120 ダンの家族
金の華亭で極上の魚料理を食べた私達は、予定よりもずいぶん時間が経ってしまっていることに気が付いた。
「お嬢様、もうそろそろミードさんがお店に迎えに来るのではないでしょうか?」
「そうね……」
「あ……分かりました。では明日の朝、店でお待ちしております」
「ラルさんはまだ帰らないの?」
「はい。一目でもあの人を見れないかと、もう少し粘ってみます」
「そう……」
ラルさんだけが残ったのを見た店の人、多分美人姉妹の妹の方がかなり険しい目でラルさんを見ているけど……恋する男は気付かないのね。
私達は、ダンの実家の薬問屋へ戻る。
カランコロンとベルを鳴らして店に入れば、「いらっしゃいませ」と声をかけて来たのはダンが歳をとったかのような姿の店主だった。ダンのお父様なのだろう。憔悴したような顔をしている。確か『前の人生』ではこの後、妹さんが亡くなられてから相次いでこのお父様もお母様も亡くなられたはずだ。ダンは力尽きたのだろうと言っていた。そのダンも、両親が妹のために取り寄せた高価な薬や治療、それに治癒魔法のためにつくった借金を返すために、一時期この店を閉めて冒険者を続けたそうだ。そして借金を返し終わってからすぐに冒険者を辞めて店を再開したそうだ。そして私と出会った……。
「おじさん、久しぶり」
「ガウスか。さっきは追い出してすまなかったな」
「いいのよ。あの石頭のせいだもの。それで兄さんは?」
「ああ、とっくの昔に帰ったよ」
「じゃあ、発作は落ち着いているのね」
「ああ……」
ダンのお父様は、ガウスとの会話に気もそぞろにチラリチラリと私もミーシャも素通りして外に目を向けていた。
「ガウス……その……例の薬師というのは?」
「ああ、このユリアちゃんよ」
ガウスがにこやかに私の両肩をつかんで、グッとダンのお父様の方に押し出す。ダンのお父様は私の方をチラリと見ただけで、苦笑いを浮かべた。
「冗談はそこまでにしてくれ。薬師はまだ外にいるのか? 私も外に出てお迎えした方がいいだろうな」
私を素通りして、ドアに向かうダンのお父様の足をガウスが止めた。
「もう! 外には誰もいないってば! オルシーニの街を出る時に手紙に書いた魔力栓塞の病気を治せる薬師っていうのは、このユリアちゃんよ!!」
「だから冗談もたいがいに……」
ガウスの本気の目を見て、やっとダンのお父様は私に向き直った。
「本当なのか?」
困惑が伝わってくる。ダンの手紙で私の事を何と伝えたのかは知らないが、十二歳だということは伝えていなかったのだろう。
「薬師のユリアと申します」
「薬師……。すまないが、シャトレーヌの薬容器を見せてもらってもいいだろうか?」
「シャトレーヌを? ええもちろんです」
私がフックから薬容器を取って渡すと、クッと目が細くなった。
「失礼だが……その年で薬師というのは大変珍しいことだ。どちらの師匠について学ばれたのかな?」
「師匠は……」
ルイス様の事を説明するのも、「やり直し」の事を説明するのも難しい。私が言い淀むと、吐き捨てるようにダンのお父様はこう言った。
「シャトレーヌは師匠が独立する弟子に送るものだ。そのため祝いに薬師の持つシャトレーヌには師匠と弟子の名前が彫ってある。見せていただいたこの薬容器にはあなたの名前がない。ということは、このシャトレーヌはあなたのものではないという事だ」
ダンのお父様も、さっきこの店で会った白髪の男性もシャトレーヌを見せろとは、どこの筋の師弟関係かを教えろということだ。誰がどの薬師の弟子だったのかということは薬組合に登録する。しかしルイス様がどういった薬師であったにせよ、会ったこともないのでは私が弟子とは言えない。
「え……ええ。このシャトレーヌは借り受けたものです。あなたがご心配のように、私は薬組合に登録していない『はぐれ薬師』です。ダンのお父様が警戒なさるのも仕方ありません」
ガウスも『はぐれ薬師』という言葉を聞いて目を丸くしてる。『はぐれ薬師』とは師匠について学んだことのない薬師、もしくは師匠についていてもレシピをもらえずに独立を認められないうちに逃げ出した薬師の事だ。効果のない薬を高値で売ったり、毒性がある薬を売ったりとするため詐欺師と同意義として用いられる言葉なのだ。
ダンとガウスがわざわざ私の身元を薬組合で確かめようとしなかったのは、私が身元の確かな伯爵令嬢であることに加え、私の作った薬で筋肥大をしたヘンゼフと魔力栓塞におかされたヨーゼフの症状がおさえられているのをその目で見たからだろう。その後も、私の薬の効果を見ている二人が私に師匠がいるかいないかを気にしたこともなかったので、ついつい二人にも話しそびれていた。
