146 噂の二人
帰りの馬車。御者台にいる上級冒険者二人とヘンゼフを除いて、五人と一匹が荷台で思い思いの姿勢でくつろいでいる。
「ルーちゃん。お手!」
ミーシャはよくできたと、ルーの頭をもみくちゃにしている。これはどういうことかというと、ルーの正体が姿を変えられるショゴス魔物だと説明したとたんにミーシャが恐ろし気な魔物であるルーにこう言ったのだ。
「お嬢様の従魔になったなら、お嬢様にふさわしくかわいい魔物になって下さい!」
経験豊富な冒険者でさえ、まともに相対すれば怯むような大型犬の魔物・ルーに対してである。周りは息を飲んだが、私にだけ聞こえる声でルーは『諾』と答えたかと思うと、ミーシャの思考を読んで赤い目に黒い体の普通サイズの子犬になった。丸太のような体に太い四本足、途中から垂れた耳、それとなぜか子犬なのに少しだけ目つきが悪い。その姿を見たとたんに、ミーシャは大喜びで抱っこしたり撫でまわしたり芸を教え込んだりし始めた。これは私にはできないことだった。私の中でルーは大型犬の魔物っていう固定観念があるから。柔軟な考え方は、さすがミーシャだ。
一方、ミーシャと私以外の面々は姿を変える魔物の存在に戦々恐々とした。こんな魔物が他にもいるのでは、国や街の魔物対策を根本から見直さなくてはならないということらしい。一応、野にいるショゴスはルーだけだと教えるとホッと胸をなでおろしていた。他にニコかユーフィリアに管理されたショゴスもいるそうだが、それは言わない方が良いだろう。
ともかく帰りの馬車は短い距離だというのに、くつろいだ雰囲気である。横になって眠りながらヘソの辺りをかいているヘンゼフを見て、私がヨーゼフに命じたよう何らかの術――多分催眠術――が解かれているのが分かった。ヘンゼフは執事としても冒険者としても成長は遅く、ヨーゼフにはもどかしいのかもしれない。でもヘンゼフはヘンゼフの力だけで成長するべきだ。そのためなら、私も力をいくらだって貸してあげるわ。
ルーを抱きかかえたミーシャが私の側に寄ってきた。なにやら目をキラキラさせている。
「お嬢様。森の家ではルイス様にお会いできたのですか?」
「ええ。本人ではなく、ルーが模倣した姿にルイス様の意識がつながった姿だったけれど」
「それでどんな人でしたか? やっぱりルモンドさんでしたか?」
ずずずいっと膝をつめてくる。
そういえばミーシャがそんな事を言ってたわね。私もそうかもしれないと思ってしまったために旧型ショゴスはルモンドさんの姿で現れたんだったわ。
「違うわ」
心なしかミーシャはガッカリした顔をする。
「でも……おじいちゃんなんですよね? 執事長と前の戦争の時からのお知り合いなんですから」
「歳は……そうね、六百歳位かしら? でもおじいちゃんじゃなかったわ」
「六百???」
当たり前だが、ミーシャは理解できないようだ。
「まあ、歳のことは置いといて、一番大切な事を聞きます」
「……そんな粗雑な扱いでいいの? で、何?」
「美男子でしたか?」
「…………ええ。まぁ」
恥ずかしくなって視線を斜め下に流しながら答えた。するとミーシャはなぜか、よっしゃあとガッツポーズをとる。
「それでどんな人でしたか? お嬢様の愛は深まりましたか?」
「……悪魔のような人だったわ」
「おおお!! いいんです、いいんです。女は悪い男に惹かれることもあるんです!」
何やらミーシャの鼻息が荒い。
「でも……、惹かれたとかっていうのは……」
実際に会ってみるまでは私は誰が何といってもルイス様をお慕いしていた。そう、はっきり言える。でも今は……。
「ええ⁉ じゃあ実物に会って、幻滅しちゃったんですか?」
「そ、そんなんじゃないのよ! 幻滅だなんてとんでもない!」
「それじゃどうしたんですか?」
どうなのかと問われると、今の自分の気持ちをなんて表現していいのか分からない。ただルイス様のことを思い出すと、胸の中がもやもやする。ただそのもやもやは不快じゃなくて……。本当にどうしちゃったんだろう?
