122 信頼
上級冒険者と特級冒険者との違いについて分かりにくいとのお声があり、
18/8/21 22:50 本文中ほどに「特級冒険者」についての記述を追加しております。
グレテルさんの部屋を出て、薬問屋の店内につながる階段を一人で下りた。ミーシャとガウスはまだダンのお母様の世話が終わっていないようだ。店には店主でダンのお父様が沈痛な顔を浮かべたまま一人で佇んでいた。
私の足音に気付いたのか、ふっと顔を上げる。
「グレテルさんにはダンが付き添っています」
「そうか……」
何か別の事を言いたそうにしているのに、それを必死でこらえている様子だ。本当は魔力栓塞の治療について聞きたいのを我慢しているのだろう。
「グレテルさんの魔力は流れているところがほとんどありません。どこの魔力の通り道も詰まっています。このままではあと一カ月もしないうちに……」
私の声は怒りの形相のダンのお父様に遮られた。
「『はぐれ薬師』のお前に何が分かる⁉ ハッ!! 魔力の通り道だ⁉ アントン先生だってそこまでは分からないのに、そんな出まかせを! 魔力なんてもんは貴族でもない限り感じることさえできない……!!」
私は手の平に小さな火球を浮かべた。一般の人が魔法を見る機会はほとんどないからだろう。ダンのお父様は、赤く光る火の玉を表情の抜け落ちた顔でじっと見つめる。
「私は魔法を使えます。魔法を使える者は、魔力の流れを感じることができるのです」
「……それじゃ」
希望を持ったようダンのお父様は火球に手を伸ばす。しかしすぐに「イヤ」と伸ばした手をぎゅっとにぎりしめた。信じたい……でも信じられないといった様子だ。だから……
「信じてください。私には魔力栓塞の症状をおさえる薬も、根治させる治療法もあります。あとはグレテルさんとご家族が私を信じてくれれば……」
ダンのお父様は、カウンターテーブルを両手で思いきりバンッと叩いた。思わず私も小さな悲鳴を上げてしまう。そんな私をダンのお父様が睨みつけた。
「黙ってくれ! あんたは『はぐれ薬師』とはいえ、俺の息子が信頼して連れてきた人間だ。だからこれでも尊重している方なんだ……。でなければ『はぐれ薬師』なんぞを……」
「グレテルさんも同じことを言いました」
「何を?」
「グレテルさんも『はぐれ薬師』である私の治療を拒否すると」
「グレテルが……?」
ダンのお父様の目が揺れ動く。『はぐれ薬師』は信用できない。でももしかしたら本当に治療できるかもしれないのに、本当に拒否していいのか……。自分に引き続き、治療を受ける本人のグレテルが拒否したら私がいなくなってしまうかもしれない。本当の話なら藁をもすがりたい……そう心が揺れ動いているのだろう。
「ですから私は薬組合に登録されるちゃんとした薬師になります。病状から見てあと二週間以内に登録して私の治療を受けてもらいます!」
つかの間私の言葉に呆然となっていたダンのお父様は、絞り出すようにいった。
「そんなの無理に決まっているじゃないか。『はぐれ薬師』が薬組合に登録するなんて事は今までにあったためしがない。それをたった二週間で……だと?」
「はい。ですからどうかお力を貸してください」
ダンのお父様はしばらく考え込んでから、私に背中を向けた。話に失敗したのだろうか……?
「……どうしてそこまでする? 金か? あいにくだがグレテルの治療のためにウチの金はみんな使ってしまった。金どころか借金まであるありさまだ」
「お金なんていりません」
「じゃあ……ダンか⁉」
「ダン?」
「ダンの気を引くのが狙いか⁉」
「気を引くなんて……。だってダンにはガウスがいますし……」
「ガウス? どうしてガウスの名前が出てくるんだ?」
「え……」
しまった。ダンはお父様にガウスが恋人だとは言っていないのかもしれない。そういえばいつもガウスに恋人だと紹介されると照れて「違う」と言っていたのだった。
「ともかく私はダンを狙ってもいません。むしろダンとガウスには恩返しをしたいんです!」
「恩返し?」
ダンのお父様は私に向き直り、じっと私の目を覗き込む。
「はい。二人とも私が本当に困っている時に力になってくれました……その二人の望みだから……」
『前の人生』では二人は私の保護者として守ってくれた。そしてやり直しをしてからも盗賊の手から私を救い出してくれた。この二人の恩に報いるためにも、グレテルさんに回復して欲しい。
ダンのお父様が視線を外した。
「グフタだ」
「え?」
「私の名前だ。私がグフタで、妻の名前がカーナだ。いつまでもダンのお父様お母様では呼びづらかろう」
名前を教えてくれるというのは、少しは歩み寄ってくれたのだろうか?
