130 アントン先生へのお願い
スランプを脱しそうな予感です。
おかげで長くなってしまいました(^^;
部屋を出て階段をおりると、店主でありダンとグレテルの父親でもあるグフタさんが何か言いたそうに顔を歪ませる。けれど結局何も言わずに、窓の外に目をやってしまった。仕方ないので、私から話しかける。
「あの……今日はアントン先生は……?」
「……もうすぐ来る予定だ」
グフタさんは窓の外から目をそらさずに答える。外に何か興味を引くものがあるわけではないだろう。私とどう接していいのか分からないのだ。
「そうですか……」
微妙な空気の中、しばらくすると本当にアントン先生が現れた。長い白衣の裾をはためかせ、慌ただしく帽子を脱いで、会釈だけの挨拶を交わす。昨日はよく見る暇がなかったけれど、顔や雰囲気はいかめしいが、ガウスとよく似ている。歳の頃は三十歳手前といったところか……。
「グレテルの様子はいかがですか?」
「おかげさまで、特に変わりはないようです」
グフタさんはアントン先生の目を見て、疲れた微笑みを浮かべだ。
「そうですか……」
アントン先生が階段を登ろうとするのを慌てて引き留める。
「待ってください!」
私がそこにいることに、アントン先生は初めて気が付いたようだ。びっくりしたように右の眉をピクリと動かした。
「君は確か……昨日、弟のガウスと一緒だった……」
「はい。ガウスさんにはいつも助けてもらっています、ユリアと申します」
スカートの裾をつかんで、軽く膝を折る。
「ふむ。どうも見たところ冒険者ではないようだが……」
「はい。私は冒険者ではなく、薬師です」
急にグフタさんがコホンと咳払いをした。
「あの……アントン先生。その子は薬師は薬師でも……その……『はぐれ薬師』なんです」
「『はぐれ薬師』ですか……」
ほぉっと、呆れているのだか感嘆しているのだか分からない声を出しながら、アントン先生は私のつま先から頭のてっぺんまでをジロジロと観察した。
「……ガウスはあれでなかなか人を見る目が厳しい。ガウスが連れて来たのなら、詐欺師ではないのだろうが……」
「当たり前です!」
まったく『はぐれ薬師』というだけでこの扱いだ。私が頬を膨らませると、アントン先生はいかめしい顔を少し緩ませた。
「すまない。それで……ガウスがここに連れて来たのだとすると、グレテルのためか?」
「はい。でも私を連れて来たのはダンです」
「ダンだろうがガウスだろうが同じことだ。それで君はグレテルのために何ができる?」
「私は魔力栓塞の治療をすることができます」
「治療を?」
アントン先生は厳しい目を私に向けた。ここで怯んではいけない。怯んだら詐欺師だと思われる。私も熱意を込めてアントン先生を見返した。
「……話を聞かせてもらおうか」
「本当ですか⁉」
「そのために声をかけたのだろう?」
「はい!」
「ちょっと待ってください!」
グフタさんが何か言いかけるのを、アントン先生は手の平を向けて止めた。
「『はぐれ薬師』かどうかなんてこだわるのは薬師と薬問屋だけだ。医師にとっては、患者が治ればそれでいい。ともかく話は聞かせてもらおう」
私は心の中でガッツポーズをとった。私の知る『前の人生』のアントン先生なら、「魔力栓塞」と聞けば話を聞いてくれるだろうと思っていた。なぜなら「魔力栓塞」は平民の子供にだけ稀に発症する病気だからと研究されることもなかったため、私が魔力栓塞のことを知っているとなれば話を聞き逃すはずがないからだ。それだけ情報が少ない。実際アントン先生も最初は魔力栓塞を知らなかったに違いない。症状だけを見て、グレテルは心臓病だと診断していたはずだ。いつからかは分からないが、魔力の流れを感じることもできないアントン先生が、グレテルの病気を心臓病ではなく魔力栓塞だと気付いたことは感嘆に値する。
私は魔力栓塞という病気についての説明、レシピ以外の治療法、そして治療の成功例を伝えた。魔力のないアントン先生には魔力の流れ道を行き場のない魔力が塊になり詰まらせてしまうという病気の成り立ちや診断方法を知らない。その部分は特に身を乗り出して話を聞いていた。
私が最後まで話すと、アントン先生は気難しそうに片手で両側のこめかみをグリグリと揉む。
「なるほど……。君の話を信じるとすると、今まで平民の子供にだけ稀に発症する病気だからと研究されることもなく、誰も治療法を思いつかなかった魔力栓塞を完治させることができるというのか?」
「はい」
「にわかには信じられないな……」
「……」
「それにさっきの話だと、魔力栓塞の治療には魔力の流れを知らなくてはいけないだろう? 魔法は貴族のものだ。平民の子供の稀に発症する病気のために手を貸してくれる貴族なんているわけが……」
