121 ダンの妹、グレテル
ダンが妹だと紹介した少女は、ミーシャのような健康的な美少女でも、アリーシア先輩のような理知的な美少女でもなく、けだるそうな雰囲気のはかなげな美少女だった。ダンと同じ白っぽい麦わら色の髪は、前髪も後ろ髪も同じ長さで真ん中から二つに分けた前髪を両耳にかけ、けぶるような睫毛に覆われた瞳もダンと同じ澄んだ湖のような薄い水色だが、何故かその瞳を見ると落ち着かない気持ちにさせられた。
ダンが『前の人生』で最初に私に良くしてくれたのは、このグレテルさんと私を重ねたのだそうだ。妹が生きていたらこんな風に苦労していたかもしれないと思うと、つい生きていたら同じ年頃になった私に声をかけたのだという。エンデ様に浮気されてからずっと男性不信だった私も、ダンには男性としてというよりも兄のように慕っていた。ましてや恋人が同性だというのならば警戒する余地もなかった。
あの頃からいつも思っていた。ダンの妹さんって、どんな人だろう……。その妹さんが目の前にいる。
「あの……お兄ちゃん。私、ご挨拶を……」
ダンの妹は自分でベッドから起き上がろうとしたが、腕に力が入らない様子でバランスが崩れるのを、慌ててダンが抱き上げて支えた。
「大丈夫か、グレテル」
「ごめんなさい……」
そう言ってグレテルさんは、ダンの胸に頭をコテンと倒した。その姿勢のまま、グレテルさんはチラリと私を見る。
「はじめまして薬師様。ダンの妹のグレテルです。どうぞ私の事はグレテルとお呼びください」
「分かりましたグレテルさん。では私の事はユリアと……」
「ユリア様……」
グレテルさんは、控えめに笑った。清楚なたたずまいにスズランの花が思い浮かんだ。
「あの……先程発作があったとお聞きしたのですが……」
「ええ……。時々なるんです。胸がドキドキして、息が苦しくて……。でもお兄ちゃんが帰って来てくれたからすっかり良くなりました」
グレテルさんはふわりとした微笑みをダンに向けた。そしてダンは愛情を込めて見つめ返す。その様子はまるで恋人同士のようだ。
「大丈夫だ。さっきも言ったように、このユリアがお前の病気を治してくれるよ」
グレテルさんが、ダンの胸に寄りかかりながら再び私に目を向ける。ダンに向けていた蕩けるような表情とは違い、苛立ったような顔をしている。
「ダン……。その事について相談したいことがあるの」
「相談?」
「少し、二人で話せるかしら?」
ダンにも『はぐれ薬師』であることを説明しなくてはならない。そしてダンのお父様が反対していることも。魔力栓塞の症状を押さえる薬である藍色の薬は鴆の羽が必要だ。それを保管している店主の許可がないと、治療はできない。それをダンに相談しなくてはならないのだ。
「それは構わないが……」
ところがグレテルが大声で割って入った。
「ダメ!」
そして大きくむせこみ始めた。かつてのヨーゼフのような苦しそうな咳をするグレテルさん。
「大丈夫か⁉ また発作か!」
「お……ゲホゲホ……行かない……ゲホゲホゲ……で……」
「何だ? 何が言いたいんだ?」
ダンが折れそうに細いグレテルさんの背中を何度もさする。
「ダン、きっとグレテルさんは『お兄ちゃん行かないで』って言っているのよ」
「……そうなのか?」
グレテルさんは、激しく咳き込みながら頷いた。
「分かった、分かった。どこにも行かないから」
私はグレテルさんに断りを入れて、薬箱の中から聴診器を取り出して服の裾から手を入れて胸と背中の音を聞いた。グレテルさんはされるがままになっている。心雑音が大きい。それに肺からも水泡が弾けるような雑音がする。これでは相当苦しいだろう……。次に全身くまなく私の魔力をわずかに流し、どこでグレテルさんの魔力が詰まっているのかを確認する。こちらも酷い状態だ。魔力が滞っている場所の方が流れているところのよりもずっと多い。
ただ……魔力栓塞の発作とは、塊になった魔力が何かのきっかけで流れて別の通り道を塞ぐことで起こるものだが、今は発作中だというのにその形跡が見つからない。どういうことだろうか……?
