131 キラースクイッドショック
10月10日 カドカワBOOKSより「薬師令嬢のやり直し」2巻発売です |ω・`)コソ
看護師に案内されて向かった場所は、整備もレバンツの街の警備隊の目も行き届いていない港の端だった。そこでは一様に身なりの貧しそうな男も女も、大人も子供も力なく地べたにへたり込んでいる。その中にガウスが一人、途方に暮れた顔で立っていた。
「ガウス!」
「兄さん! それにユリアちゃんも来たのね!」
あからさまにホッとした顔をするガウス。アントン先生はツカツカとガウスに歩み寄る。
「何があった?」
「キラースクイッドの毒よ。あそこの一番具合が悪そうにしている料理人が、キラースクイッドでかさましされた双頭ダコで料理を作って安く売っていたそうなの。それを食べた人が具合を悪くしたのね」
ガウスが指さした先には、顔色が悪くエプロンをした男が咳をしながらうずくまっていた。アントン先生は忌々しそうに舌打ちする。
「キラースクイッドと双頭ダコの区別つかないような料理人がいるのか?」
キラースクイッドは鮮やかな紫が特徴の弱い魔物だ。この紫を見れば、この街の人間はそれが毒のあるキラースクイッドだとみんな分かるはずだ。
「それが……あの料理人は、よそから来たばかりでキラースクイッドのことを知らなかったらしいの。色が紫なのも、双頭ダコが変色したものだと騙されてずいぶん安く買ったらしいわ。店で買ったわけじゃないらしいから、犯人は見つからないわね」
「しかし客が気付いてもいいんじゃないのか?」
「小麦粉の団子の中にぶつ切りにしたキラースクイッドを入れていたんですって。一口サイズだったから、中を確認しないでお客さんが食べて……この通りよ」
ガウスは腕を広げた。
「それで患者の具合は?」
「それは……、ええっと……」
「診察していないのか?」
「……」
ガウスは気まずそうにうつむいた。
アントン先生はガウスに「もういい!」と吐き捨てて、まっさきに一番具合が悪そうにしている料理人に駆け寄り診察を始めてしまった。料理人の診察はすぐに終え、すぐに他の患者に移る。次々に診察をしては、症状にあった指示を与え、落ち込んだ患者を励ますために時には笑って見せる。そんなアントン先生を前にして、ガウスは捨てられた子犬のような目をしていた。思わずガウスに声をかけようとしたが、アントン先生から「お前は診察をしろ!」との檄が飛ぶ。
「はい!」
私はガウスの事を後回しにして、アントン先生のように診察して回る。
キラースクイッドは腹痛や吐き気をもよおすものの、毒性は強くない。一晩ゆっくり眠れば良くなる患者ばかりだった。
ふと何かがひっかかりアントン先生が診療を終えていた料理人を見た。すると咳が出て首のあたりをかきむしっていた。
「あれは!」
私は料理人のところへ走る! たどり着くなり、料理人は喉からヒューヒューと音をさせ真っ青になり、あっという間に気を失ってしまう。まずい!! 料理人の手首に指を当てると、すでに脈が弱まっている!
「ユ、ユリアちゃん、その人はどうしたの⁉」
ガウスが駆けつけてくれた。
「説明は後よ! ガウス、この人に気道確保に心肺蘇生をして!」
「え……ええ。分かったわ!」
ガウスが料理人の胸をリズムをつけて押し、口移しに空気を送り込む。その間に私は気付け薬の入ったシャトレーヌの蓋を慎重に開ける。気付け薬は、わずかな時間だけだが心臓をぎゅっと締め付けて血圧を上昇させてくれる。今ある薬でこの症状に対応するにはこれしかない。護衛隊のような副作用もあるかもしれないけれど、今は命を助ける方が優先だ!
「ガウス! 少し離れて!」
「分かったわ!」
【風操作】
私は魔法でツンとする気付け薬の成分を料理人の体内に送り込む。大丈夫、間に合う! 祈りを込めて、料理人の手首に当てた指先に神経を集中させる。
…………ドクン!
脈が戻ってきた! これで持ち直せば!!