私はグフタさんに見せたように【火球】の魔法を手の平の上に浮かばせた。アントン先生は、ぎょっとしたように体を固くする。
「君は……貴族なのか⁉」
「……」
少し考えて首を振った。今の私は身分を隠している。
「そうか……。平民でも魔力を持って生まれる子供はいる。その子供は概して魔力が多いそうだ。グレテルのように……」
ふとアントン先生は、珍しく戸惑った声を出す。
「魔力栓塞の治療法が本当なら、なぜそれをグレテルにしてやらない?」
そう。ここからが話の本番なのだ。私はアントン先生にお願いをしなくてはならない。
「実はグレテルさんは私の治療は受けたくないと言うのです」
「君が『はぐれ薬師』だからか?」
私の代わりにグフタさんが「そうだ」と答えた。
グレテルさんが問題にしているのは私が『はぐれ薬師』だからというよりも、ダンが私を信頼しているからなような気もするのだけれど……。
アントン先生は私とグフタさんを見比べて、深いため息をついた。
「そうか……。治療を受け入れるかどうかは、本人と家族の問題だ。それを私達は押し売りできない」
「その通りです」
「分かっているなら、なぜ私にその話をする?」
「実はグレテルさんもグフタさんも約束をしてくれたのです。私が『はぐれ薬師』でなく、薬組合に登録したちゃんとした薬師になれば治療を受けてくれるって」
「そんな方法があるのかね?」
「はい」
私は『前の人生』でダンの手助けを得て薬組合に登録した薬師だった。手続きはダンがしてくれたので、細かな方法までは分からないけれど、ダンと知り合って薬を作り始めてからちょうど三年後に登録することができた。その登録には、医師か薬師の推薦状と、薬問屋の専任契約つまり身元保証が必要だそうだ。この制度は優れたオリジナルレシピを持つ『はぐれ薬師』を救済、もしくは組合に取り込むための制度だ。
私は『前の人生』で、医師であるアントン先生とガウスに、ルイス様の資料やメモだけでは分からない本当の人間の診療の仕方を三年間教わり、二人の推薦とダンが店主をする薬問屋の専任契約を得て、薬組合に登録する薬師になることができた。
もっとも専任契約をしたのは別の目的もある。それは私の安全のためだ。専任契約には、薬師は契約した薬問屋から以外の依頼の薬を作ってはいけないが、薬の効果も取引も全ての責任を薬問屋が負うという約束事があるため、特別な場合以外は私が客に会う必要がない。ダンと結んだ専任契約は、有り得ない程の効果のある薬のレシピを持ち、元伯爵令嬢で、森の中で女の一人暮らしという『前の人生』の私の身を守る防波堤になってくれていた。
実は、今の人生でもこの制度を利用して、私は薬組合に登録するつもりでいる。そのためにはこの街で人々から信頼を集めているアントン先生の協力、つまり推薦状が必要だということを話した。そこでグフタさんが口を挟む。
「ちょっと待ってください! そんな制度は確かにあります。でもその制度で薬組合に登録できた『はぐれ薬師』は今まで一人もいません!」
「そうなのか?」
戸惑ったようにアントン先生は私に確認する。私は頷いた。
「そうです。でもそれには、いくつか理由があると思います。一つは条件になる薬問屋の専任契約が結べない事。専任契約は取引から効果までの全責任を薬問屋が負うことになります。『はぐれ薬師』どころか、薬組合に登録した薬師だって、めったなことでは結べる契約ではありません。そうですね、グフタさん」
「それはそうです。いくら信頼してる薬師でも専任契約ともなると、誰だって二の足を踏みます」
その二の足を踏む専任契約を、ダンは薬師としてはまだひよっこだった私と結んでくれた。専任契約がどういうものかを後から知った時に、ダンに感謝を表しようがなかった。その信頼にこたえられるように、必死で効果の高い薬を作り続けたものだ。
そのダンの父親であるグフタさんを見据える。
「もともと『はぐれ薬師』に偏見を持っている薬問屋が、そう簡単に専任契約を結びますか?」
「……いいや。そうはしないだろう」
「そう言う事です」
アントン先生は頷いた。
「それともう一つ。薬師は薬を作る以外にも、患者を診療してどこが悪いのかを把握しなければなりません。それはどちらかというと医師の方が得意なのではないでしょうか、アントン先生?」
「確かに……。手術などを視野に入れて診察しなくてはいけない分、一概には言えないが薬師よりも細かく診察する医師が多い。だからこそグレテルのような医師の力ではどうにもならない病気でも、こうして病状の変化を知るために私が診察に呼ばれるのだ」
