141 錬金術師
「『錬金術師』……?」
私は聞きなれない言葉に首を傾げる。
「この世界にはない言葉だ」
「『この世界』?」
「ああ。世界はいくつもある。いわゆる異世界というものだ」
異世界……それなら物語で読んだことがある。でもそんなものが本当に?
「ある」
ルイス様は力強く頷いた。
「もしかして、本当のルイス様も『異世界』にいらっしゃるのですか?」
このルイス様は、本物のルイス様ではない。私がルーと呼ぶ魔物の体を借りて顕現したものなのだ。本物のルイス様はどこかにいるはずだ。
「いいや。異世界ではない。かといってこの世界でもないところだ」
「そこはどういう……?」
「説明が難しい。今は『錬金術』の話をしよう」
「あ、はい。話を脱線させてしまい申し訳ありませんでした」
ルイス様は鷹揚にうなずく。
「『錬金術』とは無から金を作り出す技術の事だ」
「そんなことが本当にできるのですか?」
「いいや。できない。できないからこそ異世界の先人たちはありとあらゆる科学を研究してきた。そこから発展したのが薬学を含む医学、理学、工学、農水産学だ。俺はその知識を持ち帰り、この世界の魔石と技術を組み合わせることに成功した。それが魔道具だ」
まるで芝居をしているように、ルイス様は両腕を大きく開いた。
この森の家は魔道具で満ち溢れている。蛇口をひねれば、水源も熱源もないのにお湯が出て来る。火をくべなくても調理できるコンロもあれば、部屋の温度を一定に保つ魔道具もある。貴族の館でもなかなか見ることのできないような代物だ。
ルイス様が『御使い』、それもあらゆる技術を人間にもたらしたと言われている『赤の御使い』なのだとしたら……。
「この家の魔道具は、もしやルイス様がおつくりになったのですか?」
「いいや、これらのほとんどは東の島国で作られたものだよ。かれらは魔力を持つ者はほとんどいないが、技術を応用して新しいものを作るのが得意でね。異世界の生活の様子をヒントに与えると、想像を膨らませておもしろいものを続々と作り出す。ここにある生活のための魔道具は俺には必要ないものだが、お前にはずいぶん役に立ったようだな」
普通なら女が森の中で一人暮らしなんてできるものではない。なぜなら、井戸や川から水をくみ上げて運ぶ、食事の材料を見つけて調理をする作業は一人では一日あっても足りないからだ。ルイス様の魔道具があったからこそ、この森で一人……とルーで暮らすことができた。
「はい。本当にありがとうございました」
「ほう、素直だな」
「ルイス様には感謝しても感謝しきれませんから」
私は今までの想いを伝えるのが今だと思った。私はルイス様が押しとどめようとするのも構わず立ち上がった。
「ルイス様……。『前の人生』で、私は勝手にこの家に忍び込み、住み着いてしまいました。そしてルイス様の魔道具を使って生活し、貯蔵していた食品を食べ、ルイス様のレシピを盗んでしまいました。本当に、申し訳ありません」
深く膝を曲げ、頭を低くして貴族令嬢らしく謝罪の意を込めたカーテシーをする。特にレシピを盗む。これが薬師にとってどんなに重罪か……。錬金術師であったとしても同じことだろう。
「構わん! もとよりアレ……お前がルーと呼ぶショゴスが、この家への道を開くように要請し、許可したのは俺だ。でなければ、人間ふぜいが迷いの結界がある森を通ってこの家にたどり着くこともできない。それにニコが操るショゴスは俺が作ったからこの森は抜けられたが、家に入る事もできなかった。お前がこの家に住み始めたのも、俺が意図した事だ。気に病む必要はない」
そうだった、あの黄色い魔石を抱えた魔物は家の中に入る事はできなかったから、護符を持つ私にドアを開けさせようとしたんだった。
「頭を上げろ。そしてソファーに座れ。もうそろそろエリクサーの副作用で眠くなるはずだ」
「眠くなんてありませんわ」
エリクサーを飲んだ直後の高揚感は落ち着き、気持ちの良い倦怠感が湧きあがっていた。でもこのまま寝てしまったら、起きた時にはルイス様はいなくなっているに違いない。そう思うと、眠るのが怖かった。
「いいから、座れ」
ぐいっと体を引っ張られ、視界が回転したかと思うと、ソファーに座るルイス様の膝に私は座らされていた。どうしてこうなった?
