144 魔力栓塞の薬
今回、説明が長くなってしまいました。
「さて、起きなくちゃ」
ベッドから起きるとすぐにベッドサイドテーブルに置かれていたシャトレーヌを手に取る。ルイス様の話では、私のシャトレーヌはもともとルイス様が弟子であるサクラのために作った魔道具だった。
「空間の魔道具か……。想像もつかないわね」
感嘆の気持ちを込めて、ため息をつくように呟く。
ルイス様には異世界に渡り、空間をつなぐ能力があるらしい。それは由利亜様がルイス様のモデルとなった恋人の「ルイ」に世界を渡り自分を助けて欲しいという強い願いから、無意識のうちにルイス様に授けた能力なのだそうだ。
ルイス様はその能力で異世界をめぐり、地球にも置き去りの神の世界にも行ったのだそうだ。地球には様々な知識や技術、アイディアはあるが魔法はなく、置き去りの神の世界には魔法も魔石もあるがそれを活かす知恵はない。ルイス様はそれらを組み合わせて、この世界で魔道具を作った。その中にはルイス様の空間をつなぐ能力を道具にしたものもある。それがこのシャトレーヌだ。ルイス様はこれと別の空間をつなぎ、エリクサーや強化薬などを出していた。
空間の魔道具なんて他では聞いたこともないものだ。きっと珍しい魔石が使われているはずなのに、どこに組み込まれているのかさっぱり分からない。ためつすがめつ眺めても気が付いたのは薬容器に「ルイス、サクラ」に続いて私の名前も刻まれていることと、黄色い魔石が銀の飾り金具でつながれていることだ。これらはルイス様の仕業だろう。
この魔石は、昨日戦ったショゴスの核だ。もともと魔石とは膨大な魔素が結晶化されているものだが、この黄色い魔石には「青の御使い」つまり魔法を人に授けたといわれる御使いであるニコが崩壊寸前にまで魔力を注いでいる。そのため魔法を使えるようにルイス様が作っていないにも関わらず、ショゴスはニコの遠隔操作で魔法を使ったのだという。そして私がそのショゴスを消したために、ニコの魔力がふんだんに残ったまま黄色い魔石がここにある。銀の飾り金具を通じてニコの魔力がシャトレーヌに充填されれば、いずれ薬を出すだけでなく別の機能も使えるようになるのだという。でもそれはまだ先の話だ。
シャラン
腰につけるとシャトレーヌの薬容器同士がぶつかって涼しげな音が響く。
――ユリア様。
「ええ。分かったわ」
シャトレーヌの置いてあったベッドサイドテーブルにはクッキーのようなものがあった。私はルーに促されてそれを口に運ぶ。これもルイス様の指示だ。
甘くてサクサクしたただのクッキー。私が『前の人生』でも初めてこの森の家に来た時に紅茶缶とお湯の出るポットの近くにあったのと同じ味。よく噛み砕いて嚥下する。
ルーの耳がピンと立った。
――『にんしょうきー』を確認した。これでシャトレーヌを含むすべての魔道具を使えるように設定された。
魔道具は複雑な機能になればなるほど使用するのに鍵――たいていこの鍵も魔道具なのだが――が設定されている。ルイス様は異世界の技術をもとに、『にんしょうきー』という鍵の魔道具を作った。食物のように体内に摂取すれば魔道具の方が鍵を解除するものらしい。
思えばこの家の魔道具、特に調合室には鍵を必要とするような複雑なものが多い。『前の人生』でもそれを使うことができたのは最初の日にクッキーのようなこの『にんしょうきー』を食べたからに違いない。その準備もルイス様の遠隔操作なのだというから理解がついていけない。ともかく……。
「さ、これで調合室も使えるようになったわね。ではグレテルの薬を作りましょう!」
寝室を出ると、台所と一緒になった居間を挟んで反対にある調合室に入った。私の後ろからドア枠に体をぶつけながらルーが調合室に入ってきて、大きな窓から入る陽だまりの下で丸くなる。記憶のないはずのルーがなぜそうするのかは分からないが、私が調合する間のルーの習慣だ。それにしても森の家にはこの三部屋しかないと私は思っていたが、ルイス様の話では地下に倉庫があるらしい。それも膨大な。試しに踵で床を蹴るが、特に変わった音はしなかった。ルーなら倉庫の入り口を知っているかもしれない。後で聞いてみよう。
私は『前の人生』でこの調合室を使っていた時に、いつルイス様が戻ってきてもいいように物の配置をできるだけ変えないように気を付けていた。そのおかげで「やり直し」をした今もどこに何があるのか手に取るように分かる。素材棚には下処理済で保存の魔道具の中に入った様々な薬草。ヨーゼフに出した藍色の薬を作った素材の上位互換種の薬草もあるし、オルシーニの街にはなかった調合用の魔石もある。これならヨーゼフよりも重い症状のグレテルも良くなりそうだ。
ふっと不安になり、私はシャトレーヌの薬容器を振って中に用意してきたものがあるかどうか確かめる。
――問題ない。必要時、使用方法のレクチャーを行う。
「そう。それなら良かったわ」
