143 従魔契約
「よく知っている天井だわ……」
目を覚ませば、二十数年間過ごした寝室の天井を見上げていた。つっと手を天井に向かって伸ばす。うん、子供の手だ。懐かしい寝室で、どんなに安心して深く眠ろうとも、私が人生をやり直したのは間違いがない。
キッと扉が軋んで開いた音がした。ここにはミーシャはいない。だとしたら、いるのは……。
「おはよう。ルー」
赤い目に黒い体の大型犬の魔物・ルーが、人間なら気まずそうといった様子でドア枠から顔をのぞかせていた。
「分かっているわ。あなたの中のルイス様がもう旅立ったのは」
申し訳なさそうに「くうう~ん」とまるで子犬のような声を出す。
私は昨夜、ルイス様と話をしながらソファーで寝てしまった。きっとルイス様は「妄想で」とか言ってニヤニヤしながらベッドまで運んでくれたに違いない。そして自身の発言通り、私が眠りに落ちたのを見届けてからこの世界を去ったのだ。
「ここに来て」
ドア枠ギリギリの大きさのルーは、体を縮こまらせながらなんとか部屋に入る。
「そっちじゃないわ。ここよ」
寝室の真ん中に座ろうとしていたルーに対して、ベッドの端を指で叩いてそこじゃないと知らせる。ルーは一瞬目を揺らすが、私の指示に従った。大きな体の割に、音もなく近づき私の指示通りベッドの上に顎をのせた。その鼻面に私が手を置くと、警戒したように体をこわばらせる。
「大丈夫よ。ルー」
鼻先から額にかけて何度も何度も撫であげる。そうしているうちにルーは目をトロンと細めて恍惚の表情になってきた。
「ルーは、ここを撫でられるのが弱いのよね?」
「くうううん?」
何で知っているとばかりに片目を開いたが、執拗に撫続けると抵抗できずに再び瞼が落ちた。
ルーの正体はショゴスというルイス様が錬金術で作った魔物だ。相手の思考を読み取りその姿と能力に擬態する。新型というルーはさらに自分で考えて、適切と思う姿に擬態することができるそうだ。そして主であるルイス様に、見たもの聞いたもの感じたもの全てを目に見えぬ回線を通じて送ることができるそうだ。反対にルーの回線と擬態能力を利用してどんなに遠くにいてもルイス様を顕現させることができるそうだ。ただし今回の顕現で力を使い果たし、しばらくは回線を結ぶこともましてや顕現する事もできないそうだ。
それにしても擬態しているだけだというのに、この本当に犬のようなうっとりとした表情はどういうことだろう?
「あなたは『前の人生』を覚えていないのよね。だからなんで私があなたを『ルー』と呼ぶのかも分からないのでしょう?」
私はピタリと手を止めた。
「でもね、私は覚えているの。あなたは私が『前の人生』で薬を作り始めたばかりの頃に、怪我をして薬草畑で倒れていたの。ルイス様の話しでは、野をさまよう私のためにルイス様にこの家に通じる道を開いてもらおうとして、ニコに捕まったそうよ。それで痛めつけられたけれど逃げ出して、この家にたどり着いたの。私は作りたての傷薬であなたの傷を癒し、体力回復ポーションを飲ませてあなたを介抱したわ。魔物であるあなたになんでそんな事をしたのか分からない。多分、一人で寂しかったからかもしれないわ。治療が終わってもあなたは私の前からいなくならなかった。それどころか頼めばどこからか狩りをして薬の素材を持ち帰ってくれたのよ。魔物は食べ物なんかいらないというのに、あなたは甘い物が好きで私が作るお菓子をよくつまみ食いしていたわ。そうそう、あなたの名前は『ルイス』様から一文字もらったのよ。あなたは私の同居人で、家族で、相棒だった……」
そこまで話した時に私の声は震えていた。ルーは心配そうに私の顔を覗き込む。
「な・の・に――!!」
残念ながら私は悲みからではなく怒りから声が震えていた。ルーの鼻面を撫で上げていた手を一気に耳に持っていき、引っ張り上げる。
