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薬師令嬢のやり直し  作者: 宮城野うさぎ
海辺の街・レバンツ編
160/207

139 悪魔

 ルーの体は漆黒の炎に包まれていた。そのの炎は一瞬ぶわっと大きく膨らんだかかと思うと、密度を濃くして小さく集結する。


「ルー? ルイス様?」


 もうそこには大型犬の魔物はいない。いたのは、ルーと同じ色の漆黒のマントを羽織り、フードを深く被って顔を隠しながら片膝を立てて背を丸めて座っている男性の姿だった。

 男性は私に背を向けたまま立ち上がった。ふわりと風が吹き、フードが外れる。見上げる程背が高い。一番背の高いガウスよりもさらに。真下から見る私の目に映るのは、鉄色の髪とルーよりもさらに深い真紅の瞳、そして高い鼻に人をくったかのような笑みを浮かべた唇だ。

 こ……この人がルイス様……?


「あ……あなたは? 本当にルイス様ですか?」


 男性がニヤリと笑う。


「そいつは後だ。今は、アレが先だ!」


 男性は化け物を指さした。


「お前のシャトレーヌをよこせ」

「私のシャトレーヌにはあの化け物をどうにかできるような薬は何もありませんが……」


 口ではそう言いながらも、私はフックにかかった鎖につながられた薬容器であるシャトレーヌをベルトごとルイス様に渡した。


「これが魔道具だというのは聞いているか?」

「は……はい。修道院で聞きましたが、どんな機能なのかは分からないと……」

「教えてやる」


 私の渡したシャトレーヌを腰に下げたルイス様は、一つの薬容器の蓋を指先でポンと開けると手品のように、四つのカプセルを指と指の間に一つずつ挟んでいた。それはスライムを倒した時に手に入れれられるスラ玉の皮を加工したカプセルだ。それぞれ別の色を放っている。


「私がそんな薬をシャトレーヌに入れたことはありま……」

「これは俺が作った薬だ」


 私の言葉をルイス様がかぶせる。


「ル……ルイス様が? でもそんな薬は今までそのシャトレーヌには……」


 携帯用の薬容器であるシャトレーヌには、カプセル薬であれ隠して置ける隙間などない。


「ああ。このシャトレーヌは俺が弟子にやったもので、決まった場所にある自分が作った薬を取り出すことができる。この魔道具の機能は【収納】だ」

「そんな機能の魔道具があるのですか⁉」

「ああ。俺に作れないものはない」

「ル、ルイス様がお作りになったのですか!?」


 ルイス様は薬師のはずなのに、魔道具まで作れるなんてどういうことなのかしら? そんな話をしている最中にも化け物はゆっくりと薬草畑をつっきり、こちらに近寄ってくる。


「魔法は使えるな?」

「は……はい!」

「魔法を使って、俺が投げる薬をショゴスの口へ放り込め!」

「は、はい!」


 ルイス様の人差し指と中指の間には緑の溶液が入ったカプセル薬がつままれていた。シャトレーヌがどんな魔道具かはよく分からないけれど、ルイス様が作った薬ならあんな化け物なんてどうにでも出来るはず! 私は一も二もなく魔力を高めて備えた。


「まずはこいつだ!」


 ルイス様は振りかぶり、ザシュッと床を蹴って緑のカプセルを化け物に投げつける。私は慌ててそのカプセルの周りに【風操作】の魔法をかけた。魔法(・・)で防がれたらどうしようかと思ったが、なんなくいくつもあるショゴスの口の一つに放り込む事ができた。

 その薬が体内に入ったとたんに、弱まるどころか化け物の体がグン、ググンと膨らみ体積を増していく。体の前面に現れる目玉は数を増し、手は絡み合うようにまとまり巨大な手が八本にまとまった。そして体の前が縦に裂け中からギザギザした歯と数千匹のミミズのような舌がうごめく口となった。


「きゃああああああ!!」


 あまりのおぞましさに悲鳴を上げる。しかしルイス様は平気な顔だ。それどころか「おもしろい」とつぶやく声さえ聞こえる。


「さ、さっきのは何の薬なのですか? あれじゃまるで……」

「強化薬だ」

「いったい何でそんな⁉」

「俺が作ったとはいえ、ショゴスは数が少ない。せっかくだからデータを採りたくてな」

「何をバカな事を!!」

「そんなにのんびりしていてもいいのか?」


 ルイス様が指さした化け物の口からは、巨大な火の玉が浮かび上がっていた。


「【火球】の魔法!!」


 さっきは【氷礫】の魔法を使っていたのだ。【火球】だって使えるだろう。私とルイス様に【防護】の魔法を使う。これなら【火球】くらい防げるはず‼

 ところがショゴスは【火球】にさら魔力を注ぎこんだ。


「あれは……まさか【煉獄】⁉」


 お祖父様が得意としていたという【煉獄】は【火球】とは比べものにならないくらい高熱で範囲も広い。私の拙い【防護】では守り切れないかもしれない!

