145 再会
ルーの背に乗り、あともう少しで森を抜ける。私は森の近くで待っているだろうミーシャ達になんて説明をしようかと考えていた。
――体を固定する。
「え?」
私の体は、ルーの毛に覆われた。その瞬間、大きくルーは横に飛ぶ。思わず悲鳴を上げてしまった。イヤな重力がかかり、頭がクラリとする。
と、それまでルーが走っていた場所に風切り音がしたかと思うと、ストンとすぐ近くの木の幹に矢が突き刺さった。
ルーが歯をむき出しにして唸り声を上げる。
「ルー、敵なの? ニコ? それともユーフィリア様⁉」
――否。冒険者と修道女、それに執事とメイド。
冒険者と修道女、それに執事とメイド……? それって!
「ルー、待って! その人たちは敵じゃないわ! 私の仲間よ!」
――承知。
今までも陰ながら私を見守っていたルーには仲間であるという知識があるらしい。
「それなら……」
――否。戦意がある。
再びルーは唸り声を上げた。
「私が話すわ! 体の固定を緩めて!」
ルーは少し考えたあと、私を自由にしてくれた。ただし正面を警戒したまま。私はそのルーの前に回る。
「待って! 弓を下ろして! 私よ、ユリアよ!」
両手を大きく振れば、離れたところのガウスが目を丸くしているのが見えた。慌ててダンがガウスの弓を下に向ける。二人の後ろにオルシーニの街で冒険者ギルド長ミードさんもいる。剣を鞘に納めてくれた。そして三人よりもずっと前に、心配そうな顔をしたヨーゼフ。そして四人よりもずっと遠く離れた位置にある馬車の後ろからクラリッサ様とミーシャ、そして情けない顔をしたいつものヨーゼフが顔をのぞかせている。
「この魔物は、私の従魔なの。そっちに連れて行くけれど心配しないで!」
ダンが腕で大きく丸を作る。
私はルーと並んでゆっくりと歩いた。冒険者の三人とルーの間に戦意は消えたものの、緊張までは解いていない。と、そこへ再びルーが警戒をあらわにして身を低く構えた。
「ルー?」
ルーの視線を追えば、ドタバタと手足を動かして走っているくせになかなか距離が縮まらないミーシャがいた。ルーに警戒を解くように言うと、私からもミーシャに駆け寄る。
「お、お嬢様~‼」
ひいいん、とまるで馬か子供か泣くときのような声を上げて、ミーシャが私に飛びついてきた。両手で私の顔をはさんで、潤んだ目で私の目を覗き込む。
「お嬢様、お体の調子はどうですか? お怪我はしていませんか?」
「大丈夫よ。ああ、でもちょっとお腹が減っているわね」
安心させようと微笑む。
「ご無事……なんですね?」
「ええ」
ミーシャが私の首にぎゅっと抱きつきながら、右の肩に顔をうずめた。あっという間に、私の右の肩を熱い涙がぬらしていく。私はミーシャの銀色のきれいな髪を撫でた。
「ごめんなさい」
ミーシャは私を抱きしめたまま、首を振った。
「ご無事ならいいんです。それでいいんです。謝らないで下さい」
「でも……心配かけたわ」
ミーシャは息を詰まらせ、再びひいいんと声を上げる。
「し、し、心配したんですから……。本当に心配だったんですから!」
「ええ……」
また髪を撫でた。
いつの間にか私とミーシャの周りに、みんなが集まってニヤニヤしたり、鼻の下を押さえたりしている。ルーでさえ、お座りをしながら困ったように首を傾げていた。すでに誰もが緊張を解いていた。
ふと、クラリッサ様と目が合う。何があったのか少女のようにつるつるな肌にピンク色の頬をしている。その肩に乗っているオーク虫の女王レジーナの外殻も艶やかだ。それに比べてミードさんは目の下にクマを浮かべて、疲れ切った様子である。
同じ宿に寝泊りしているというのに、二人に会うのは久しぶりだ。二人で一緒に夜遅くまで外に出ていて、帰って来るのは深夜だ。朝は私が起きる前に二人そろって出かけているか、もしくは私がアントン先生の病院に行くまで寝ている。ミーシャは二人を「お似合いのカップル」と思っているようだ。