「ユリア君!! この患者はいったい?」
全ての患者の診察を終えたアントン先生が戻ってきた。
「アナフィラキシーショックを起こしたんです!」
「な、なんだって⁉」
一度この患者を診察してこの症状に気付かなかったアントン先生は顔を青ざめさせた。
「大丈夫です。私の持っている薬で一命はとり留めました。でもちゃんとした治療がすぐに必要です!」
「わ……、分かった! では私の病院へ!」
アントン先生は、二本の棒と自らの上着を使い即席の担架を作り上げ、大急ぎでガウスと二人で病院に運び込んだ。病院に着くなり、アントン先生は看護師にバタバタと指示を出す。
「すぐに点滴の準備を!」
「「はい」」
気を失ったままの患者とアントン先生は病院の奥へ消えた。これであの料理人は助かるだろう。思わずほうっと大きなため息が出る。アントン先生の背中を見送りながらガウスが、絞り出すような声を出した。
「ユ……ユリアちゃんは……すごいわ」
「ガウス?」
ガウスは震える自分の両手を黙って見つめる。
「……私も医師の資格は持っているのよ。成績も優秀で、最年少医師だと言ってもてはやされたわ。……でも、実際に患者を目の前にすると……怖くて逃げ出しちゃったのよ」
「怖くて逃げ出した?」
「ええ。だってそうでしょ? 医師の資格を取るための勉強には必ず回答があるけれど、本当の患者さんには正しい答えなんてないんだもの。もし私が診察を間違ったら? それで死んじゃったりしたら?」
ガウスはガタガタと身を震わせた。
「だからガウスは医者をやめて冒険者になったの?」
「……」
ガウスが冒険者になったのは、恋人のダンが冒険者になったから後を追ったとばかり思っていた。でもそう単純な話ではないようだ。そういえばガウスは、ミーシャが体調不良になった時も、修道院で集団食中毒が発生したと思われていた時も、患者を診ようとはしなかった。むしろ出来るだけ近寄らないようにしていたような……。
「呆れたでしょ?」
自嘲するかのように、ガウスは吐き捨てた。
「いいえ!」
その怖さは私も知っている。誰だって他人の命を背負うのは怖いのだ。ただ、それは人の命を助けたいという気持ちがあれば乗り越えられる。それを私は知っている。
「……気を使ってくれなくてもいいのよ」
「いいえ。ガウスは立派な医者になる道を放り出したりはしないわ」
「なんでそんなにキッパリと言えるの? 本人がこんなに情けないことを言っているのに……」
「私は知っているの、ガウス!! あなたは冒険者でありながら、立派な医師になるのよ! それで依頼中にケガや病気をした仲間を必死で救うの! そしてあなたに助けられた人は次に仲間の命を助けるの! あなたがその命の輪の中心になるのよ!」
そう。私は知っている。『前の人生』ではガウスは立派な医師だった。何が原因で恐怖から立ち直ったのかは分からない。でもガウスがいる冒険者パーティでは、決して人が死ななかった。そしてアントン先生とガウスで私に診療の仕方を教えてくれたのだ。もしかしたら、そのきっかけはグレテルさんの死かもしれないし、他の事かもしれない。でもそれは、どうでもいい。私は知っているのだから。どんなにガウスが患者の事を考え、冷静に理知的に、そして感情の通った治療をするかを。
もともと目じりの下がったガウスの目は、いつもよりももっと下を向き、涙が溜まっていた。そして小さな声で「うん……」と呟いた。
しばらくしてアントン先生が白衣をはためかせて、戻ってきた。アントン先生も顔色が悪い。
「ユリア君。あの患者は助かったよ。私は彼が具合が悪かったのは、単に味見やなんやらで一番キラースクイッドを多く食べたからだと思って放置してしまった。しかし君はなんであの患者がアナフィラキシーショックを起こしているか気付いたのかね?」
「それは……彼だけが咳をしていたからです」
「咳を?」
アントン先生はハッとした顔になった。
「ええ。そして次に見たときは喉をかきむしっていたのです」
これはショック症状で毛細血管が広がり、気道の粘膜が腫れて空気の通り道が狭くなったからだ。私が側に行った時には、唇も腫れあがり気道はふさがって息ができなくなり、気を失っていた。
「多分……キラースクイッドなどのイカ類にアレルギーがあったのではないでしょうか?」
「双頭ダコの小麦粉団子を作って売る男が、イカのアレルギーになるのかね? 二つとも同じ軟体動物型の魔物だろう?」
「イカにはタコと違って寄生虫がいるものがあります。アレルギーはその寄生虫で起こる場合もあるんです」
「確かにタコには寄生虫がいないそうだが……」
アントン先生は、うむむと唸った。
「そういえば、あの時君は何か薬を使っていたね?」
「はい。あれは……ただの気付け薬です」
あれは本当に「ただの」気付け薬です。霊薬でも、人を信者化させるような危ない薬でもありません!