「ははーん、さては……」
「何よ?」
したり顔のミーシャが生ぬるい目を私に向けた。
「いえいえ、私から言う事じゃありません。でも……お嬢様の恋は、とうとう物語から現実になったんですね」
「物語から現実?」
「ふっ、大人になったって事ですよ」
「元々は大人よ!」
「はいはい」
ミーシャの言っていること意味はよく分からないけれど、なんだか「私は全てお見通しですよ」と言わんがばかりのドヤ顔には無性に腹が立った。ミーシャは話を変えるように、壁に寄りかかったまま幸せそうに目を閉じているクラリッサ様と、死んだようにヘンゼフの隣に横たわるミードさんを指さした。
「ところでお嬢様、あの二人、どう思います?」
「あの二人?」
とても疲れていそうだ。二人して何をしていたんだろうか? ミーシャが正視できないほどゲスな顔になる。
「その……アレをいたしますと、女性の方はお肌がつやつやに、男性の方はずいぶんお疲れになるそうですよ」
「アレ?」
「もう、言わせないでくださいよ! アレって言ったら、その……男女の……」
ミーシャの声も最後の方はモニョモニョと小さくなってしまった。
「誤解だぞ」
目を閉じていたはずのクラリッサ様が口を開く。ミーシャも私もびっくりしてその場で飛び上がってしまった。
「ク、クラリッサ様! 起きていたのですか⁉」
「ああ」
よいしょっと、揺れる馬車の中を私達の方へ移動してくる。ミーシャはクラリッサ様が怒っていないと見て取ると、ずいっと身を乗り出した。
「その誤解……というのは? お二人はお付き合いされていないのですか?」
「付き合ってなんかいないさ」
「で……でも、お二人で夜をお過ごしになって、お二人とも朝は遅くて……」
「まあ、二人で協力して事に当たっていたからな。一緒に行動することも多かったさ」
「お二人で何をしていたんですか?」
クラリッサ様は私をチラリと見ると、はちみつ色の髪をかきあげて大きなため息をつく。
「教会からユリアを審問すべきだって声が上がっていたのさ」
「審問? もしかして『御使い』騒動で?」
「ああ。人間が『御使い』を名乗るなんて不敬過ぎるってな」
「そんな……私が言い出したわけではありませんのに」
第一、本当の『御使い』であるルイス様なら、私の『御使い』騒動なんて大笑いするだけだ。それを当事者でもない教会が何を審問するつもりなのかしら?
