132 レバンツの薬組合
10月10日 カドカワBOOKSより「薬師令嬢のやり直し」2巻発売です |彡サッ!
「これは?」
アントン先生に渡された、角のピンと立った真っ白い封筒を手にして、私はガウスと顔を見合わせた。ちょうど二人とも診察と診察の間で、患者が切れた時だった。
「推薦状だ。これがあれば薬組合に登録できるのだろう?」
「でも約束の二週間には間がありますけれど……」
私とガウスは病院でアントン先生の助手をしている。アントン先生と一緒に患者を診察したり、薬師には必要ないというのに手術に立ち会ったりもしている。その間、ミーシャは同じ病院で看護師の手伝いをし、ヨーゼフはヘンゼフを鍛えたり、ラルさんのカレーの助言をしたりしているそうだ。そしてミードさんとクラリッサ様は、相変わらず夜遅くまで連れだって出ていることが多く、朝の早い私達とは顔を会わすことも珍しい。
アントン先生は、私のつぶやきを聞いて首を振った。
「ユリア君の診察の技術はすでに見た。推薦するのに何の不足もない。むしろ私の方が教えられる事もあるくらいだ」
「そんなことはありません。アントン先生の技術は見習うものばかりです」
「謙遜だな……」
「そんなことありません!」
私は『前の人生』で二十数年薬師として生きてきた。専任契約とはいえ、実際に診察しなくては薬を作れない患者もそれなりにいて、診察の数はこなしてきたはずだが、アントン先生の診察からは勉強になることがたくさんある。例のイカアレルギーの患者に対してもそうだ。ただ治療して終わりではなく、食品を扱う時の注意をきちんと行い、退院後の屋台の修行先も紹介もした。
私の真剣さが伝わったのか、アントン先生は照れたように「ありがとう」とつぶやく。そしてガウスは「よくやったわ」と私の頭を撫でてくれるが、アントン先生が苦い顔をしてみつめている。ガウスの診察恐怖症はまだ完全に治ってはいないからだ。
「君に客が来ている」
「患者さんですか?」
「いいや。そうじゃない」
アントン先生は、診察の残るガウスを診察室に置いて私を客間に案内してくれた。客間ではミーシャが客にお茶を出していた。その客とはグフタさんだった。私は喜びに、グフタさんのもとに駆け寄る。
「グフタさん! 見てください。アントン先生から推薦状をもらったんです!」
私は角のピンと立った真っ白い封筒を頭上に掲げた。
「……前もってアントン先生から話は聞いています」
グフタさんはそういうなり、頭を下げた。
「息子が娘の命を救うために、わざわざ遠くから連れて来た方なのに、親の私が疑うような真似をして申し訳ありません」
「疑うような真似だなんて……あれは仕方のないことでしたわ」
詐欺師の代名詞ともいわれる『はぐれ薬師』を、なんの保証もなく信頼しろというのが無茶なのだ。グフタさんの態度は仕方がないことだ。
「あの……『娘の命を救う』ってことは、私を信用してくれるんですか?」
「はい。ダンとアントン先生が信頼する薬師ですから」
グフタさんから初めて『はぐれ』の言葉が消えた。信頼されて嬉しい反面、ずしりとした重圧も感じた。そう……これはガウスが乗り越えようと戦っている「恐怖」と同じ種類のものだ。この重圧を跳ね返して、自信ありそうに微笑まなければならない。グフタさんを安心させるために。
「そのためにはウチの店との専任契約が必要なんでしたよね?」
「はい」
「ここに書類があります。サインしてくれれば、専任契約したことになります」
グフタさんはアントン先生をチラリと見た。ああ、そうなのか……。アントン先生はグフタさんの説得までしてくれたんだ。私も感謝の気持ちを込めて、アントン先生に小さく会釈をすると、力強い頷きが返ってきた。
私はグフタさんの差し出した書類に「ユリア」とサインをする。貴族なら必ず家名を入れるが、平民であるなら家名は必要ない。家名がない者もいるからだ。『前の人生』でオルシーニ家を勘当された私のように。それに平民が貴族のフリをすれば罪になるが、貴族が平民のフリをしてもそうはならない。なので今はオルシーニ伯爵令嬢であることを隠しているので、「ユリア」だけでかまわない。
グフタさんもサインを見て、チラリと私を見るが何も言わなかったのは、何かを察しているのかもしれない。
アントン先生がパンと手を叩く。
「さて、私の推薦状、それに薬問屋の専任契約。これで条件は揃ったな」
「はい! 善は急げ! これから薬組合事務所に行こうと思います」
「それがいいだろう。だがすまない。私は往診とガウスの教育がある。一緒に行くことはできない。しかしグフタさんが付き添ってくれるそうだ」
