125 衣替え②
次の日の朝。目が覚めると、いつも通りすかさずミーシャがノックする音が聞こえた。今まで不思議に思ってなかったけれど、別の部屋にいてどうやって私の目が覚めたか察知できるのかは謎だ。
「おはようございます、お嬢様。よくお休みになれましたか?」
「ええ。たっぷりと」
昼寝をあれだけしたというのに、夜はすぐに眠くなった。ミーシャとヨーゼフだけの打ち解けた二人との夜だったからかもしれない。
ミーシャがカーテンを引き、窓を開けると、まだ朝の涼しい風が吹き込んできた。しかし日差しは強い。
「暑くなりそうね……」
「昨日、買い物をしたお店の人の話では、今日はこの夏一番の暑さになるそうです」
「そしてこの夏一番の暑さは、この後どんどん更新されていくのよね……」
「まったくその通りだそうです」
レバンツは活気のあるいい街だが、夏の暑さがオルシーニに比べてずっと厳しい。
とはいえ街の人は暑くなれば海に飛び込んで涼をとればいいわけだから、特に問題もない。問題はラルさんのような飲食店だ。冷の魔道具や氷の魔道具がないと素材の鮮度があっというまに落ちてしまうが、一般の飲食店ではそうそう買えるような値段ではない。ああ、もしかしたらラルさんの恋する娘がやっている店ではそうした魔道具を使っているのかもしれない。だからあんなに新鮮だったのかも……。そう思い当たった。
「みんなはいるの?」
「執事長は居間でお嬢様をお待ちになっております。確か、朝食は市場でするという事ですので、特に用意はしておりません。クラリッサ様とミードさんはもうおでかけになっております」
「二人とも……? 何か冒険者ギルドでも問題が起こったのかしら?」
私が首をかしげると、ミーシャは目を三日月のような形にし、ふふふと笑いながら口元を手で隠した。
「私……思いますに、あの二人には芽生えちゃったんじゃないでしょうか?」
「芽生えた? 何を?」
「それはズバリ『恋』です!!」
「恋?」
「ええ、だってお二人とも見目麗しく、妙齢の独身者同士なんですもの。修道院からレバンツの間にそういった感情が芽生えたとしてもおかしくはありません!」
「まあ……それはそうだけど……」
確かに、女性にしては長身で筋肉質なクラリッサ様は華やかな美人だ。しかしミードさんはクラリッサ様よりもさらに背が高く、細くはあるが引き締まった体をしており大人の魅力満開の男性だ。それに確かお互い三十台後半……。確かにお似合いである。
「クラリッサ様は修道女とはいえ、治癒魔法の使い手です。院長も言っていたではありませんか、誰でもいいから結婚してくれないかしらって。とすると相手は教会籍でも貴族でもなくてもいいはずです。そんなクラリッサ様の目の前に現れたのは元特級冒険者のミードさん。外国でなら下級貴族に位置する人です。それに加えて、冒険者ギルド支部長を務める統率力。それにあの煙草を吸う時の指の動き……」
ミードさんはかなりのヘビースモーカーだそうで、気を使い子供の私達の前では吸わないようにしていたが、離れたところで吸っているのを何度か見ている。その時のことを思い出しているのだろう、ミーシャの紫色の瞳にはハートの形の光が灯っていた。
そういえば大した話ではないが、ミーシャはアランに恋破れてから、ひっそりとガウスに恋をしていたようだ。しかし旅の途中にガウスがダンを好きな事を知って、またもや失恋していた。今回はガウスの好きな相手が相手なだけに、特に落ち込んだりもせず、何故か「尊い……」とつぶやきながら二人を生ぬるい目で見るようになっている。
もしかしたらクラリッサ様とのことがなかったら、ミーシャの次の恋の行き先はミードさんだったかもしれない。あぶない、あぶない。
「さ、着替えて食堂に行きましょう。今日は市場でカレーの材料の残りを買って、ラルさんのところで試作して、午後はグレテルさんのところへ行くから忙しいわよ」
「かしこまりました。お着換え、手伝わせていただきます」
「ええ、よろしく」
数分後。
「ミーシャ、お願いやめて!」
「やめません!」
「こんな……、こんなの……いや。私、恥ずかしい……」
「ふふふ、恥ずかしい事なんて何もありませんよ……」
「そんな……でも……」
ミーシャは私の手の甲に指を這わせた。そして手首から前腕、そして肘から脇下にかけて私の素肌を指でなぞり上げる。そこはいつもは隠されている部分だ。
「ほら、お嬢様の腕……ほっそりしていて、つるつるでまるで白魚のようじゃないですか」
「でも……でも……」
首を一生懸命振っているのに、ミーシャの暴走は止まらない。
「それにこの脚……。細いのに肌には弾力があって……」
「それ以上は……ダメ!」
とたんに、ミーシャは腰に手をあててふんぞり返った。
「ダメじゃありません、時間がないんですから、この新しいお洋服に着替えてください!」
「こんなに露出の多い服、恥ずかしいのだめよ~」
ミーシャは手にしていた白いワンピースを両手で持ち上げた。
「お嬢様のために私が見立てたものです。絶対にお似合いになられます」
「でも……でも……」
「そりゃあ王都やオルシーニの街でしたらオーダーメイドを頼むところですが、レバンツは大きな街だけあって既製品もなかなかの物ですよ」
「そういう問題じゃなくて……」
「何が問題なんですか?」
「……分かっているくせに」
ミーシャはニヤリと笑った。
「ええ。分かっていますとも。お嬢様が今まで二の腕や脚を隠した服を好んで着ていたことは」
