126 レバンツの薬師
遅くなりまして申し訳ありませんm(__)m
市場ではまだ午前中だというに、人が多く溢れていた。買い物客に冷やかしの観光客、それにこんな時間から酒を飲み交わしているような猟師風の男達もいる。よほどの豊漁だったのだろう、ずいぶん気分が良さそうだ。酒の肴から何かの照り焼きなのだろう、甘しょっぱい香りががこちらにまで漂ってくる。
「ああ、お腹がすいたわ」
私がそういうと、返事の代わりにミーシャのお腹がぐうっとなった。ミーシャは恥ずかしそうにお腹を手で押さえる。
「私もお腹がペコペコです」
「なら屋台で食べましょ! 早いし安いし、それにおいしいわよ!」
「屋台……ですか?」
ミーシャは不満顔だ。屋台なんてお店に比べたら程度が低いと思っているのだろう。ところがどっこい、このレバンツの市場の広場の屋台村は観光名所になっているくらい料理はレベルが高いのだ。
「いいから、いいから」
私は市場の広場へ、ミーシャの手を引いて行った。その後ろをヨーゼフがそう多くはない荷物を持って、トコトコ追いかけてくる。
私達は良い品を手に入れるために、朝食は後回しにして市場中を歩き回った。買った物は、鶏肉と野菜、ニンニクにショウガといったよく食べているものに加えて、香りをよくするベイリーフとコリアンダーの種と葉、それに辛みを与えるトウガラシといったスパイス類だ。この海辺の街だからこそ、諸外国産のこれらの品が簡単に手に入る。ちなみにベイリーフはシナモンの葉のことで、月桂樹の葉よりも大きく、香りはシナモンのような香りだ。コリアンダーの葉はパクチーともいう。
今は海路での貿易が安全に盛んに行われているため、昔のように金と同価値、もしくは銀の十五倍もするような価値はない。市場でも香りが高いが薬効が少ないスパイスを簡単に手に入れることができる。薬問屋で扱っているスパイスは、薬効があり薬の材料としても、家庭薬の材料としてもよく使われるものだ。私は昨日、ダンの実家でクミン、カルダモン、シナモン、クローブ、ターメリックを買った。クミンは消化促進と解毒にすぐれ、カルダモンとともに胃腸薬の材料にもなる。シナモンは風邪薬の材料だ。そして強い鎮痛消炎そして抗菌作用のあるクローブは虫歯痛の時に痛み止めに歯に詰めたりもする。ターメリックも消炎、殺菌作用もあるが、特に肝解毒作用で使用する事が多い。副作用があるものもある。特にシナモンとターメリックは子宮収縮作用があるため、妊婦は摂取に気を付けた方が良い。
これらのスパイスは、基本的なものだ。『前の人生』でのラルさんが作るカレーにはもっといろいろなスパイスが入っていたはずだ。その味にはラルさん自身にたどり着いてもらうしかない。どんな味になるかは楽しみだ。
そんなことを考えていると、いろいろなおいしそうな匂いが漂ってきた。広場に着いたのだ。広場にずらっとならんだ屋台を見て、ミーシャが目を丸くする。
「こんなに……」
「この中から好きなものを選ぶのよ」
「これだけあると選べません。いったいどの屋台がおいしいのですか?」
私もなじみの店がないかと目を凝らすが、残念ながら『前の人生』で知っている店はないようだった。あったとしても私の知る店主とは違うだろう。なので屋台ではなく料理を紹介することにした。
「う~ん。この広場に出している位だから、どのお店もおいしいとは思うけれど、そうね……。魚介類はおいしいわね。ハマグリやサザエ、それにオオヤシャ貝の網焼きは匂いでよだれが出そうになるわよ。海サーペント肉の串焼きは東の島国の調味料を使っていて甘じょっぱくて香ばしいわよ。海外の料理もあるはずよ。好みがあえばおいしいはずだわ」
「う~ん、どれもこれもおいしそうですね。お嬢様は何を食べたいですか?」
「私は……」
私はもう一度ずらっと並んだ屋台に目をやる。と、そこで私に手を振る人物が見えた。
「やあ、お嬢さん。また会いましたね」
「あなたは昨日薬問屋で会った……」
長い白髪、一部分だけ紺色のメッシュ長い白髭の年齢不詳の男性だった。今日も暑い日だというのに分厚いマントを羽織っている。