「大丈夫です。行きましょう、グフタさん!」
「うむ。短い間だが、一緒に診察できて楽しかった。ありがとうユリア君」
「え? 何を最後みたいな事を言っているんですか、アントン先生。私、レバンツに滞在する間はずっと病院のお手伝いをするつもりですけれど」
アントン先生は虚を突かれたような顔をする。
「だって、グフタさんと専任契約してグフタさんからの依頼以外は薬を作れないってなったとしても、病院では診察が主でしょ? だったら契約違反にはならないはずですけれど」
確認の意味を込めてグフタさんに視線をやると、静かに首を振っていた。
「専任契約なんていうのは、建前だけで結構ですよ。好きに薬を作って下さい。それで責任は私に丸投げすればよろしいですから」
「それじゃ、グフタさんの得にはならないんじゃ……」
「何を言っているんですか? 私の最大の得はグレテルの病が治る事です。グレテルが元気になるならば、どんな責任だってどんな迷惑事だって負うつもりです」
「グフタさん……」
薬の独占をできないなら、専任契約で薬問屋の利はない。なのにグフタさんは……。本当にダンとは似た者親子だ。何故なら『前の人生』でも、薬問屋の店主であったダンが同じように「好きなように薬を作れ。それで問題が起きたら俺が全部被ってやる」って言っていたからだ。
私はグフタさんにお礼の言葉を述べた。
◇◇◇
「はあああ? 『はぐれ薬師』ぃ???」
グフタさんに連れてこられた薬組合の事務局受付で、『はぐれ薬師』である私を登録したいと申し出たところ、澄ました顔の受付嬢が、唇を歪めて汚物を見るような目を私とグフタさんに向けた。
この態度を予想していたのかグフタさんは冷静だが、私は面食らってしまった。ミーシャにいたっては、反射的にすごい勢いで文句を言おうとしていたので黙らせるのに苦労した。
「はい……。ここにいるユリアさんは、ウチの店と専任契約を結びまして、推薦状はアントン先生に書いていただいております」
「このガキが『はぐれ薬師』? お嬢ちゃん、おままごとしてるつもり?」
私が「ガキ」と言われたことで、さらにミーシャが暴れだす。やむを得ずミーシャの口を押さえつけた。そんな私達に受付嬢は冷ややかな目を向ける。
「ユリアさんは、まだ子供ですが診察も調合の技術もきちんとした人です。ここに書類が……」
グフタさんが受付の女性にアントン先生の推薦状が入ったピンと角が立った真っ白い封筒と、自分の店との専任契約の書類を提出する。
「何、これ~」
受付嬢が書類をいかにも汚らしいと言わんばかりの仕草でつまみ上げる。
「専任契約書~? バッカじゃないの?」
さすがにこの言葉には私もカチンときた。
「『バッカじゃない』とはどういう意味ですか? 専任契約のどこがバカなんですか⁉」
受付嬢はせせら笑った。
「お嬢ちゃん。教えてあげる。『はぐれ薬師』なんてただのクズよ。世の中のゴミなの。そんな『はぐれ薬師』と専任契約を結ぶような薬問屋なんて、バカって言われても当然なの。ううん、バカでももったいないくらいの最低最悪のバカ」
結局「バカ」じゃないの。この受付嬢は態度もひどいし語彙も少ないわね! レバンツの街の薬組合はこんなにレベルが低かったかしら? 『前の人生』の人生での事を思い出そうとしたが、そういえば私は登録の時に薬組合の倉庫のようなところで一回サインをしただけで事務局には来たことがなかったのを思い出した。もしかしたらダンが
「私のことは何と言われようといいです。必要な書類が揃っている以上、手続きをしてくれませんか?」
ほとほと困った様子のグフタさんが、受付嬢に頭を下げる。
「そうはいかないわよ。規約を読めないの? あれ『すぐれたオリジナルレシピを持つはぐれ薬師を救済する』ための制度なのよ~。ま、そんな『はぐれ薬師』なんているわけないんだけど。だから専任契約と推薦状があればいいってもんじゃないのよね。そ~んな事も分からないから、店も潰れる寸前なのよ。あったま悪~い」
受付嬢はケタケタと笑いだす。
確かにグフタさんは、グレテルの治療のために莫大な借金をしているはずだ。それに薬やその材料だけでなく、先祖代々残されていたような品々まで売ってしまっているはずだ。なにせ、グレテルの死後に気落ちしたグフタさんとその奥さんのカーナさんはすぐに亡くなり、残ったのは借金だけ。それをダンが冒険者を続けて返済しなくてはいけなかったのだから。幸い上級冒険者は報酬も高く、なんとか返済が終わってから自分で薬問屋を再開させたのだ。
そんな事情を知っているから、なおさらこの受付嬢の暴言を許す訳にはいかなかった!