 火の粉が飛び散り、熱と光が私たちを舐め上げる。無理だ、あれではいくら私が【防護】の魔法をかけようとも助からない!

 終わりだ。終わりだ。あんな【煉獄】を受けたら、私もルイス様も森の家も消炭になってしまう。


「落ち着け、ユリア」


 私はルイス様を見上げる。こんな場面だというのに、涼しい顔をしている。思わずカッとしてルイス様の分厚いマントの襟首をつかみ引き寄せる。


「『落ち着け』ってどの口が言うの? あなたが強化薬なんて与えなければあんな風にはならなかったんでしょ⁉」


 肉食獣の放つ強い光を持った真紅の瞳が、獲物を見つけた時のように細められる。


「あいつをあんなにしたのはユリアだ」

「わ、私?」

「思い出せ。ショゴスは人の思考を読み取り擬態する能力がある。お前がルモンドとかって奴だと思ったから、アレはあの姿になったんだろう?」

「見ていたの?」

「この結界の中のことは見なくても分かる」

「結界?」

「それは後だ。お前はヤツが魔法を使えると思っているな」

「だってさっき【氷礫】の魔法で攻撃されたし……。あ……もしかして私が薬を飲ませる時に『魔法で防がれたら』なんて思ったせいで?」

「そうだ。【氷礫】はニコが自分の魔力を使って遠隔操作したのだろう。そのせいでお前はショゴスが魔法を使えると刷り込まれたのだ。しかしショゴスに魔法を使う能力はない」

「魔法を使う能力がない? ではアレは!? あの【煉獄】は⁉」


 熱風と火の粉が飛んでくる。火の粉は森の家のテラスに落ちて、黒い焦げ目を作った。


「お前の思い込みだ。お前が『ない』と思えば消える」


 私は化け物を見る。【煉獄】はさらに大きさを増した。目を開けていられないような熱さ。それを作り出したのが私だとは到底思えなかった。

 高温のせいでひりつく口を舌で舐めるが、一向に痛みはおさまらない。


「む、無理だわ。あれが思い込みだなんて思えないわ」

「思い込みでも、あれを食らえばお前は死ぬぞ」


 本当かどうかは分からないが、火傷をしたと催眠術で思い込ませると、何もしていないのに本当に火傷をすることがあるそうだ。


「分かってるわ! 私だけじゃなく、あなただって死ぬのよ。どうにかしなくちゃ」


 ふいにルイス様がキョトンとした顔をする。そしてこんな場面だというのに噴き出した。


「な、何がおかしいのよ!」


 それでもルイス様は笑い続ける。その間に化け物の【煉獄】は完成しようとしていた。


「すまん。ずいぶん久しぶりな事を言われたんでな。それにこんなに笑ったのも久しぶりだ」


 どれ、手助けしてやろう。とルイス様が言うと、私の体はすくい上げられた。そのままどこかに救い出してくれるのかと思いきや……。


「!!!」


 唇に暖かな物があたった。へ……? パチクリと瞬きをする。これは……あの悪魔の目? 頬? 耳? なんでこんな間近に??? へ……???

 混乱の中、ルイス様の顔が離れる。


「五十六歳の初物か……。悪くないな」

「へ……???」


 私は唇に手を当てる。指の感触とは確かに違う感触をルイス様から受けた。ルイス様の唇から……。

 へえええええええ!!

 キ、キス? 今のキスよね? えええ? 本当にキス???


「どうした。初めてキスの相手は俺だと決めていたんだろう?」


 ええええええええええ!! ル……ル……ル、ルイス様あああああああ?


「な、なんでそんな事を知っているのよ!?」

「『前の人生』とやらで俺は時々、お前がルーと呼ぶ魔物の感覚を通して見たり聞いたりしていたからな」

「!!!」

「どうだ? 念願が叶ったぞ」


 私は沸騰する頭で、『前の人生』でルーの前でルイス様と会ったらどうしたいかの妄想を繰り広げていたのを思い出した。ま、まさか……あれを本人が見ていたってこと⁉ え? もしかしてあれも? それからあの事も? あれをしたときにルーは近くにいたっけ? ええええええ!!

