124 衣替え①
私が目を覚ました時には、人のいる気配を感じなかった居間からおいしそうな匂いがただよってきた。すると午後はグレテルさんの診察以外特に何もしていないというのに、この十二歳の体は成長期らしくすぐにお腹がすいてきた。
普段なら私がベッドから起き上がると、すぐにミーシャが駆けつけて来るのに今回はそれがない。どうしたんだろう……と思いながら、居間につながる扉を開けた。
「おお、ユリアお嬢様。お目覚めですな」
「ヨーゼフ……。おはよう……って、その恰好はどうしたの?」
歳をとって体が小さくなったヨーゼフは、足台に乗って小さなキッチンの前に立ち、鍋をぐるぐるとかきまわしていた。執事は主の身の回りの世話をするのが仕事で、料理はしない。でもヨーゼフは若かった頃、お祖父様と一緒に戦場を駆け巡り食事の世話もしていたそうで、料理が得意だと言っていた。またオルシーニは海辺の街レバンツと王都の中間にある。そのためオルシーニ伯爵家にとある事情で悪評が立つ前は外国からの賓客もよくきていたそうで、若くして執事長になったヨーゼフはその国の料理や酒の研究を熱心に行ったそうだ。なのでヨーゼフが料理をしているのは問題がない。それどころか、ミーシャが料理をするよりもずっといい。
私が驚いたのは、ヨーゼフのその服装だ。いつもの執事服を着替えて、ベージュの半ズボンに南国の果物……たしかパイナップルという名前の果物を一面に型染めした開襟シャツを着ているのだ。そして料理中だからだろうか、前にはミーシャのフリフリエプロン……。
「これですかな? いやあミーシャちゃんが、せっかく海辺の街にお忍びで来たのですから変装(?)をした方がいいと言い出しましてな」
「変装?」
「はい。私達が執事服とメイド服では何かの機会に、ユリアお嬢様がオルシーニ伯爵令嬢だと気付く者がいるかもしれないと……」
確かに身元を隠しているのならば、目立つ執事服とメイド服は着ない方がいい……。それにしても……。
「こんな服は初めて着ましたが……。似合っとりますかのお?」
ヨーゼフは器用に足台の上で、エプロンの裾をにぎりながらクルリと一回転した。
「ぶふぉっ!!!」
思わず令嬢らしくない声が出てしまった。本当に高齢の男性に言うのは失礼かもしれないが……、かわいい! かわいすぎる!!
必死に耐える私の表情を、どう受け取ったのかヨーゼフはショボンとした顔になった。
「違うわ! 似合っているわよ。とってもかわ……素敵よ! いつもと雰囲気が違うから、少しびっくりしただけなの!」
「そ……そうでございますか? それは良かった」
ヨーゼフは、ニパッと笑った。
「それはそうと、他の人は?」
「ああ、クラリッサ様はミードさんの頭を脇に挟んで一階の食堂……今の時間は酒場ですかな、そこへ行きました」
「……酒場はまだ開いていないんじゃ?」
「クラリッサ様には関係がないそうです」
「………………そう」
他に答えようがない。それにしても腕力でミードさんがクラリッサ様に負けるわけがないが、別の物では負けたのだろう。
「ミーシャは?」
「はい。この服や夕食の食材を買っていったん戻って来たんですが、また買い物に出ております」
「いったい何を買いにいったのかしら?」
「……さあ?」
二人して首をかしげた。
「ところでユリアお嬢様。ダンさんの実家やら、街の食堂でやら何かあったようだとミーシャちゃんが言っとりましたが、何があったんですかな?」
「ああ、それね……」
私はヨーゼフと別れてから、ダンの妹であるグレテルさんが発作を起こしたこと、アントン先生が来ていたので先生に任せてガウスと行った食堂でカレーの作り方を教えることになったこと、薬問屋に戻ってきてグレテルさんを診察したはいいが「はぐれ薬師」である事を理由に治療を断られ、二週間以内に薬組合の登録薬師になって治療を受けさせるという約束をしたことを話した。
「ははあ……、カレーに薬組合ですか……。大忙しですなあ……」
「まあね。でもカレーの方はヒントを出すだけだもの。あとは料理人であるラルさん自身で味を極めてもらうしかないわ」
「ヒント……というと、居間に置いてあったあのスパイスのことですかな? しかしあれだけではカレーにはなりませんが……」
「ええ、あとは明日の朝に市場で……、ってヨーゼフはカレーを作れるの?」
「昔、南の大陸からお客様がいらした時に、教えていただきました」
「!!!」
それならば、私よりもヨーゼフの方が知識は上だ。なにせ私は薬師だから材料こそだいたい分かるものの、『前の人生』で私が作ったカレーはラルさんが家庭でも作れるようにとスパイスを配合したカレーミックスだけ。つまりスパイスの配合分量についてはおおよそでしか分からないからだ。
「お願い! 明日は一緒にラルさんのところへ行ってカレーの作り方を教えてあげて!」
「ユリアお嬢様の頼みとあらば、どんなことでもですじゃ」
ヨーゼフは、薄くなった自分の胸をポンと叩いた。
それからしばらくして、ヨーゼフの料理が完成した頃にミーシャが大荷物を持って帰ってきた。その服装を見て、少し残念に思う。
「ミーシャも自分の服を買えばよかったのに……」
ヨーゼフに私服を買ったのだから、ミーシャも自分の服を買っているのだと思っていた。だというのに、ミーシャはエプロンをはずしたメイド服だったのである。
「お嬢様ったら。私の服なんて何枚もいりませんよ~。新しいお洋服なんてこれ一枚で十分です。半袖で涼しいですよ」
ふふっと照れたように、自分の服を手で払った。
「……それ新しく買った服?」
「はい!」
そう言われてみれば、半袖になっている。それに確かにオルシーニ家のメイド服とはわずかにデザインや色合いが違う。しかしやはりメイド服にしか見えない……。
「……」
チラリチラリとこちらをうかがうミーシャ。いつの間にかそばに来たヨーゼフが、肘でつつく。
「……良く似合っているわよ」
「えええ! そうですかあ?」
嬉しそうにスカートの裾をつまんでクルリと回った。さっきのヨーゼフのように。
「ところで、必要なものは買えたの?」
「はい! もちろんです」
なぜかミーシャの目がギランと光った。思わず肌が粟立つ。……いったい何を買ったんだろう?