「確かこれもお前の妄想に……」
「もう、そのネタは止めてください!」
私は弾けるように飛び上がりソファーの端っこに座り直した。しかし小さな森の家の中にあるソファーは、それほど大きいとはいえず……。
ゴロン。
「な、な、何をするんですか!!」
ルイス様の頭が私の膝に乗っていた。至近距離から、真紅の瞳が私を射抜く。
「俺も疲れた。からかうのは止めるから、動くな」
「そ……そんな事を言っても……」
ルイス様を膝枕するのも、しっかりとルーに語った妄想に入っていたはずだ。絶対にルイス様は意識してやっているはずなのに、そんな風に言われたらダメだとは言いにくい。
ふうっと大きなため息をつくと、真紅の瞳はまぶたで隠れた。
「森を抜け、家に入ったのは俺がそれを望んだからだ。そしてお前は俺のレシピを盗んだと思っているようだが、それも違う。俺はお前が薬師になることを願っていた」
ダンという小僧が関わったのは計算外だったがな、と小声で吐き出したのはあえて無視をした。そこを突っ込むとやぶ蛇になりそうだ。
「実際、ルーを通じて手助けをしていたつもりだ」
手助け? はたと気付く。
「あ……もしかして、作り方が分からなくて悩んでいた時に、ルーが本棚をひっくり返して偶然にも資料が見つかったのは?」
「ああ、そんなこともあったな」
「危険な素材に気付かないで調合しようとして、ルーがその素材を踏み潰したのも?」
「あの時は焦ったぞ」
「私が過労で倒れたはずなのに、次の日の朝にはすっかり回復していたのは?」
「地下の保管庫にあるエリクサーを飲ませた」
「ええ! 地下に保管庫があるのですか?」
私はこの家に二十数年住んでいたけれど、そんなものがあるとはさっぱり気が付かなかった。
「ああ。そこには俺が作った薬や魔道具が保管されている。こんなちっぽけな家とは比べ物にならないくらい広いぞ。とはいっても、半分はガラクタで埋まっているがな」
ルイス様はケタケタと笑いだした。
「あの……危険なものは?」
エリクサーならともかく、ニコに操られていたようなショゴスをつくった人だ。安全なものばかりがあるとは限らない。
ルイス様は返事をせずに、ニコリと笑った。……何も気付かなかった事にしよう。
「それにしてもルイス様が私に薬師になって欲しかったのはなぜですか?」
「多分……それが俺の求めるものを得るのに一番可能性が高いからだ」
「ルイス様が求めるものって、なんですか? 私に何を期待しているんですか?」
「それは……」
ルイス様は薄目を開けて遠くを見つめる。
「俺の目的は……『死ぬ方法』を見つけることだ」
思いもよらない言葉に、心臓がびくりと飛び跳ねる。
「ダ、ダメです! そんな! 自殺なんて、ダメです!」
思わずルイス様の頬に両手を押し付ければ、ルイス様の真紅の瞳が驚いたように揺れた。
「俺が死ぬのはイヤか?」
「あたりまえじゃないですか! 命はかけがえのない大切なものなんです!」
ルイス様は私の手を自分の頬から外して、ゆっくりと口をつけた。
「な、なにをするんですか!!」
力いっぱい手を引き抜く。口を付けられた掌が熱く、そこだけ脈動しているようだ。
「お前は……かわいいな」
私の浮ついた心も、ルイス様の泣きそうな顔を見ると、水をかぶったように冷静になった。
「最初から話してやろう。俺の……俺達の話を……」
それは創世の神と呼ばれた異世界の少女『由利亜』の悲しい、悲しい物語だった……。
由利亜は地球という世界で生まれ育った少女だったが、十二歳の時に魔王を倒すために異世界召喚される。その際、その世界の神は『創造』の能力を授け、魔王を倒せば元の世界の元の時間に戻してくれると約束をした。
魔王を倒す旅には、その世界の勇者である三人が由利亜に付き従った。戦士であり治癒魔法の使い手、魔法を操る者、そして錬金術師。五年もの歳月をかけて困難の末に、魔王を打ち果たすことができた。その時、神は地球に戻すとの約束を果たすために現れる。しかし、その頃には旅の仲間の一人と恋仲になっていた由利亜はこの世界に留まりたいと願ったが、神は却下し約束通り元の世界元の時間に戻す……はずだった。