「あの……暑くはないのですか?」
挨拶よりも先に、思わずそんな言葉が口をついた。その男性は「ん?」というように片方の眉を持ち上げた。
「ああ、このマントか。これはサラマンダーを素材に使っているんですよ。暑さにも寒さにも強く、へたりにくい。だから若い頃から年がら年中この姿です。なあ、ヨーゼフ」
男性はヨーゼフに視線を向けた。ところが珍しいことにヨーゼフは不機嫌な顔をしている。
「……ヨーゼフのお知り合い?」
「前の戦争の時にこのしにが……」
「ユリアお嬢様! あそこのベンチが空きましたぞ! さあ、さあ!」
男性の話を遮るようにして、ヨーゼフは空いたベンチに私を押していく。その後ろをニコニコ顔のメッシュの髪の男性がついてきた。
ベンチに座っても、なんとなくヨーゼフとその男性との間に火花が散っているような気がして男性の言いかけた「しにが……」が何なのか聞けずにいる。
険悪な雰囲気を察したミーシャが「何か買ってきます!」と逃げ出していった。私も連れて行って欲しい……。
「お主、何しておるんじゃ?」
男性はヨーゼフの問いかけをわざと無視して、私の手をとった。歯がキラリと光る
「名乗るのが遅くなりまして申し訳ない、麗しいお嬢さん。私はル……ルモンド。この街でしがない薬師をしております」
すかさずヨーゼフが、ルモンドさんの手を弾き飛ばした。
「お主! ユリアお嬢様に何をするか!」
「可愛らしいお嬢さんがいれば口説くのは男として当然ではないか?」
「お嬢様は十二歳じゃぞ!」
「立派なレディだ。それともそうじゃないとでも……?」
「それは……」
うすら笑いで腕組みしたルモンドさんが、ぐぬぬぬと震えるヨーゼフを見下す。
「……お友達?」
「「違う(いますじゃ!」」
……気が合わなくても、息は合うらしい。でもいつまでもこのままという訳にはいかない。
「あの……ルモンドさん。私はユリアと申します。私のシャトレーヌをご覧になったからお分かりでしょうが『はぐれ薬師』をしています」
今の私は伯爵令嬢であることを隠している。家名まで名乗る必要はない。『はぐれ薬師』だと言ったのは、あとで誰かから聞かされるよりも自分の口から言った方がいいと思ったからだ。
「ほう……ご自分で『はぐれ薬師』とおっしゃいますか……」
「ええ。組合で認められたような師匠がいないのは確かですから」
「そうでない師匠はいると?」
私は一瞬答えるのを躊躇した。私が勝手に住み着いた森の家には薬のレシピや資料がたくさんあった。それを見ながら私は薬の勉強をしたのだ。会ったことはないけれど、私の師匠と呼べるのはルイス様だ。
私は小さく頷いた。
「そうですか……」
ルモンドさんは、意味ありげな視線を私のシャトレーヌに送った。
「よろしければ、薬を一つ二つわけてもらえませんかな?」
「私の薬をですか?」
「はい」
私はどうすればいいかとヨーゼフの顔を見やると、苦々しい顔のまま頷いた。昔馴染みだというヨーゼフがそうした方がいいというのだ。従うべきだろう。
「……分かりました」
私は傷薬を少しと、嗅覚丸を一粒ルモンドさんに渡した。
「ありがたい。では確かにお預かりしますよ。ところで、もっと友好を深めたいところなのですが、あいにくこれから仕事でして……。またお会いいたしましょう。邪魔者のいないところで」
素早く私の手をまたもやとると、手の甲に素早く口をつけてルモンドさんは立ち去って行った。
「あやつ……!!!」
ヨーゼフは怒り心頭といった様子で、いつの間にか濡らしたハンカチで私の手の甲をふき取った。
前の戦争の時からの知り合いならば、やはりヨーゼフと同年代なのだろう。それにしては随分と精力的な人だ。
お知らせ
10月10日。
なんとカドカワBOOKSより「薬師令嬢のやり直し2」が発売となります。
皆様のおかげで2巻を出すことができそうです。
本当にありがとうございます。
いろいろな情報が解禁になりしだい、お知らせしていきたいと思います。