「ダン……、アントン先生はさっきの発作のことは何て言っていたの?」
「あ? ああ……。最近いつも出る発作だそうだ。安静にするしかないと言われた。できるだけ本人の気持ちを汲んであげるようにとの事だ……」
アントン先生から見ると、グレテルさんは余命一カ月。治療法もなく回復する見込みもない患者なのだろう。グレテルさんは、ダンの服をぎゅっと引っ張る。
「お兄……ちゃん、……もうどこにも行かないでね」
息を切らせながらグレテルさんは訴えた。ダンが頷くと、咳は治まり呼吸が整った。
「ああ、分かった。でもこのユリアがお前の病気を治したら、お前の方が俺を置いていろいろなところへ行くようになるかもしれないぞ」
冗談めかしたダンの言葉に、グレテルさんはイヤイヤと首を振った。
「行かない! ……行かないもん。グレテル、どこにも行かないもん。お兄ちゃんと一緒にいるもん!」
ダンが苦笑いしながら、私に視線を向ける。
「すまない、ユリア。話はここでしてもらえないか? 治療に関することならグレテルにも聞いてもらいたいんだ」
「……分かったわ」
私は大きく息を吸って、ぐっと力を込めてダンとグレテルさんを見る。
「私は『はぐれ薬師』なの」
「え……? 『はぐれ……薬師』? ユリアが?」
「ええ。ごめんなさい、今まで言う機会がなくて……」
「いや、いい。気にしないでくれ。少し驚いたが、俺はユリア作った薬の効果を見ている。だからそれが問題になるとは思わない」
「でもダンのお父様に治療を拒否されたわ。そしたら藍色の薬も作れないわ」
「父さんが! ……分かった、俺が説得しよう」
「ダメよ、お兄ちゃん!」
「グレテル?」
グレテルさんは、高らかに宣言した。
「私、ユリアさんの治療を拒否します!」
「「え?」」
グレテルさんの宣言に、私だけでなくダンも言葉を無くした。
「だってそうでしょ? 『はぐれ薬師』なんて詐欺師じゃない! お兄ちゃんも騙されているのよ!」
「グレテル! ユリアに失礼だぞ!」
私が伯爵令嬢だと名乗ればこんな事は言われなかったのかもしれないが、素性を隠している以上警戒されるのは仕方がない。
「いいのよ……。信じられない人に治療を任せられないっていうのは分かるわ」
「しかし、このままじゃ……」
「グレテルさん。あなたが治療を拒否するのは私が『はぐれ薬師』だから?」
「……そうよ」
「それなら私が『はぐれ薬師』じゃなくなれば治療を受けてくれる? グレテルさんの体調のことを考えると……そうね、二週間以内に」
「! そんなの無理に決まっているじゃない!!」
「そうだユリア! グレテルの言う通り無理だ!」
「いいえ、私は薬組合に登録して『はぐれ薬師』からちゃんとした薬師になってみせるわ! だからそうなったら治療を受けるって約束して!」
グレテルさんは、必死で考えを巡らせているようだ。少しして、私を正面から睨みつけた。
「……いいわ、約束する。でも出来なかった場合、お兄ちゃんとはもう会わないってユリアさんも約束して。もちろん私が死んだ後も」
「……約束するわ」
ダンが慌てて間に入る。
「そんな約束、意味がないだろ! グレテル、ちゃんとユリアから治療を受けるんだ!」
「いやよ!」
「ダン……。嫌がっている人に無理矢理治療を受けさせる事はできないわ」
「しかし……無理だ……」
「分かってる? この賭けで私が負けて誰が損をするのか。私の治療を『はぐれ薬師』だからって拒否するなら、やるしかないのよ」
ダンははっと顔をこわばらせた。賭けで負けた時に、代償を支払うのは私ではない。私の藍色の薬以外では魔力栓塞の症状を軽減することはできないし、オーク虫の卵を使った治療以外では完治させることは出来ないのだから、私がその賭けに負けたならグレテルさんが自分の命を支払うことになるのだ。
「大丈夫。勝算はあるわ」
「そう……なのか?」
「ええ」
私は『前の人生』でダンの導きで『はぐれ薬師』からちゃんと薬組合に登録して薬師になった経験がある。あの時は、ガウスとアントン先生に薬師が知っておくべき医術を習い、ルイス様の資料で薬を作って実績を作るのに随分時間がかかってしまった。でも今の私なら知識も技術も持っている。あとは薬組合とどうつなぎをつけるかだ……。
…………小姑?