異世界の神が連れて来たのは、元の世界、元の時間ではなく、何もない暗闇。由利亜が神の依頼により魔王を倒すために費やした時間は、元の世界の中では瞬き一つの時間でしかないはずだった。ところが、その瞬き一つの時間に由利亜の心臓は止まっていた。つまり、死んだそうだ。死とはいっても、瞬き一つでは魂が体から離れきっていない。いわゆる仮死状態となった。
元の世界に帰れないなら、恋人のいる世界に返して欲しいと由利亜は神に願ったが、神は「自分の世界に異物はいらない」と、由利亜を暗闇に置き去りにしたまま消えた。
幸い彼女には『創造』の能力が残ったままだった。彼女は無意識に仲間たちの名前を呼び、暗闇に世界と三人の仲間を創造する。
「……」
修道院で見た夢をはっきりと思い出した。あの身を引き裂かれるような叫び、そして畏怖を覚えた世界ができる光景。
「ユリア……。お前は、この世界ができてから何年たつか知っているか?」
「え? さあ……。確か二千年前には文明があったと勉強しましたが」
「六百年だ」
「え?」
「この世界ができてからたった六百年しかたっていない」
「そんなに短いんですか?」
「ああ。若いんだよ、この世界は。しかし、一人の普通の少女が生きるには長すぎる年数だ」
しばらくルイス様は何かを耐えるように口をつぐむ。そして深いため息をついて再び話し始めた。
「世界には最初から人間が家族を作り、村や町を作り、国を作り生活をしていた。由利亜にとっては世界とはそういうものだからだ。元になったのは由利亜の生まれ育った世界と、置き去りの神の異世界。その新しい世界を由利亜と俺達三人……ニコラウスとユーフィリアと俺は旅をした。最初の頃は由利亜も張り切って、困っている人を助けたり、魔物を倒したりしていた。その辺りの話しは教会がまとめているだろう?」
私は頷いた。教会の聖典、美しいステンドグラス、子供に配る絵本。どれをとっても神とその御使いの話しに満ち溢れている。
「その時、俺達は気が付かなかった。由利亜が世界を創造したことを忘れて、俺達を本物だと思い込んでいたなんて」
「本物?」
「置き去りの神の世界で旅をした仲間たちの事だ。俺達はその三人をモデルにして由利亜に創造された。だが同じではない。長い間旅をするうちに由利亜の中に、少しずつズレが生じたんだ。何かが違う……てな。それに由利亜は自分で忘れていようとも創造神だ。そしてその創造神といつまでも一緒にいるようにと創造された俺達も不老不死だ。人間のフリをして街で生活しても、いつの間にか周りだけが歳をとり俺達は変わらない。心を許せる友達もできるはずもない。そして二百年も経つ頃には由利亜の心は病み、自分の殻に完全に閉じこもってしまった」
「……」
心のバランスをとるために創造した世界と仲間。なのにそれを忘れて本物と思い込み、でもどこかで気付く違和感……。そしてその違和感はどんどん積み重なっていく。
きっと気にせずに適応する人もいるだろう。でも由利亜はそうじゃなかった。
「それから俺達は由利亜のために奔走した。ユーフィリアは由利亜を守るために教会という囲いをつくり、ニコラウスはありとあらゆる楽しいものを用意した。そして俺は……」
ルイス様は体を起こした。そして後悔しているかのように両手で顔を覆った。
「俺は由利亜の望み『死にたい』という希望を叶える薬を作ろうとした」
「それがルイス様の求める『死ぬ方法』……」
「ああ。人間は不老不死を求めるが、そんなものになっても魂がもたないんだ。細く長く引き延ばされた魂は、ささいなことで傷つきビリビリに裂けてしまう。六百年というのは、魂を癒して何度も生まれ変わってもいいほどの長い時間だ。そして由利亜は神である以上、さらに長く果てしない時間を生き続けなくてはならない。苦しみの中で……。少しでも楽になればと、忘却薬を与える俺に、何度となく由利亜はすがりついて涙を流した。希望も何もない、絶望で真っ黒に染まった目で……」
ルイス様の視線が私を射抜いた。
「俺が探しているのは『死ぬ方法』なんていうもんじゃない、『神殺しの方法』だ。そしてお前だけが唯一の手掛かりだ」
体調不良により更新が遅れましたこと、お詫びいたします。
季節の変わり目、どうぞ皆様もご自愛下さい。