127 変なヘンゼフ
各地で災害がおこっておりますが、皆様大丈夫でしょうか?
一刻も早く日常生活に戻れることをお祈りしております。
ルモンドさんと入れ替わりに、食べ物を買いに行ったというのに手ぶらのミーシャが戻ってきた。
「ただいま戻りました……。あの……何かあったのですか?」
いつになく不機嫌そうな様子のヨーゼフを見て、ミーシャはこっそりと私に尋ねた。
「ヨーゼフの昔馴染みに会ったのよ。あのダンの実家の薬問屋で会った白髪にメッシュの薬師」
「ああ……あの……。でもなんでこんなに執事長の機嫌が悪いんですか?」
「どうも昔から仲が悪かった人みたいなの」
それにルモンドさんが私の手の甲にキスをした事で、火に油を注いだようだ。
「ところでミーシャ。朝ご飯を買いに行ったのではなかった?」
「ああ……それなんですけれど……」
ミーシャの後ろから、聞きなれた声がした。
「お嬢様! お待たせいたしました」
「ヘンゼフ!」
ヘンゼフが同じ年頃の少年たちを引き連れて現れた。それぞれの手にはいろいろな食べ物がたっぷりとのっている。もちろんヘンゼフの手にも。
「ヘンゼフとその仲間の新人冒険者達がいたので、買い物を頼んじゃいました」
「ああ、それで……」
見ればヘンゼフ以外の少年たちは、ミーシャにデレッとした顔を向けている。美人の特権だ。まあいい、この街の冒険者ならば、おいしい屋台のことは良く知っているだろう。そんな風に私が思っていると、ヘンゼフが私に片膝をついて自分の持っている双頭タコのすり身を団子にした揚げ串と、炭酸水で割った柑橘系の淡い黄色い飲み物の入った器を差し出した。
「え? ……ありがとう」
いつものヘンゼフなら率先してミーシャに手渡すのに……。ミーシャには少年たちが先を争って自分が選んだ食べ物や飲み物を渡そうとしているし、その戦いにあぶれた少年がヨーゼフに何か手渡した。
やっぱり、何か変だ。ヘンゼフが私に膝をつくなんて……。いつもは私をないがしろとまではいかないまでも、恋するミーシャを優先していたはずだ。こんな真っすぐな視線も私に向けるなんておかしい……。
「あの……冒険者生活はどう?」
「はい。あいつらと臨時のパーティを組んで依頼をこなしています」
「そう」
すかさずミーシャが説明を加える。
「パーティの方々は、ヘンゼフの幼馴染たちなんだそうですよ?」
「そうなの?」
「はい」
説明が足りないヘンゼフの代わりを務めたのはヨーゼフだ。
「アリスはこの街の男と結婚して、この街に住んどったのです。こやつが産まれたのもこの街で……。父親は気のいい船乗りでした。でも海の事故で亡くなり、わしを頼ってオルシーニに親子で移り住んだのですじゃよ」
「そう……。ヘンゼフも苦労したのね」
ヘンゼフは静かに首を振った。
「ええ。でもそのおかげで、こうしてお嬢様にお仕えすることができました」
「……はい?」
やっぱりおかしい。まともなヘンゼフならこんなことを言うわけがない。態度だって、いつもと全然違う。気付け薬の副作用で私を盲信するようになった護衛隊のようだ。まさか……。
「……気付け薬を使ったの?」
「なんの事でございますか?」
ヘンゼフが首をかしげる。
そういえば護衛隊は副作用が出ていた時はいつも目が充血していた。でもヘンゼフはそれもない。ん? よく見るとヘンゼフの目の焦点が定まっていない。もっとしっかり調べようとしたときに、ヨーゼフが急に不自然なほどの苦しそうな咳をし始めた。
「ヨーゼフ! 大丈夫?」
しゃがみこんだヨーゼフにあわせて私も身をかがめ、背中をさする。
「だ、大丈夫でございます。ご心配をおかけいたしました」
「無理しちゃダメよ。胸の音を聞こうかしら?」
さっきまであんなに咳き込んでいたというのに、急に立ち上がった。
「さ、孫よ。お前は冒険者の依頼があるのだろう。さっさと行いなさい」