ダンの実家である薬問屋の調合室が何者かに荒らされたため、鴆の羽とクラリッサ様の従魔であるオーク虫の女王レジーナの卵を産み付けたモリウチワ草の蕾・オークアップルを、シャトレーヌの薬容器に入れて持って来ていた。
私は必要になるすべての素材と調合道具を用意して、シャトレーヌを指でシャランと掻き鳴らした。私の調合を始めるいつもの合図だ。
「さあ薬を作りましょう」
ルーは大きな欠伸をして、重ねた前脚の上に頭をのせて目を閉じた。
領地の屋敷で藍色の薬を作った時は、魔法で火加減を調整しながら長時間竈にかけた鍋をかき混ぜる必要があったからまだ初夏だったにも関わらず汗だくで、ミーシャに扇で風を送ってもらい冷たい果実水を飲みながら作業をした。でもこの森の家では、火を使うことなく熱することができる竈や、温度を一定に保つ快適な空調がある。よって汗だくになる必要もなく、快適に調合できる。ただし、かき混ぜるのだけはコツがいるため手作業でしなくてはならない。数時間かけてグルグルグルグルとしゃもじでかき混ぜる。
その間は暇なので、ルーからルイス様の話を聞いたり、『前の人生』でルーがどんなだったかの話をしたりした。
煮詰まった薬がふっと軽くなる瞬間を迎えた。急いでシャトレーヌから鴆の羽をピンセットで取り出して鍋の中の黒い液体に浸すと、さっと鴆の羽の色である藍色に色を変えた。
「できたわ」
小瓶に移し替えて完成だ。何時間もかき混ぜ続けて私の腕は悲鳴を上げていたが、満足の行く薬を作れた喜びの方が勝る。
魔力栓塞は魔力を有するが出口がないか小さい者がかかる病気だ。逃げ場のない魔力は塊となり、その通り道を塞ぎ、まるで重い心臓病のような症状を呈する。魔力は十三歳まで増え続けてピークを迎え、逃げ場のない魔力の塊も最大になる。それが魔力栓塞にかかった子供が十三歳までに亡くなる理由だ。
藍色の薬の効果は塊になった魔力を溶かし、循環するようにする。またわずかながらに魔力を外に放出する効能もあるため、苦しさはずいぶん軽減される。しかしこの薬だけではグレテルを苦しめている症状は抑えられるが根治はしない。藍色の薬の役割は、症状を抑え、次の治療が効果を発揮するための準備だ。
次の治療。それはオーク虫の卵を使った薬。
自然界では千匹に一匹程度異常行動を起こしたオーク虫は、モリウチワ草の微量の魔力に惹かれてその蕾に産卵する。そして砂のように小さなオーク虫の卵は、モリウチワ草の魔力を吸い込み、蕾を変形させてオークアップルを作る。その中で卵は幼虫に孵り、幼虫はさらに魔力を求めてオークアップルを出て行くのだ。しかし自然界にはオーク虫の幼虫などに捕食される魔力を持ったものはほとんどなく命を落とす。ところが人が魔力を与えて人工的にオークアップルを作っている場所があった。それがクラリッサ様のいる修道院だ。
人工的に魔力を与えられたオーク虫の卵は、魔力だけではなく様々な穢れを飲み込む【浄化】魔法のような能力を有する。修道院で作るリンドウラ・エリクシルは仕込みの段階では素材の毒にまみれているが、このオーク虫の作用で有益なお酒に浄化させていた。私が魔力栓塞のために作るのも、この作用を利用した薬だ。
この薬を患者の魔力の通り道に流す。するとオーク虫の卵が魔力そのものを吸い取ってくれる。十三歳になるグレテルはこれ以上魔力が増えることがないため、元気に生活できるまで魔力を吸い取り、その後オーク虫の卵を外に出せば健康体になるはずだ。
しかしこの方法にはいくつか問題がある。一つは魔力の通り道に薬を流し込み、治療が終わったら取り出すための方法だ。血管と違い魔力の通り道は目に見えて流れるものがないため、注射などでは薬を入れることができない。そのため人工的に育てたオーク虫の習性を利用する。それは魔力を与えた者の指示通りに動くことだ。オーク虫の卵にも当てはまる。修道院で樽の中の卵が動いていたのはクラリッサ様の魔力ではなく、指示によるものだ。それがオーク虫の女王レジーナに魔力を与え続けたクラリッサ様に海辺の街・レバンツまで来てもらった理由だ。
「よし!」
気合を入れるために、頬を両手でパンッと叩いた。
オークアップルをメスで切り開いて、銀の砂粒のようなオーク虫の卵を丁寧に採取していく。採取した卵を藍色の薬に漬けて時間を置く。
これは拒否反応を抑えるためだ。藍色の薬には鴆の羽が使われている。触れれば昏睡する猛毒だが、薬として使えば麻酔や免疫を抑える作用がある。オーク虫の卵での治療をする前に藍色の薬を飲んでもらうのも、症状を抑えるだけでなく免疫を抑えてこの治療を安全に行うためだ。
銀色の砂粒のようだったオーク虫の卵が徐々に藍色に染まっていく。容器に入れて街に帰る頃にはすっかり完成していることだろう。
「ルー、一緒に来る? これらの薬を使って助けたい人がいるの」
――応。
私はルーの背中に乗って、森の外を目指した。