「グフタ小父様……」
「ただのグフタでいい」
「ではグフタさんと」
グフタさんは、いかめしい顔で頷いた。
「ところで……ユリアさんといったか」
「はい。ユリアです」
「二週間以内に薬組合に登録する策はあるのか?」
「ええ……。とはいってもグフタさんとアントン先生の協力が必要になりますが……」
「私と、アントン先生の? それはどういう……?」
その時、カランコロンと軽快なベルの音がして店の扉が開いた。
「ああ、いましたねお嬢さん。用事は終わりましたか?」
店に入ってきたのは、オルシーニの冒険者ギルド支部長であるミードさんだった。
今はにこやかな笑顔を浮かべてはいるが、顔にも体にも大小の傷跡が見え隠れし、一見ひょろりとしているように見えるが引き締まった筋肉の中年の男で睨めばかなり怖そうだ。そして左目に片眼鏡をかけ、ツンツン立つ紫がかった灰色の髪を、カチューシャでまとめてオールバックにした洒落者でもある。そんなミードさんは、危険な鴆討伐において私が作った気付け薬の効果でオルシーニの冒険者にただ一人の犠牲者も出さずに成功させたことで私に深く感謝し、忠誠を誓ってくれていた。
「ミードさん。ごめんなさい、まだもう少し……」
グフタさんに目をやると、ミードさんを見て目を丸くしている。
「ミードさんとお知り合いなのですか?」
話しかけても、グフタさんは上気した顔でミードさんを見つめたままだ。ミードさんに聞いても、肩をすくめて首を振られた。
「あの……?」
「本物ですか?」
「え?」
「本物の特級冒険者のミードさんですか?」
ミードさんが鼻の頭をポリっとかいた。
「まあ……、『元』特級冒険者ですがね」
特級冒険者とは、数少ない上級冒険者の中でもさらに際立った成果を残したものに与えられるランクだ。世界でも数人しかいないだろう。
もともとこの国にはダンやガウスのような上級冒険者以上のランクの者は少ない。というのも他の国では上級冒険者といえば準貴族として、特級冒険者であれば下級貴族として扱われるが、この国では魔力がない者はいくら一目置かれているとはいっても貴族との間には越えられない壁があるからだ。そのため力ある冒険者はみなこの国を出て、よその国に行ってしまう。それがこの国に上級以上の冒険者が少ない原因だ。
それなのにオルシーニのような栄えてはいるがそこまで大きくはない街の冒険者ギルド支部長がそんな実力者だったとは……。驚きで声が出なくなった。
グフタさんが興奮気味に両手を前に出す。
「握手してください!」
「いや……、そういうことはちょっと……。どうせなら若くてかわいい女の……」
グフタさんはミードさんのいう事も聞かずに、右手をとってぶんぶんと振り回した。グフタさんも憧れの人を目の前にしてずいぶんな変わりようだ。
「それにしてもミードさんはどんな成果で特級冒険者になることを認められたんですか?」
「知らないのか! まったく今の若い者は!」
大きな声を出したのはグフタさんだ。
「あれは二十年前の話だ。ミードさんは、火山の噴煙の中に住む赤竜の背中に生えるルーン草の採取に成功したんだ!」
「ルーン草ですって⁉」
それは伝説の素材とよばれているものだ。
「分かるか? その話を聞いて冒険者だけじゃなくて薬に携わる、薬問屋も薬師もみんなミードさんに憧れたもんだ」
「……分かります」
私も思わずキラキラした目をミードさんに向けてしまった。
「ところがいつの間にか引退してどこかの街で冒険者ギルドの支部長をしているって噂を聞いたときは、思わず涙したものです」
「どこかの街……今はオルシーニの街の冒険者ギルド支部長をしております」
「オルシーニの……」
グフタさんは、おやっというように私を見る。
「ユリアさんこそ、なんでミードさんと知り合いなんだ?」
「私は……」
「あ、それは私から言いましょう。実は私が支部長を務める冒険者ギルドのメンバー達がユリアさんの作った薬のおかげで命拾いをしましてね……」
ミードさんはその時の様子を事細かに語りだした。口を覆う布に気付け薬をつけたという話の時は、私はそんなつもりはなかったのに……と耳を覆いたくなったがじっと我慢した。
「まさか……鴆の討伐を補助する薬を……?」
グフタさんはミードさんの話を聞く前と聞いたあとでは私を見る目が違っていた。火球を見せた時でもここまでの違いは出なかったのに……。
そうこうしているうちにダンのお母様……えーと確かカーナさんに付き添っていたミーシャとガウスが階段から下りてきた。
「あ、ミードさん。宿に案内をしてもらう前に、すこしこの店で買い物をしたいのだけど」
「ああ、かまわないぜ」
そこで私は明日の朝、ラルさんに手本を見せるためのカレーの材料、つまり生薬でもあるスパイス各種をこの店で購入した。薬問屋では素材の名前をいうと店主が引き出しから出してくれるのだけれど、グフタさんは私を試そうとしてか、一段落ちた素材を出してきたり、同じ素材をいくつか並べてどれがいいものかを当てさせたりした。
私の素材を見る目をグフタさんは信頼してくれるようになったが、おかげで思ったよりもずいふん時間がかかってしまい、私はぐったりと疲れ果ててしまった。
更新が滞ってしまいまして、申し訳ありませんでした。