「そんなのは教会にとってはどうでもいいことなのさ。体面を傷付けられたってのが問題なんだ」
「あの……クラリッサ様。審問ってどんなことをするんですか?」
聞きなれない言葉にミーシャはコトンと首を横に倒す。
。
「まあ、分かりやすい言葉で言えば『逮捕』と同じだな。教会は独自の法と武力を持っている。それで異端者と疑われた者を逮捕して、拷問にかけ、場合によっては処刑する」
「ご、処刑!!」
青い顔をしてミーシャは私に抱きつく。
「クラリッサ様、あまりミーシャを驚かさないで下さい」
私がたしなめれば、クラリッサ様は意地悪く笑い、オーク虫の女王レジーナはチチっと鳴いた。
異端者という言葉がある。これは由利亜様を創造神として信仰する宗教しかないこの世界において、別の宗教を生み出そうとした人のことだ。その人たちは「審問」と称した拷問にかけられるらしい。しかし今回のように新しい宗教を生み出そうとしたわけではないにもかかわらず、教会に不都合な問題を起こす人もいる。その場合の審問とは、厳重注意のような意味合いだ。ただし貴族令嬢にとってはこの先、良縁に恵まれることはないだろう。
「悪かった、悪かった」
「それでどうして審問なんて話が出たんですか? いくら『御使い』だなんて領民が言ったところでただの噂。そこまで問題になる話とは思えないのですが……」
「お前の叔母のベアトリーチェが教会本部に訴えて騒ぎは大きくなったそうだ」
「叔母様が……」
ベアトリーチェ叔母様の人形のように整った顔と権力に対する野心を思い出して、つい苦虫を噛み潰したような顔になってしまった。こうやって私の伯爵家の跡継ぎの座を危うくさせるつもりなのだろう。ふと気付くとクラリッサ様も同じような顔になっている。クラリッサ様も学園に通っていた時代に叔母様と面識があったのかもしれない。
「ミードのやつは、『御使い』騒動をおさめるってお前に約束したらしいな。ところがユリアがうちの修道院にいる間に反対に騒ぎが大きくなってしまった。それで二人して王都の次に大きな教会支部があるこの街で、ユリアの審問を止めさせるように働きかけていたんだ」
「お二人がそんなことをして下さっていたなんて……。それで結果はどうなったんですか?」
クラリッサ様は落ちてきた前髪を再びかきあげた。
「昨夜、やっと話がまとまったよ。審問はなしだ」
「そ、それは……ありがとうございます」
ミーシャが「それはともかく」と、私とクラリッサ様の間に割り込んでくる。
「そんな事情なら、ミードさんがお疲れなのは分かります。でもなんでクラリッサ様はそんなにお肌が若返っちゃっているんですか?」
「ん? これか?」
クラリッサ様は自分の頬に手を当てた。
「教会幹部のじじいとばばあ相手に、若返りクリームの実演をしていたもんでな」
「若返りクリーム?」
「ああ。そうだ。ユリアの傷薬を肌に塗ったら、ぷるんとした潤いのある肌に戻ったぞ」
「傷薬にそんな効果が⁉」
またこうやって私の薬を想定外の方法で使う人がいる!!
「ああ。それで教会上層部は、自己顕示欲の塊みたいな連中だからな。少しでも見栄えがよくなるために、この薬の取り合いだ。なんとか私に取り入って薬を手に入れようとやっきになって、毎日のように山海の幸や珍味を振舞われ、温泉に連れて行ってもらえたりと……そりゃあ贅沢三昧だったぞ。もちろん酒はリンドウラ・エリクシルだ」
「それで若返りを……」
クラリッサ様はニヤリと笑う。
「もうこの薬なしでは生きていけないというところまで追い込んでから、薬を作ったのが審問しようとしていたユリアだと言ってやったのさ。教会上層部の中では、お前を捕らえてレシピを吐かせようとする派と、擁護して友好的に薬を手に入れようとする派と真っ二つに別れた。しかしミードの働きで擁護派が勝ったぞ。良かったな」
クラリッサ様は豪快に笑うが、話を聞く限りは、笑っている本人が私をさらなる危機に陥れて、ミードさんが必死に助けてくれたようにしか思えない。そしてその必死な働きの結果がこの死体のような寝姿か……。私は心の中でミードさんに手を合わせた。
「それで……傷薬は、どのくらい必要なんですか?」
賄賂として使うならある程度の量が必要だろう。
「ざっとこれくらいだ」
クラリッサ様が出してきた数字にグッと息が詰まった。重労働になるが仕方がない。護符と『にんしょうきー』のおかげでレバンツにいる間は森の家にいつでも帰れる。あそこの機材を使えば、少しは楽になるだろう。
私は承諾の意味を込めて、ため息をついた。
あと五話以内に、この章は終了予定です。
そのあとは少しお休みして、プロット作成&新作を書いて充電したいと思います(*´▽`*)