 私は恥ずかしさで死にそうになる。

 それをルイス様は嬉しそうにニヤリと笑った。その笑顔を見て叫ぶ。


「こ、こ、こ、この悪魔あああああああ!!」


 ヨーゼフがルイス様のこと「悪魔」って言っていたのはこういう性格の事だったのね! 思わずごめんなさいと心の中で穏やかな笑みを浮かべているヨーゼフに謝った。

 思わず唇を袖でゴシゴシとこする。それを見てこの悪魔がせせら笑った。


「そんなにこすると唇が腫れて敏感になるぞ。二回目を楽しみたいならそれでもいいんだがな」

「!!!」


 思わず手が止まる。またもや楽しそうにクツクツと笑う声が聞こえてきた。


「もういいだろう、家の中に入るか?」

「な、家の中⁉」


 中身は五十六歳だ。キスの後に家の中に誘われる意味くらい分かる。


「だ、駄目です! いくらなんでも早すぎます! ルーを通じてルイス様が私の事を知っていたとはいえ、心の準備が……。いえ、それだけじゃなく、なんだか想像していたルイス様と実際のルイス様が違い過ぎて、あの……その……」


 顔を赤くさせてしどろもどろになている私に、ルイス様は思いのほか嫌そうな目を向けた。


「お前の中身が五十六歳なのは知っているが、体は十二歳だろう。そんなお前に何かするような男だと思っているのか?」

「え……だって、さっきはキ……キ……キスを」

「別に目的なくキスしたわけじゃない」


 悪魔がつっと私の後ろに指を向ける。その指を目で追えば、さっきまでショゴスがいたところに、真ん中が黄色く光る薄い煙のようなものがふわふわと浮いていた。


「あれは?」

「ショゴスだ。アレはお前の思考を読み擬態し、思い込みを糧にする。だからアレの事を忘れたら存在も見た目もあやふやになる」

「そういえば、すっかりショゴスのことなんて吹き飛んでいました。あ……だから私の気を逸らすために?」


 さっきのキスはそのせいか。肩透かしを食らったような、ホッとしたような気分になる。ルイス様が言ったように、今の私の体は十二歳だ。ルイス様が子供に手を出すような変態でなかったことにホッとした。それにしてもいろいろとルイス様は私の事をしっているようだ。ルイス様もニコと同じく記憶が……?

 真剣に見上げると、茶化したような真紅の瞳が私を見返した。

 

「別に他の方法でも良かったんだが、一番おもしろそうな反応になりそうだったからな」

「こ、こ、こ、この悪魔!!」


 やっぱり、ルイス様は悪魔だ! ギンっと睨めば、ケタケタと笑い声が帰ってくる。


「そういえばお前のジジイも同じことを言っていたぞ」

「ジジイ? ヨーゼフのこと?」

「いや、レオンの方だ」

「お祖父様とも知り合いなの⁉」


 つかの間、悪魔は悪魔らしからぬバツの悪い顔をした。そして何事もなかったかのように、


「そういうわけだ。さて、続きをするか」


 と言う。


「続き?」


 悪魔の手には再びカプセル薬が握られていた。またあの魔物にやるつもりらしい。もしかして……。


「そ、それをよこして!」


 薬を奪い取る。見た目だけでは完全に判断できないけれど……。


「魔力回復ポーションに、体力回復ポーション。それにこれは限界突破薬……かしら?」

「ほう……よく分かったな。さすがだ、薬師殿」

「なんでこんなものを⁉」

「データをとるためだと言っただろう?」


 こ……この人、いろいろと話しが通じない。私は思わず額を押さえた。


「あの魔物は思い込みを実現させるって言ったわよね?」

「そうだが?」

「なら……」


 私は魔物に向かい念じた。その存在は消え失せる! と。薄い煙のようだったその存在は、私の思い込みに反応して、本物の煙のように体を拡散させて消え失せ、真ん中で光っていた黄色いものだけがポトリと薬草畑に落ちた。

 悪魔がヒューと口笛を鳴らす。


「……やるな。さっきはあんなに手こずったのに」

「何だか……、あなたと話していたら、いろいろな事が些事に思えたの。あの魔物が無かったと思うことだって簡単だわ」

「そうか……」


 悪魔は薬草畑におりて、ショゴスが落とした黄色いものを拾い上げ空にかざした。


「……ニコの言っていた贈り物はこれのことかもしれないな」

「ニコの贈り物?」


 てっきりルイス様の姿を現わさせたのが贈り物かと思っていた。


「ああ。シャトレーヌにつけておくといい」


 ルイス様はシャトレーヌと魔石、そしてカプセル薬を一つ私に手渡した。


「さ、家に入って休め」

「この薬は?」

「お前、霧の中で寝入ったもんだからこれから熱があがるぞ。これを飲んでゆっくり休めば、起きたころには治っているはずだ」


 熱?


 あ……そういえばショゴスがいなくなったというのに、私の体は火にくべられたかのように熱い。

 ルイス様は森の家のドアを開けた。家の中からこぼれる光を見て思う。やっぱりこの人はルイス様で間違いないんだって……。


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