128 ユリアのカレー
屋台で朝食を終えた私達は、ダンの実家であるロジン薬問屋の近くのレストラン、赤い魚亭に行った。そこでは午前の仕込みを終わらせたラルさんがいた。
「おはようございます。ラルさん。お待たせしましたか?」
「いいえ、全く。先に開店準備をしていましたから……。とは言っても、最近は客が……」
ははは……と、ラルさんは困ったように頭をかく。
ラルさんのお店は、近所にできた同じような料理を出すお店に客をとられてしまった。そのライバル店を偵察に行ったラルさんは、その店で料理をしている女性に恋をしてしまった。それでこのままライバル店でいるよりも、私が話すまで見たことも聞いたこともないカレーに活路を見出そうとしているのだ。
「ある程度の材料は私の方で揃えたわ。見てもらえるかしら?」
「これは魚料理の匂い消しに使ったこともあります。それにこっちは使ったことはありませんが、市場で見たことがあります。でも、こっちは……」
ラルさんが使ったり、見たことがあったりするものは市場で買ったものだ。でも薬問屋で買ったクミン、カルダモン、シナモン、クローブ、ターメリックにはなじみがないようで、特に粉末状の物を買ってきたクミンとターメリックには怪訝そうな目を向けている。
私がそれぞれの材料の名前と味や料理に使う目的と効能を説明すると、ラルさんはおそるおそるそれらをつまみ上げ、香りを嗅いだり、舌の上にのせてみたりした。
「ううん……。一つ一つの味や香りをみても、全く味が想像できません」
「カレーの味は単純なものじゃないから……」
「はあ……」
「ともかくカレーを作ってみましょう。感想はそれからよ」
「「はい」」
なぜかラルさんだけでなく、ミーシャもやる気になっている。これは注意が必要だ、ミーシャは侍女としては優秀なのに、なぜか料理となると無意識に妙なアレンジを加えるという癖がある。そして自分で味見もしないで、主人である私に食べさせようとする。もしミーシャもカレーを作るつもりなら、しっかり見張っていないととんでもないことになりそうだ。
それにしてもエプロンをつけたミーシャの服装は、やはりどう見てもただのメイド服だ。残念なことに……。そして私と助手をしてくれるヨーゼフもエプロンをつけた。
「ではまず最初にタマネギをみじん切りにします」
「あ……、それは私がします」
ラルさんは、目にもとまらぬ速さでタマネギのみじん切りを大量に作った。さすが本職だ。他にもニンジン、ジャガイモ、ニンニク、パクチー、ショウガ、それに鶏肉をあっという間に切ってくれた。パチパチパチと思わず拍手をする。
「では次に、鍋に油を多めに入れて火にかけ、シナモン、ベイリーフ、クローブ、カルダモンそしてトウガラシを入れて油に香りを移します」
これらは粉末にしていない、そのままの形をしている。油で熱せられて、パチパチと音を立て、スパイスが一体となったいい香りが立ち上る。
「そこにタマネギを投入します!」
ラルさんが切ってくれた大量のタマネギのみじん切りを鍋に一気に加え、塩を振って炒め始めた。
「え~と、ここでタマネギが飴色になるまで炒めます。大体、一時間から二時間かかるので、ここは魔ほ……」
「ユリアお嬢様!」
ヨーゼフが声をひそめて、私の袖を引っ張った。私も小声で返事をする。
「どうしたの、ヨーゼフ?」
「お嬢様は身分を隠しておいでですじゃ。魔法を使えば貴族とバレてしまいます。ですから魔法を使うのは……」
「そうだったわ!」
でもそうすると、タマネギが飴色になるまでかなりの時間がかかってしまい、ラルさんのお店の開店時間を過ぎてしまうことになる。どうしよう……と思わず顔をしかめると、ヨーゼフが助け舟を出してくれた。
「それは私がいたしましょう。昔、南の大陸からの客人から聞いた、短時間でタマネギを飴色にする裏技がございます」
「裏技?」
「はい」
ヨーゼフは力強く頷いた。
「とても簡単でございます。中火から強火のまま、かき混ぜないで五分くらい放置してはかき混ぜ、また五分くらい放置。これを何回かすると焦げたような香りがしてまいります。これでおいしそうな香りと甘みのある飴色タマネギができますのじゃ」
これには私も料理人であるラルさんも「へええ!」っと驚いた。確かにヨーゼフが言った通りの方法で、すぐに飴色タマネギができた。実のところ、カレー作りで一番大変なのはこの飴色のタマネギである。私は魔法を使って簡単に作ることができるけれど、普通の人が家庭でおいしいカレーを作ろうとするとこの飴色タマネギを作るのに疲れ切ってしまうだろう。
「助かったわヨーゼフ」