「あなたね!」
私が口を開いた時、受付嬢はぎょっとした顔をした。
「その子、気を失っているみたいだけどいいの?」
気付くと、ミーシャが私に鼻と口を押さえられて気を失っていた。
「ミーシャ!!」
脈をとると、しっかりと拍動している。大丈夫、生きてるわ。
「こんなところで人殺しは困るわよ。あ、『はぐれ薬師』なら人を殺しても仕方がないか」
キャハハと笑い声をあげる受付嬢。私は怒りが爆発寸前である。グレテルさんの事がなかったら。受付嬢に平手打ちの一つもして「もう登録しない!!」と言うところだ。でもそうはしない。
「『すぐれたオリジナルレシピ』を持っていればいいのよね?」
「あん?」
「ここに『傷薬』と『嗅拡丸』があるわ」
どっちの薬も他の薬師が作ったものとは比べ物にならないくらいの効果があるのだ。これをオリジナルレシピとして……。
「ほ~んとバカねえ。『傷薬』と『嗅拡丸』ですってぇ。そんなの昔からあるじゃない。あんたが何を作ろうと、それはオリジナルレシピなんかじゃなくてアレンジ。それも劣悪アレンジに決まってるわね――」
あ――はっはっはっは、と口に手の甲を当てて受付嬢は笑う。その態度は腹立たしいが、確かに『傷薬』も『嗅拡丸』も既にあるものだ。それなら気付け薬もそうだろう。でも私には……。
「昔からあるものじゃなく、全く新しい薬があればいいのね⁉」
「はっ? 作れるわけないじゃない」
「作れるわ! 私には魔力栓塞の治療をする藍色の薬があるもの!」
「魔力……え? 何?」
「魔力栓塞よ!」
「あんた言うに事欠いて、でたらめな病気まで作ったの? あ、そうか。でたらめな病気だったら、あんたの作るでたらめな薬でも治せるって芝居ができるものね。でもおあいにく様、ここは薬組合事務局よ。あんたの猿芝居なんて見るヒマは……」
受付嬢の後ろに、メガネをしてやたらと背の高い美女が現れた。そして受付嬢の頭に鉄拳を打ち付ける。きゅうっと声を出しながら受付嬢は気を失ってしまった。
「申し訳ありません。ロジン薬問屋店主のグフタ様」
その美女はグフタさんにだけ頭を下げる。実は受付嬢の後ろには、薬組合の局員が何人もいて仕事をしていた。それなのにこの美女が現れるまで、あの暴言を注意しようとする人は誰もいなかった。それだけ薬組合では『はぐれ薬師』に敵意を持っているということだ。この美女だって、『はぐれ薬師』である私には一瞥もしない。
「このバカは知らなかったようですが、私共、薬組合ではグフタ様のお嬢様が『魔力栓塞』の病にかかっていることは存じております。その治療法がないこともです。ですので、なおさら心配なのです。『はぐれ薬師』の甘言に乗せられて専任契約を結んだのではないかと」
長い睫毛をしばたたかせて、女性はグフタさんを心配そうな視線を向けた。男なら誰しもがよろめいてしまうような視線である。でもグレテルの心配をしているグフタさんにそんな色気は通用しなかった。
「では魔力栓塞の薬を提出すれば、登録してもらえるんですか⁉」
「え……ええ。審査はしますが……」
「ならユリアちゃん、うちの素材と調合室を使って藍色の薬とやらを作って下さい」
私は話の流れについていけなくて、オロオロとしてしまう。それを勘違いした美女がフフンと鼻をならした。
「ほおら、グフタさん。そこの『はぐれ薬師』は、嘘を見透かされて逃げ出そうとしていますよ」
「逃げ出そうとなんてしていません!! いいでしょう。作ってきます。作ってあなたがたをギャフンと言わせてみせます!」
私とグフタさんはミーシャを引きずりながら、事務局から飛び出した。
前回、キラースクイッド(イカ)の毒やらアレルギーやらに書いたのに、回転すしでイカを堪能してきました(笑) うまいもんはうまい!!