「なのに、私がルーにだけ話していた妄想話を当の本人、ルイス様に教えていたってどういう事!!」
ルーは体が大きく頑丈な魔物だ。私の力で引っ張ったくらいでは大してダメージを与えらないのは分かっているけれど、どうしても仕返しをせずにはいられなかった。「きゃううう」っと悲鳴を聞いて、ひとまず溜飲を下げる。
「これくらいにしてあげるわ。今まで私を守ってくれていたっていうもの分かったし。で、も――!」
人差し指をピシッとルーの鼻先に向けた。
「これから私の許可なくルイス様に報告したら、こんなもんじゃすまないわよ!」
不満げに「くうううん」とルーが鳴く。でも私が怖い顔をし続けると、諦めたように小さく「ばう」と鳴いた。腕を開いて、「来て」と優しく言うと、おずおずとさらに距離を詰める。その首に、ぎゅっと抱きついた。
「今まで私を守ってくれてありがとう。これからは一緒にいましょうね」
ルーは承諾のつもりなのかペロリと私を舐めた。ルーは頬を舐めたつもりなのかもしれないが、大型犬の魔物の姿のペロリは頬どころか私の唇も濡らす。その感覚は昨日、唇で感じた感触とよく似ていて……。そうだわ! よく考えたら、昨夜のルイス様のキ、キ……キスも、本人ではなくルーの擬態なんだわ。だからあのキスもこのペロリも同じもの。そう気付くとなんだか拍子抜けしてしまった。
「くううん?」
「何でもないわ。それよりルー、ルイス様から提案があったのは知っているわね?」
「ばう!」
ルイス様が中にいる時には、ルーは外から眺めているようにその行動を見聞きしているそうだ。だからルイス様が私に何を提案したのかは、ルーは知っているはずだ。
「心の準備はいい?」
「ばう!」
「じゃあ、いくわよ」
昨夜ルイス様の提案を聞いてから考えておいた言葉を呟く。
『我、汝と共に歩くものなり
我、汝と友誼を結ばん
死が別つまで』
「ルー、私の従魔になって!」
とたんに頭の中に声が響いた。
――『応』
「ルー? 今のはもしかして、ルーの声?」
――左様でございます。ユリア様。
渋い年配の男性のような声だった。
「ルー、ルー。私の従魔になってくれたのね! これでやっとあなたと話しができるわ!」
クラリッサ様とオーク虫の女王レジーナのように長い時を共にいるうちにいつの間にか従魔化していることもあるが、大抵は人間が魔物に承諾もしくは服従させて従魔契約を結ぶ。道具のように従魔を使う人もいれば、アリーシア先輩のように従魔を頼りにしている人もいる。でも私がルーに求めるのは友情だ。だからこの言葉にした。その私の気持ちに、ルーが応じて従魔になることを承諾してくれたのだ。
ルーが私の従魔になるというのは、昨夜私が寝付く前にルイス様と決めたことだった。ルイス様とは正反対の目的を持つ教会の真の長であるユーフィリア様が私を敵と見定め、何を考えているか分からないニコもいる。
ルイス様によると御使いである他の二人の目を集めてしまったのは私の死がきっかけになって「やり直し」が始まったせいだという。その原因や目的についてはまだ調査中だということでルイス様には教えてはもらえなかった。しかし私が死んだらまた「やり直し」になるというのは、ユーフィリア様にとって都合がいいとも悪いともいえるそうだ。きっかけがあるまでは動こうとしないだろう。それとは反対にニコは何を考えているか分からない分、危険なのだ。
そんな危険な状況の中、ルーが従魔になれば公式の場でも学園ででも共にいて身を守ってもらうことができる。それにいざというときに、回線を結んでルイス様に連絡することもできるだろう。
「さっきの約束、忘れないでね。ルイス様に何か報告する時は私の許可を得てからよ!」
――御意。
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