「なになに。ユリアお嬢様のお役に立てるなら、嬉しいばかりです」
ヨーゼフは「ふぉっふぉっふぉ」と軽やかに笑った。そして私に先を急がせた。
「次はニンニク、ショウガ、あと……あ、トマトを買って来るのを忘れたわ!」
「ああ、トマトならアクアパッツア用の物がありますので、お使いください」
ラルさんが仕込み終わった湯剥きして皮とヘタを取ったトマトを渡してくれた。トマトも鍋に入れて長い柄の木べらでかき混ぜる。鍋の中を覗き込んだヨーゼフが「むむ」っと唸った。
「これではニンニクが少なすぎますなあ」
「え? 少ないの?」
「はい。ニンニクは味に深みとコクを与えます。たっぷりと入れた方が……」
「でも臭いが……」
「煮込むと臭いはとびますし、カレーのスパイスで気にならなくなりますのじゃ」
「そうなの……」
どうやらヨーゼフはカレーを知っているだけでなく、料理全般についても詳しいようだ。私じゃなくヨーゼフが教えた方がいいんじゃないかという気になってきた。そんな事を考えていると、ヨーゼフが白いハンカチで目の下を押さえる。
「まさかユリアお嬢様の手料理を食べられる日が来ようとは……。生きていて本当によかったですじゃ……」
「ヨーゼフ……」
そうよね。ヨーゼフは『前の人生』では私の手料理なんて食べることなく死んでしまったんですものね。こうして一緒に料理をできるなんて、やり直しに感謝だわ。
「そ、そうよ! 私が作るカレーをヨーゼフも食べてね!」
「ええもちろんでございますじゃ」
よし、ヨーゼフのためにも頑張っておいしいカレーを作ろう! 私は気合を入れ直した。
「鍋の中の水分が飛んで、もったりするまでかき混ぜます」
大きな木べらを使って、鍋の中身をひっくり返した。これは薬の調合でもよくやる作業でお手の物だが、なかなか疲れる。でもヨーゼフに食べさせるためにがんばろう!
「そしてここで残りのスパイスを加えます!」
ターメリック、クミン、コリアンダー、トウガラシを加える。使うのは全て粉末にしたものだ。これらをまた鍋の中に入れて、味がなじむように良くかき混ぜる。脳を揺さぶるような刺激的ないい香りが店を包み込む。鼻の奥に豊潤なスパイスの香りが広がり、口の中からジュワっと唾が湧き出てくる。カレーを食べたことのないラルさんとミーシャも、ゴクリと唾を飲み込んだ。これでカレーの素であるカレールーの完成だ。
「さてと、ここまで来たら完成は近いわよ。鶏肉、ジャガイモ、人参を鍋に入れて大きくかき混ぜたら、お鍋にたっぷりと水を入れて二十分位煮込んで最後に刻んだパクチーを入れればできあがりよ。でもパクチーは好き嫌いが分かれるから、入れても入れなくてもいいわ」
「ああ……どんな味か想像もつきません。でも、この香り……。きっとおいしいのでしょうね……」
ラルさんが鍋の前でそわそわとしている。カレーは煮込むと更に香りが広がった。
「もういいですか?」
二十分までもう少しというところで、もうたまらないとラルさんが鍋にスプーンを差し込み試食しようとした。その時、店の扉が大きく開き、体格のいい船乗りのような男たちがドヤドヤと入ってきた。
「おおおい、ラルさんよぉ、もう店はやってるか? やたらとうまそうなニオイがするもんだから、今日は金の華亭に行こうと思っていたのに、ついこっちに来ちまったぜ」
「あ……はい。え~と、少々お待ちください」
いったん接客に出たラルさんが、困ったような顔をして厨房に戻ってきた。
「お嬢様……、どうしましょう。なじみのお客たちなんですが、彼らが食べたいのはいつもの料理じゃなくてこのカレーのようです」
「そうは言っても、まだ試食の段階だし……」
私の作ったカレーはお店に出すレベルには程遠いだろう。実際『前の人生』でラルさんが作ったカレーと私のカレーの味は雲泥の差がある。
「それでしたら、あの男たちにも試食して感想をもらったらどうですかな?」
私とラルさんは、ヨーゼフの提案に顔を見合わせた。
「「いい(わ)ね」」
すぐさま事情をお客さんに説明しに行ったラルさんは、お金の代わりに感想をもらう約束を取り付けた。すぐに私達の分とお客さんの分を皿によそい、市場で買った軽パンを添えて出す。
「どうぞ召し上がれ」
とは言ってもどうやって食べたらいいのか分からないようだった。私が軽パンをちぎり、カレーに浸して食べる。
「んんんん!!」
これこれ、この味! 辛くてスパイシーでなのにタマネギの甘みが複雑に絡みあって……。でも記憶よりも味に深みがあるのは、ヨーゼフの言う通りにニンニクを多めにいれたからかもしれない。ともかくおいしい!