「はい。お祖父様」
ヘンゼフが、すっとオジギをして離れて行こうとした。
「待って!」
思わず呼び止める。
「何でしょうか、お嬢様」
向けられた笑顔は、まさに執事ならこうあって欲しいというような控えめで誠実な笑顔だった。やっぱりおかしい。おかしいけれど、何がとは分からない……。結局呼び止めたものの、何を言えばいいか分からず、どうでもいいことを聞いてしまった。
「今日の依頼は何なの?」
「はい。オオヤシャ貝の採取です。夏祭りの料理対決のおかげで、どこの店でもオオヤシャ貝が品薄になっております。それで冒険者ギルドに採取依頼がたくさんきているのです」
「そう……オオヤシャ貝……」
オオヤシャ貝は、貝型の魔物である。小さいものならば身をそのまま食べられるが、大きくなるとアブラと呼ばれる唾液腺と内臓付近には毒があるので取り除かなくてはならないが、味は大きい方がおいしいとされている。
このオオヤシャ貝は、修道院の騒動の元になった毒に使われたキラースクイッドの天敵だ。謎の商人により騒動の前にオオヤシャ貝を食べていたミーシャとヘンゼフのおかげで、混乱をおさめることができた。しかしカイヤとその一族が、今後あの毒をどのように使うかは分からない。幸い修道院の最初の薬師であるサクラさんのレシピにキラースクイッドの毒の中和方法が載っていたが、オオヤシャ貝の研究を始めた方がいいかもしれない。
「オオヤシャ貝はどこで採れるの?」
「はい。砂浜で採れます。浅いところにアサリがいて、もう少し深いところにハマグリ、そしてもっと深いところにいるのがオオヤシャ貝です。とはいっても、近場の砂浜では冒険者だけでなく近隣の人も採り尽くしてしまっているので、僕たちはあそこに行こうと思っています」
ヘンゼフは、市場の広場から見える海の孤島を指さした。その孤島には『前の人生』で何度か観光で行った場所だ。距離もそう遠くなく、浅い砂地が続いているため、干潮時なら歩いていくこともできる。しかし今の海は水位が高い。
「船で行くの?」
「いいえ、泳いでいきます」
なあ、とパーティメンバーの方にヘンゼフは軽く手を上げた。
もしかして、ヘンゼフの態度が変なのは幼馴染たちにいい格好を見せたいからなのかしら? それなら辻褄が合うけれど……。
「まあ……。気を付けて行ってきてね」
「はい! ああ、あの島は海水浴場としても有名なんです。お嬢様が望まれるのでしたら……」
私は慌てて首を振った。この新しいワンピースでさえ肌の露出が多くて恥ずかしいのだ。海水浴は水着になるんだもの。とてもムリ!
今度こそヘンゼフは仲間を引き連れていなくなった。その姿を見送りながら……。
「なんだか……ヘンゼフは変だったわね」
「そうですか? いつも変ですよ」
ミーシャは呑気に少年たちに渡されたシーサーペントの肉串にかぶりついて「おいしい!」と嬉しそうな悲鳴を上げている。
「あやつは、きっとお嬢様に相応しい執事になろうと、励んでいるところなのでございましょう」
ヨーゼフはウムウムと満足げに頷いて、やはりヘンゼフの仲間の少年にもらった東の島国の緑の冷たいお茶をすすっていた。
「ささ、お嬢様もどうぞ」
私もヘンゼフに渡された双頭タコのすり身を団子にした揚げ串にパクリとかじりつく。朝から揚げ物なのかと思わなくもないけれど、衣のパリッとした歯ごたえと、ジュワっと染みて出来る双頭タコの旨みと甘み、そしてアクセントに入っているショウガの辛み。それが口のなかで一体になる。おいしい。揚げたてからは少し時間がたっているはずなのに、まだまだ熱くてハフハフしながらペロリと一本食べてしまった。そして口に残っている油を炭酸水で割った柑橘のジュースで押し流す。口の中がキュッとして、さっぱりとした。
「あーーおいしかった~!!」
さあ、今日も大忙しだ。