタさんとミーシャが介抱する。さすがにグレテルもいたたまれない顔をしていた。
ふうっと、みんなの注目を集めるように大きなため息をする。
「一つ……予言をしてあげるわ」
「予言?」
「ええ。グレテルが死んだら……きっとご両親も後を追うように亡くなるわ」
「!」
「グレテルの治療のために作った莫大な借金を残して……」
「借金?」
「ええ、そうよ。まさかグレテルはあなたの治療が無料だなんて思っていないでしょ?」
「だって安く薬を仕入れることができるから、お金の心配はしなくていいって……」
そこへアントン先生が一歩前に出た。
「私はグレテルの診療の為にグフタさん達から少なくない治療費を受け取っているよ」
さすがにアントン先生の診察が無料とは思っていないらしい、グレテルは神妙な顔で頷いた。
「しかし私のできることは診察だけだ。今までグレテルが使った薬はグフタさんが世界各地から取り寄せたものだ。それは高価なものだろう……」
憐みともとも感嘆ともつかない顔でアントン先生はグフタさんを見つめた。グフタさんは首を振る。
「いいんです。娘が元気になってくれるなら、いくらだって……。ただ、借金は店の商いだけでは返せない金額になっています。ダンが冒険者としての稼ぎをみんな渡してくれるからまだなんとかなっているだけで……」
グフタさんは疲れたように、ため息のような笑いをしてグレテルを見た。
「そうだな……想像もしたくない未来だが、グレテルがこのまま死んでしまうことがあったら、ユリアさんの予言の通り、借金だけを残して死んでしまうだろうな……」
グフタさんは気を失っているその妻を抱き寄せて、愛おしそうに髪を撫でる。その姿は小さく、そのまま消えてしまいそうだった。
「お父さん……、お母さん……」
いたたまれなそうなグレテルに、さらに追い打ちをかける。
「予言は続くわ。ダンは冒険者を続けて借金を返済。そしてその後は、冒険者もやめるのよ」
グレテルはきつい目を私に向けた。
「予言なんて、ただ私を脅すための作り話しでしょ! もうやめて! お兄ちゃんが冒険者をやめるなんてことは……」
しかし私の『前の人生』を聞いたダンとガウスは、困ったように頷いた。
「な……なんで? お兄ちゃんは、せっかく上級冒険者にまでなったのに……」
「冒険者になったのはお前の治療法を探すためだ。どんなつらい依頼だって、その先にはお前の治療法があると信じてやってきた」
「お兄ちゃん……」
「それに俺がユリアを妹のように扱っているとお前は思っているようだが、それは違う。俺の妹はお前だけだ」
それまでになかったほどグレテルの表情は緩んだ。
「ユリアを妹として見たことは一度もない!」
グレテルはピシリと固まる。慌てたミーシャがダンの袖を引っ張る。
「ダ、ダンさん。そ、その話を今するのはどうかと思います!」
「ん? 何かまずいのか?」
「乙女心を分かっていません!」
クルリとミーシャは私の方に体を向けた。そして人差し指を立てながら、怒った顔をする。
「お嬢様の予言も必要ありません!」
「でもミーシャ……」
「二人ともなんでグレテルさんが治療を受けたくないのか、本当のところが分かっていません! グレテルさんは元気になって、自分が何をしたいのか、何を出来るのかが分からないから怖いんです。グレテルさんにはこれからの希望を与えて上げることが必要なんです!」
「希望?」
ミーシャは神妙な顔つきになった。
「ここは私に任せてください。私とグレテルさんの二人だけにしてもらえますか? 同じ年頃の女子です。分かる話も多いはずです」
「同じ年頃というのなら、私だってグレテルと同じ歳……」
「ダメです! 特にお嬢様は!」
すぐに私達は「さあ、さあ」とミーシャに背中を押されて全員部屋の外に出されてしまった。そのまま具合の悪そうなお母さんをグフタさんが寝室へ連れて行く。私は中でどんな話しがされているのか気になって、扉に耳を当ててみた。
「聞こえる?」
ガウスがぬっと顔を近づけた。
「全然。ミーシャったら、何の話をしているのかしら?」
「きっと……あの話ね」
「え? ガウスは何を話しているか分かるの?」
ガウスは猫のように目を細める。そして人差し指を唇の前に出した。