そう、私は人生をやり直してからミーシャに選んでもらう服は一貫して二の腕や脚を隠した服だった。
「でもそれはどうしてですか?」
「え……? だって二の腕も脚も隠すもので……」
「だから、何でですか?」
「二の腕はたるんたるんになってるし、脚を出したって見る人が嫌な思いをするだけだわ」
「そこです!」
ミーシャは人差し指を立てた。
「いいですか? 今のお嬢様の二の腕はたるんたるんですか?」
「え?」
「いいえ、私が先程触って確かめました。たるんたるんの欠片もありません。すっきりとした二の腕です!」
「すっきり?」
「それにその脚! その健康的な脚を見て嫌な気持ちになる人はいません!」
「健康的?」
「そもそも、お嬢様はいったいおいくつですか?」
「五十……いいえ十二歳」
「ですよね。たしかに五十六歳でしたらお嬢様の言ったように二の腕や脚を隠すようなファッションを好まれる方は多いです。でもお嬢様は十二歳なんです。十二歳の健康的な体を見せなくてどうするんですか⁉ 見せましょう! ド――ンと!」
ミーシャの鼻息は荒い。
「でもそんな服は王都の屋敷にたくさんあったけれど、どれも似合わないってミーシャも言っていたじゃない」
「ええ。王都のお洋服は似合いませんでした。あれはエンデ様に合わせようと無理な背伸びをした服だからです。でも。こちらなら……」
もう一度ミーシャはさっきの白いワンピースを掲げた。確かに胸と肩を紐で結んでつなげたワンピースは丈も短くて露出が多い。でも胸周りと裾に青いビーズと透かしの多いレースを使っており品が良くかわいらしい。まるで白く泡立つ波と隙間に見える青い海のような服だった。
「こんなの……私に似合うかしら?」
「似あいます!」
「でも……」
「この私が保証します! 私の見立てを信頼してください!」
「ミーシャを?」
「はい。この私がお嬢様を思い、絶対に似合うものを選びました。似合わないわけがありません!」
私はもう一度、ワンピースを見上げた。そしてもう一度ミーシャの確信に満ちた顔を見る。
「着て……みようかしら?」
「はい!」
正直に言えば、こんな露出の多い服を着るのは恥ずかしかった。でも確かに今の私は十二歳なのだ。体がもっと女性らしくなる前の今ならまだ許される気がする。もっとも大人になっても大して凹凸のない体のままだったが……。
服に腕を通した後、窓際の椅子に座る。いつも通りミーシャは丁寧に髪をすいてくれて、サイドの髪を編み込みにしたハーフアップにして白くて細いリボンで結んだ。首には青いガラスのネックレス。宝石のような輝きはないけれど、この服にはとても合っている。そしてワンピースと似た白と青いビーズのヒールのある編み上げサンダル。
全ての装いが終わった時に、ミーシャがふうっと満足そうなため息をついた。
「街中を探し回ったかいがありました!」
「まさか昨日は夕方遅くまで買い物をしていたっていうのは……?」
「はい。なかなかそのワンピースに合う小物が見つかりませんで……。でも鐘がなっている時に飛び込んだ最後のお店でそのサンダルもネックレスもみつけたんです」
「そんなに懸命に……。ありがとう」
王都でもオルシーニの街でも、私の服は商人がデザイン画を持って来る。そして特に私から要望がない時は、代わってミーシャがデザインを選び仕立ての注文をする。こんな風に私の服や小物を探して街を走り回ることなんてしないのだ。
「そんなの当然です! 私はお嬢様の侍女なんですから、お嬢様がかわいくなるようにお手伝いをするのは」
「ミーシャ……」
ミーシャの忠心に感謝があふれた。
「さ、居間の全身を写す鏡の前に行きましょう!」
「ええ」
居間にいたヨーゼフも、私の新しい服を見て一瞬大きく目を開き、その後「よくお似合いです」と心からの声で言ってくれた。
鏡の前の私は、自分の姿にうっとりと見惚れてしまった。ふと私の後ろでニコニコしているミーシャの、メイド服と対して変わらない衣装が目に入る。
「私のだけじゃなくミーシャもかわいい服を買ったらよかったのに……」
予算の関係なのかしら? ミーシャの服選びのセンスは確かだというのに、自分の事となると清潔感があればいいという。
ミーシャは静かに首を振った。
「……私がかわいい服を着たら大変なんです」
今度は沈痛な面持ちでため息をついた。
「……大変?」
「はい。オルシーニの街でお忍びで街を歩いた事を覚えておられますか?」
そういえば確かに二人でお揃いの服を着て歩いたことがあった。道案内のヘンゼフに間違った場所ばかりに連れていかれて、アリアナちゃんの店に行った。盗賊の襲撃の後、正体不明の男の子・ニコから送られたルイス様の本。あの本は、この旅にもしっかり持ってきている。
「もちろん覚えているわ」
「あの時は、かわいい恰好をしていても、アランさんが道行く男の人に睨みを効かせていてくれたので大丈夫だったんです。でも一人の時に少しでも着飾ると、男の人がたくさん寄ってきて大変なんです。恋人になってくれとか、結婚してほしいとか、それどころか女優にならないかとか……。本当に本当に大変なんです。だから私は地味な服で十分です」
再びミーシャは、深く深くため息をつく。確かにその姿は、見た目だけならば絶世の美少女だった。
昔から「ため息をついた分だけ幸福は逃げていく」ということわざがある。普通顔の私は、ついつい「ミーシャの幸福なんて、さっさと逃げればいいのに」と吐き捨てた。