「気付け薬? そんなものがアナフィラキシーショックの時に役に立つのかね?」
「一般の気付け薬ならダメでしょう。でも私の持っている気付け薬には血管収縮と血圧上昇の効果もありますから……」
「ショック症状の特効薬と同じ作用だ」
またもやアントン先生はうむむむむと唸りながら、片手で両方のこめかみをギリギリと締め上げた。
「君は……『はぐれ薬師』だと言うが、本当に師匠がいないのかね?」
「それは……」
私の薬師としての師匠はルイス様だ。そして診療はアントン先生とガウスが師匠である。だけどそれは『前の人生』の話だ。
「事情は言えないか……」
私の沈黙の意味をアントン先生は理解してくれた。
「ともかく礼を言う」
「いいえ、礼を言われるようなことは……。私も薬師として当然のことをしたまでですから」
アントン先生は困ったような曖昧な表情を浮かべた。お父様と同じく、患者の前以外ではいつも固い表情をしているアントン先生にしては珍しい事だ。
「……それなんだがね。あの診察を考えると、すでに君には診察の技法は身についているようだ。いや、今回の件に限って言えば私の上を行っているといっても過言ではない」
「それなら……」
「しかしこの件だけでは、薬組合への推薦状はまだ書けない」
私の期待を見透かしたように、アントン先生は首を振った。
「そんな残念そうな顔をしないでくれ。私はまだ書けないって言ったんだ。グレテルとの約束は二週間だったね。ではそれまでこの病院で私の助手となって、君の診療技術を見せてくれ。そして基準を達しているなら推薦状も書くし、専任契約の件もグフタさんを説得してあげよう」
思っていた以上の好条件だ。私もアントン先生の助手になれば、反対に先生から学ぶこともできる。私は満面の笑顔で返事をした。
「よろしくお願いします!」
ガウスは暗い顔をして私達の側から離れようとしていた。そのガウスの腕を引っ張り、アントン先生の前に引きずり出す。
「ちょ、ユリアちゃん?」
「ガウスもご挨拶して!」
「え?」
「あなたが医者として恐怖を克服するには、経験を重ねるしかないのよ! ここなら診察に迷った時にアントン先生に助けを求められるわ。だから、ガウスも私と一緒にアントン先生の助手をするの!」
「そんな事…」
「アントン先生、かまいませんよね⁉ アントン先生がガウスに冷たかったのは、冒険者になったからじゃなくて患者に向き合おうとしなかったからでしょ⁉ でも違うんです! ガウスはガウスなりに必死に向き合おうとしていたんです。考えてもみてください。恐れを知らない医者がいい医者ですか? いいえ、恐れを知ってそれを乗り越えた医者の方がずっといい医者になれるはずです。ガウスはまだ乗り越える途中なんです! だからアントン先生ガウスも一緒に助手にして下さい!」
「ユリアちゃん……」
アントン先生の目がガウスに注がれる。
「やるか?」
ガウスはほんの少しの間、うつむいて握った手を震わせていたが、すぐにアントン先生の目を見返した。その顔には決意に溢れている。
「やるわ!」
いかめしい面のアントン先生の目が、ほんの少し優しくなった。
「一緒にがんばりましょう、ガウス!」
「ええ、ユリアちゃん。よろしくね!」
◇◇◇
その日は、二人して夜までアントン先生の助手を務めた。仕事で体は疲れているが、アントン先生の技術を前に興奮している。でも宿までガウスに送ってもらいながら、なにかもやもやするものを感じた。
「ガウス……、私、何か忘れているような気がするの」
「病院の事? 診察も患者さばきも看護師への指示も、ユリアちゃんは完璧だったわよ」
「ううん、そんな事じゃなくて……」
ミードさんが借りてくれた部屋の居間に着くと、涙目のミーシャが待っていた。ヨーゼフはソファーにちょこんと座って、緑茶をずずっとすすっている。
「お嬢様――! 何で私を忘れて行っちゃったんですかああああ!!」
あ、忘れていたのはこれだった。
↓↓↓ 2巻の表紙をリンクしてありますので。よかったらご覧ください。
また活動報告にて情報公開OKな部分の発表をしております。