「ユリアちゃんには、な・い・しょ」
「大丈夫よ。ミーシャちゃんならきっとうまく説得してくれると思うわ」
ガウスはその後に、「説得というか布教というか……」と謎の言葉を残した。ほどなくして扉は開いた。
「治療を受けてくれるそうです!」
一冊の本を手にしたミーシャが、やり切ったというような会心の笑みで出てくる。中にいるグレテルは、これまでに見たことがないほど血色がいい……というより顔が赤い? ベッドに横になったまま掛布団を鼻の下まで引き上げて、目をグルグルさせながら「こんな世界があったなんて……」と呟いている。
「ミーシャ、一体何を言ったの? その本は?」
「『前の人生』の話を参考に、私が書いた小説……のようなものです」
「ミーシャが小説を?」
「はい。主人公はお嬢様がモデルです! ダンさんとガウスさんも出て来る渾身の作品なんですよ」
「私が主人公? それじゃかえってグレテルの反感を買いそうなものだけれど……」
「大丈夫です。グレテルさんがこだわっているのは『妹』であって、『弟』じゃありませんから!」
「弟?」
うっとりと自分が書いたという小説を抱きしめるミーシャの姿を見て、なぜかぞぞぞっと鳥肌が立った。
「私にも見せて」
「ダメです!」
「なんでダメなのよ⁉」
「ともかくダメなものはダメなんです!!」
さっとスカートの奥に本を隠してしまった。こうなっては取り上げることもできない。
「さ、ともかくグレテルさんはやる気になったんです。さっさとお薬をあげて下さい!」
ミーシャにグレテルの前まで引っ張られた。
「薬を飲んでくれるの?」
「ええ! 私もミーシャさんみたいに、世の中の『尊い』ものをたくさん見てみたいもの」
「とうとい……?」
何を言っているんだろう? 後ろでダンが頭を抱えて、ガウスが大笑いし始めていた。
「まあいいわ。さあ、これを飲んで」
頭を支えて、藍色の薬が入ったスプーンをグレテルの唇にあてがい少しずつ傾ける。コクリコクリと喉が鳴った。
ぽうっと体が光る。ヨーゼフに作った藍色の薬にはなかった効果だ。これは森の家の魔石を使ったからだ。薬の効果を上げて、副作用を少なくしてくれる。体力のないグレテルにはちょうどいい素材だ。
「あ……」
グレテルは小さく呟くと、ふうっと胸の底から息を全て吐き出した。
「こんなに楽に息ができたのは何年ぶりだろう」
ミーシャが出てきた時とは違う健康的な顔色に戻りつつあった。
「これで症状は落ち着くわ。でも魔力の塊がなくなったわけじゃないから、一週間後にまた別の治療をするわね」
「そうすれば……」
「ええ。魔力栓塞は完治するわ」
私は薬をダンに預けた。ダンの首にはいつも通りガウスが腕を回している。
「この小瓶から一日に一回スプーン一杯を飲むのよ。一週間、忘れないでね」
「ああ……ありがとう、ユリア」
ダンが感謝からか、じっと私の目を見つめる。……長い。こんな風にダンが私を見ていたらグレテルの機嫌が悪く……なってない? グレテルはまたもや真っ赤な顔をして、私達を凝視していた。
「あ――、ところでユリアお嬢様……」
今まで影をひそめていたヨーゼフが、話しかけてきた。
「何かしら?」
「オルシーニへの帰還は、いつになさいますか?」
「え? 帰らなくちゃいけないの?」
ヨーゼフは重々しく頷く。
「オルシーニの街を離れていたのは、ユリアお嬢様の叔母であるベアトリーチェ様が『御使い』問題を教会に訴えかけ、騒ぎを大きくなさったからです。クラリッサ様とミード様のおかげで、騒ぎがおさまり、グレテル様の治療も終了すればこの街にいる理由はございません」
「……そうね」
それにグレテルの治療も終われば、ダンとガウスが私に同行する理由も無くなる。ここでお別れになってしまう。
ポンとヨーゼフが「そうだ」と、手を打った。
「一週間後といえば、夏祭りがございます。ラルのカレーですがなかなかの味に仕上がっておりますよ」
そういえばそんな話もあった。つい最近のことなのに遠い昔の話に思える。
「分かったわ。夏祭りが終わったら、オルシーニの街に帰りましょう」
なぜかダンの方を見ることができなかった。
この章は残り二話の予定ですが、もしかすると少し増えるかもしれません(^^;