今度はグフタさんが頷いた。グフタさんのアントン先生に対する信頼は確かなようだ。
「医師から推薦を貰える程の診察の腕前になるには、大変な修行が必要です。だったら『はぐれ薬師』と罵られながら修行をするよりも、その診察の腕をいかして医者になった方がずっと患者を助ける早道なんです。だから今までその制度を使って登録された薬師になろうなんて人はいなかったんだと思います」
「なるほど……確かに言われてみれば、そうまでして薬組合の登録薬師になる必要はないな。医師は隠しておくようなレシピはないから、知識と熱意と技術があれば修行次第で誰でもなれる」
ふと何か気付いたような顔をして、アントン先生は私に訝しそうな視線を投げかける。
「君……ユリア君といったかね」
「はい」
「ユリア君は、もしかしてグフタさんに専任契約を結ばせて、私に薬組合に推薦してもらうつもりなのかね?」
「そうできればと思っています」
アントン先生は、はっと吐き捨てるような息をついた。
「バカげている」
「何がですか?」
「君は私に不正をしろと言っているのだろう?」
「不正?」
「そうだ。グレテルの命を助けたければ、私に推薦状を書け、そしてグフタさんには専任契約をしろと脅しているんだろう? ガウスが見込んだからもしやと思ったが、やはり君も『はぐれ薬師』ということか……」
アントン先生の目には今までなかった軽蔑の色が浮かんでいた。
「そうじゃありません! 私がお願いしたかったのは……」
私がアントン先生に願いを言おうとした、まさにその時。
「アントン先生! 大変です!!」
看護師の恰好をした女性が店に飛び込んできた。あまりにも激しく扉を開けたので、扉についているベルが壁に当たりひしゃげてしまい、カランコロンと気持ちのいい音の代わりにギギッと金属のこすれる音をさせる。しかし看護師はそんなことにも気付かずにアントン先生のもとに駆け寄る。
「大変です! 食中毒です!」
「食中毒だと⁉」
私は「食中毒」という言葉に、修道院での出来事を思い出して身を固くした。看護師は私の様子など目にも入らずに、アントン先生の腕を引っ張る。
「はい。ガウス先生がその場にいますが、アントン先生もすぐに向かって下さい!」
「ガウスが……?」
アントン先生の顔に、苦々しい色が浮かぶ。しかし次の瞬間には、キッパリと立ち消えた。
「分かった。急ごう!」
グフタさんに「すまない、また後で」と言いながら、帽子をかぶり小走りに外に出ようとするアントン先生を再び引き留める。
「待ってください!」
「何だ? 私は、急いでいるんだ!」
「私も連れて行って下さい!」
「何?」
「さっきの続きです。私はグレテルさんの病気を利用して不正に推薦をもらう気はありません。誤解です。私の診察を見て、それでアントン先生が納得したなら推薦状を下さい!」
アントン先生は私をギッと睨む。私も同じくらい視線に力を込めて見つめ返した。ふいにアントン先生の目が外に向く。
「行くぞ」
「え……?」
「急げ! 患者が待っている! 君の診察を見せてもらおう!」
「あ、はい!!」
10/10 薬師令嬢のやり直し2巻が発売になります。
今回なんと半分書き下ろし、八割改稿となっております(公式ではなく、あくまで本人談(^^;)
◇◇◇
カドカワBOOKSの公式ページにあるあらすじは……。
「魔物討伐に役立つ薬を調合したり、薬問屋の減少や孤児院存続の危機に頭を悩ませるユリア。そんな時「前の人生」でよく知る二人組の冒険者がやってくる。問題が山積みの中、ユリアを狙う怪しい黒い影も動き始め……。」
「薬問屋の減少や孤児院存続の危機」ですよ、「薬問屋の減少や孤児院存続の危機」!!
WEB版にはなかった、伯爵令嬢として領民の生活改善に取り組んじゃいます!
もちろんユリアお嬢様のことですから、思惑とは正反対の結果になったり、
ユリアの腹黒い部分が出たりと一筋縄ではいかず……。
(この腹黒い部分の挿絵がすごくいいんです! 本当にイラストレーターの煮たか様、天才!)
また泣きどころが一般の人と違う私ですので、参考にならないかもしれませんが、書き下ろしのシーンで一回、改稿の部分で二回泣きました(^^;
そして重大なお知らせ!
WEBでは無糖なこのお話(おかしい……恋愛ジャンルなのに)も、書籍では微糖に!
発売前なのに挿絵を見て、身もだえたのは作者特権です!
それに、最近名前がちょいちょい出るようになったルイスさんのエピソードも含まれます。
また情報解禁になりしだい、あとがきや活動報告に載せて行きたいと思いますので、よろしくお願いいたします。