「お二人も来て下さったんですか?」
クラリッサ様が頷く。
「ユリアが一人はぐれた、とヘンゼフ君が街まで知らせに来てくれたもんでな。急ぎ昨夜、ダン達と合流した。もちろん執事長さんも一緒に……どこへ行った? さっきまで最前列でユリアの事を心配していたのに」
ルーが「くうん」と鳴き鼻面を指した方向を見ると、どうしたら良いか分からないといった様子のヨーゼフが木の後ろから顔だけを出していた。
「ヨーゼフ! なんでそんなところに……」
言いかけて思い出す。私がヨーゼフには街に残るようにいったのだ。ルイス様の事を知っていたのに隠していたから。そしてそれを自分から話したから。
「お嬢様……。執事長はこのまま死んでしまうのではないかというくらい落ち込んでいたんですよ」
見かねたミーシャが体を離して、私の耳にささやく。
「ヨーゼフ……」
ニコの話しではヨーゼフはルイス様に説得されて私に過去を話してくれたとの事だった。ルイス様の様子を見るに、修道院での一件で私を取り巻く状況が変わってしまったのがきっかけだろう。ヨーゼフは、出来ることならルイス様と私が出会わないようにと思っていた。だから自分とルイス様との関りをずっと隠しておきたかったに違いない。でもその気持ちを抑え、私に恨まれるのを承知で話してくれた。そんなヨーゼフの葛藤も知らずに疑ってしまったなんて……。
私はルーを含めて、誰にもついてこないように言ってからヨーゼフに近づく。
「ごめんなさい、ヨーゼフ」
「ユリア……お嬢様……そんな……」
突然の私の謝罪に、ヨーゼフはおろおろとする。
「あなたの意図が分からずに、疑ってしまったわ」
「と、当然でございますじゃ。わしはユリアお嬢様に内緒事をしておったのですから」
「私の事を考えて……でしょ?」
「そ……それは……、そうですが……。わしは自分が許せなくて……」
私は意地悪く「ふふっ」と笑った。ヨーゼフはきょとんとした顔をする。
「ヨーゼフのいう通り、ルイス様は確かに『悪魔』だったわ。だってキスされたもの」
ぎょっとしたように目を見開いて、ヨーゼフはわななく。そして今まで見たことがないくらい鋭い目をして、執事服……ではなくパイナップル模様のシャツの胸ポケットに手を入れようとした。
「さて、お仕置きはお終い!」
私は下瞼を引っ張って、べ――っと舌を出す。ヨーゼフはポロリと銀のナイフを地面に落とした。
そのナイフを見て、ヨーゼフの昔のあだ名が『死神』だとルイス様に教えられたのを思い出した。今のヨーゼフとあまりにもかけ離れたそのあだ名。でもヨーゼフの口から一度もそんな話しが出てこない。という事は、きっと知られたくない過去なのだろう。私も追及するつもりはない。
「私にキスをしたのは、あのルーが模倣したルイス様のお姿なの。だからキスって言っても、本当はルイス様じゃなくてルーなのよ!」
うん、そういう事だ。確かにルイス様のお姿だし、ルイス様の意志だけど、ルイス様自身ではない。だから私がキスしたのはルーなのだ。だから、ファーストキスは守られているはず! うん、絶対にそう!
「びっくりしたでしょ? だから私に隠し事をしたヨーゼフに対するお仕置きはお終い! それよりもあなたを疑った私を許してくれる?」
「許すも何も、ユリアお嬢様がわしをお疑いになるのは当然の事ですから……」
「じゃあ許してくれるのね?」
「もちろんでございますじゃ!」
私はヨーゼフの体をぎゅっと抱きしめた。
「ありがとう」
体を離した途端に、ヨーゼフは私に背中を向ける。
「行ってくだされ、ユリアお嬢様。すぐに追いかけます」
男は何歳になっても女に涙を見られるのは嫌なようだ。私もヨーゼフに背を向けて、みんなの方を振り返った。
「みんな――、街に帰るわよ――!!」
「「「おお!」」」