いつの間にかヨーゼフも私と同じように軽パンをカレーに浸して口に運んでいた。
「ううむ、これはたまらない味ですな!」
老いたヨーゼフには刺激が強いかと思いきや、ヨーゼフの皿のカレーはみるみるうちに無くなった。全てが空になると、「うまかった~」と赤くなった頬を緩め、ぽやっとした顔で幸せそうにつぶやく。
がんばって作った甲斐があったものだ。
「そんなにうまいのか?」
お客さんの一人が、ゴクリと唾を飲み込みながらヨーゼフに尋ねた。
「至福ですじゃ……」
それを聞いた男達は、最初はおそるおそる。次いでガツガツとカレーを口に運んだ。もちろんラルさんもだ。
「「「うまあああああ!!」」」
お客さんの反応は上々だ。
夢中で食べながらもラルさんは、鶏肉だけじゃなくカレーは魚介類との相性も良さそうだ、軽パンじゃなくて米ではどんな味だろう、米も何かスパイスを加えたりバターでいためたりしたらおいしそうだと、どんどんアイディアが膨らんでるようだ。
「お嬢様! 私はこの店をカレーの店にすることに決めました。次は私が作るカレーの試食をお願いできますか?」
「ええ、もちろん」
「ヨーゼフさんも相談にのっていただけますか?」
「よかろう」
よかったよかった。これで私がレバンツにいる間に、おいしいカレーを食べられそうだ。
「あの……お嬢様」
ミーシャの声が後ろから聞こえた。しまった、試食の時にいなかった事に気が付かなかった! こわごわと振り返る。
「ど……どうしたの、ミーシャ?」
「これも食べて下さい! 自信作です!」
ずずずいっと、ミーシャは蓋つきの小さな鍋を私に差し出した。
「…………これは何?」
「カレーです!」
私は怖い物見たさで、鍋の蓋を少しずらす。
「……このゲテモ……いえ、ナニカがカレーだっていうの?」
ミーシャはきょとんとした顔を向けている。私の質問が理解できなようだ。
「いったいいつの間に……」
「厨房のすみで、お嬢様の説明を聞きながら私も作ってみました! どうか食べてみてください!」
このナニカを見れば、私の説明を聞いているはずがない。あれほど料理に関してミーシャから目を離してはいけないと分かっていたのに、つい料理に夢中になって、ミーシャがこんなものを作っていたのに気が付かなかったとは……。不覚だわ。
仕方なくミーシャの作ったものを一匙すくう。…………これ、何色? 黄色がかった灰色? それに恐ろしくくさい。
「……これは食べられるの?」
「何を言っているんですか? もちろんじゃないですか」
ミーシャはまるで私が冗談を言っているかのように「ふふふ」と笑った。
「そう……食べられるのね。なら、いいわね?」
「え?」
私はスプーンの上にのったナニカをミーシャの口に突っ込んだ。
「ぐええええええええ!!!」
教訓『料理をする時にはミーシャから目を離してはいけない』