「ここまで来てもらってすまないが……、『はぐれ薬師』に大事な娘の治療を任せるわけには……」
「おじさん! このユリアちゃんは、そんな通り一遍の『はぐれ薬師』なんかじゃないわ! そんなことにこだわっていて治療が間に合わなくなったらどうするのよ⁉」
ぐっと息を詰まらせるダンのお父様。
「…………しかし私は薬問屋だ。薬問屋が『はぐれ薬師』と取引しようものなら、私だって組合の登録を抹消される可能性がある」
「あの子よりも、薬組合の方が大事ってこと⁉」
「そんなわけでは……」
「おじさんじゃ話にならないわ。ユリアちゃん、行きましょう!」
ガウスは店の奥の階段に私の手を引っ張って行った。私の後をミーシャがついて来る。ダンのお父様は、一瞬手を私達の方に伸ばしたがすぐに引き戻した。そして店のカウンターをドンと悔し気に叩いた。
階段を登りながら、ガウスが上を見て言う。
「許してあげてユリアちゃん。おじさんだって、本心ではあの子の病気が治るならユリアちゃんが『はぐれ薬師』だろうが何だろうがどうだっていいのよ。でも……今まであの子の病気を治そうとさんざん手を尽くして、痛い目を見たことも少なくないから……怖いのよ。ユリアちゃんに対する態度は、その怖さの裏返し」
「……大丈夫よ。気にしてないわ。それに私が『はぐれ薬師』なのは本当のことだもの。心配して当然だわ。それよりちゃんと打ち明けていなくてごめんなさい」
「いいのよ。いずれその事も含めて全部話してくれるんでしょ?」
「……約束するわ」
「ええ」
階段を最上階の四階まで一気に登り切った。
コンコンコン!
「はい」
ダンの声が聞こえた。
「私よ」
「ガウスか。入ってくれ」
ガウスがドアを開け。暗いところから明るいところに目をやるとなかなか目が慣れない。何度か目を瞬くと、一気に海が目に飛び込んできた。そしてやっと部屋の中の様子が分かった。海が見える窓際のベッドに少女が一人横たわり、そのベッドの真ん中あたりにダンが座り、少女の手を握っている。枕もとにはご婦人がタライに張った水に額を冷やすためのものだろう布を漬けていた。少女とご婦人は顔が似ている。きっとダンの母親なのだろう……。
「ユリアも来てくれたのか。さっきはすまなかった」
「ダン……」
「お兄ちゃん。お客様?」
ダンが私が見たことのないような温かい顔で、ベッドに横たわる青白い顔の美少女に話しかける。
「ああ。お前を治してくれる薬師だよ」
「治して……くれる?」
「そうだ」
「ダン、この方が?」
「そうです、母さん。見た目は子供ですが、考えられないような力を持った薬師です」
「おお……」
ダンのお母様は、まだ部屋に入ってさえいない私の足元に身を投げた。
「感謝します、感謝します、感謝します、感謝……」
「おばさん! 落ち着いて」
ガウスがダンのお母様の体を立ち上がらせた。しかしダンのお母様は追い詰められた人間のように、疲れ切った顔にただ目だけをギラギラと光らせて私を見ていた。
「あ……あの?」
「感謝します、感謝します、感謝します……」
ダンが大きなため息をつく。
「母さんは、疲れているんだ。母さん、これからこの方が診察をしてくれる。だから静かにして邪魔をしちゃいけないよ。分かるね?」
「ええ、ええ……」
「母さんも少し休んだ方がいいよ」
「でも私が……」
「大丈夫、俺がいるから。このままじゃ母さんの方が倒れちゃうよ。そうなったらみんなが心配するよ」
「え……ええ、そうね」
ダンはガウスに目配せをした。
「すまない、ガウス。母さんを自室に連れて行ってくれないか? 神経が参っているんだ」
ガウスがダンのお母様の肩を優しく抱いて起こす。ガウスだけで大丈夫かしら……?
「ミーシャ。申し訳ないけれどガウスの手伝いをしてくつろげるようにしてきてもらえないかしら」
「かしこまりました」
三人を見送って、私は部屋の中に入り扉を閉めた。扉が閉まった途端に、なんとも言えない圧迫感から逃れられた。
「すまないユリア……。母さんはいつもはこんなんじゃないんだが……」
「ええ。分かっているわ。それより、そちらが?」
「ああ、妹のグレテルだ」
孫の方のヨーゼフの愛称がヘンゼフに決定した時に、「グレテルという妹がいそう」と言って下さる方がいました。「ヘンゼルとグレーテル」のもじりですよね(笑)
ヘンゼフは一人っ子設定なので、誰かの妹にこの名前を使わせていただこうと思い、ずっと温めていた名前です。ご提案ありがとうございました!