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薬師令嬢のやり直し  作者: 宮城野うさぎ
海辺の街・レバンツ編
140/207

119 赤い魚亭のラル

 声の持ち主は、若い男性だ。薄い茶色の帽子を深々と被り、その下から立派なこげ茶色のもみあげが見え隠れしている。目には大きなサングラス。この暑さだというのに、肌を覆い隠す白いローブのような服の下からはよく焼けた茶色い肌が見える。その男が店の影から抜け出すように、ぬっと現れた。



「カレーライスっていうのはどんな味をしているんだ? 見た目は? 材料は?」



 すかさずミーシャが自分の体を私と、よろよろと手を伸ばす男性との間にねじこませて、私を守るように両手を広げる。



「な、なんなんですか! あなた! お嬢様に何かするというのなら大声で叫びます! そうしたら上級冒険者のガウスさんがすぐに助けに来てくれるはずです!」

「私は怪しい人間じゃありません。それより、さっきの話を!」

「十分すぎるほどに怪しいです!」

「だからそんなことよりカレーライスを……」

「そんなことですって!」

「あ……いや、だから……」

「だいたい顔も見せないような不審者、信じられるわけないじゃないですか! すぐそこに上級冒険者の連れがいます。私が大声を上げればすぐにかけつけて、あなたをボコボコにしちゃうんですからね!」



 男性は、慌てて帽子とサングラスを取った。



「すみません、これは変装でして……」

「変装? よけい怪しい!」



 男性はこの場にきてやっとミーシャのいきり立った美しい顔を見たようで、雷に打たれたように固まってしまった。



「大丈夫よ、ミーシャ。この方は怪しい方じゃないわ……多分」



 私の言葉に、その男性はブンブンと首を縦に振る。



「そうです! 私は怪しい人間じゃありません! この店の……『赤の魚亭』の店主、ラルです!」



 男性が指したのは、ガウスが連れて来たレストランの赤い魚の看板だ。私もその赤い魚の看板はよく知っているけれど、店名が違う。そういえば「カレー屋ラル」は『前の人生』で、私が薬師になってしばらくしてから開店したんだったわ。でもさっきの質問といい、まだラルさんはカレーの事を知らないのかしら?残念だわ。レバンツに来たらカレーを食べるのを楽しみにしていたのに。

 ラルさんはダンの薬問屋に生薬でもある質の高いスパイスを買いに来ていたから、何かと顔を会わせる機会もあり、押しが強いが底抜けに明るい人で私は好きだった。

 思わずため息がもれた。



「お嬢様がため息を! おのれ……」



 私のため息のせいで、ミーシャはギリギリと下からラルさんを睨みつける。ラルさんの方は、いくら睨まれているとはいえミーシャのような超絶美少女の顔が間近に迫り、顔を赤らめてあらぬ方向に目を逸らした。



「目を逸らしました。怪しい……」

「あっ! いや、そうじゃなくて……」



 一生懸命否定しようとするものの、そのたびにミーシャの姿が目に入り視線をあちらこちらに散らしてばかりいる。



 そこに店の裏に行っていたガウスが現れた。



「あら! ラルったら、こんなところにいたの?」 

「ガウスさん! お久しぶりです!」

「お久しぶり! 今日、お店は?」

「定休日ですよ」

「定休日なんてあったの?」

「はい、申し訳ありませんが。ところで、こちらのお嬢さん方はガウスさんのお連れの方々ですか?」

「ええ、そうよ。あなたのアクアパッツァを食べさせたくて連れて来たの」

「アクアパッツァ……ですか?」



 そこでラルさんは、大きなため息をついた。



「どうしたの?」



 立ち話もなんだからと、ラルさんは定休日中の店内に私達を招き入れた。

 厨房から出てきた店主は、レモンの薄切りの入った水をたっぷりと水差しに入れて持ってきた。それを目の前で、ガラスのコップに注いでくれる。あいにくラルさんの店では高価な氷の魔道具はもっていないらしく、飲んでさっぱりとした気分になるには少々生ぬるかった。



「それで……いったいどうしたの?」



 同じテーブルの空いている席に腰を下ろしたラルさんは、前髪をかきあげた。



「もうすぐ夏祭りが開かれます」

「もうそんな時期なのね……。早いわあ」

「はい、それで今年は特別企画として料理コンテストが開かれることになりました。優勝賞品は一番街にレストランをオープンできるんです!」

「まあ、それは楽しみ! ラルも、それに出るつもりなの? あなたのアクアパッツァなら……」



 ラルさんは苦い顔をして首を振った。



「私だって、そのつもりでした……。あれを食べるまでは……」



 それからラルさんの話が始まった。ラルさんがこの場所に店を出してから四年。安くて美味いと評判のこの店は、常連客も多く繁盛していたそうだ。自慢の料理は、アクアパッツァ。旬の魚を白ワインと水で煮た料理。貝、トマト、オリーブ、にんにく、ケーパーのうまみを吸った魚はふっくらとし、アンチョビや貝類の塩気だけで余計な調味料は使わない。今の時期なら、魚はスズキ、貝はオオヤシャ貝の稚貝がおいしいのだそうだ。



 話を聞いただけお腹がすいてきた。隣の席に座っているミーシャのお腹からも、ぐうぐうと音がし始めた。誰も何も言えないのは、あまりにもミーシャが澄ました完璧な侍女の顔をしているからだ。ラルさんも横目でミーシャを気にしながら、話を続けた。



「最近になって、この近くにウチと同じような魚料理を出す店が出来たんです。そのせいでだんだんウチの客足が遠のいて行きました。美人姉妹がやっている店だそうで、物珍しさがすんだら客も戻って来ると思っていたんですけれど……」 



 ラルさんはいっこうに増えない客に危機感を抱き、店を休んでその店に行き、おすすめ料理のアクアパッツァを食べたのだそうだ。もちろん帽子とサングラスの変装で。

 まずこの近くで採れた今が旬のスズキは川魚のように泥臭いこともあるが、まったくその臭いはせず、むしろローズマリーの香りが食欲をそそったのだという。白ワインで煮たオオヤシャ貝や野菜からもおいしいスープが染みだし、白身魚のたんぱくな味を引き立てた。なにより自分と違うのは、その味のバランスなのだそうだ。ピタリと好みのところに当ててくる。いつかこう作りたいと思っていた味そのままで、ラルさんはすっかり自信を喪失したのだという。定休日のたびにその店に通っているのだそうだ。変装して。



「あら、でも私はラルのアクアパッツが好きよ」

「……でもガウスさんだって、食べたらあっちの方がおいしいっていうに決まっているんです」

「そんなの分からないいじゃない!」

「そうなんですっては、『金の華亭』の味にはかないませんよ!」

「『金の華亭』?」



 思わず口を出してしまった。



「あら、ユリアちゃん。『金の華亭』を知っているの?」

「え……ええ」



 私にとって『金の華亭』は憧れの店だ。私が『前の人生』で薬師になって十分稼いでも、高級店が軒を連ねる南一番街の「金の華亭」には入れなかったのだから。そういえば「金の華亭」は下町にあったお店だったが、夏祭りのコンテストで優勝して一番街に移転したという話をきいたことがある。



「ラルさん……残念ね」



 残念そうに呟けば「ほらやっぱり」とラルさんは大いに嘆いてみせた。



「ちょっとユリアちゃん、コンテストの前にダメじゃないの」

「あ。ごめんなさい……」



 ラルさんは首を振った。



「いいんです。その代わり、カレーについて教えてください!」



 カレー? いったいなんでまた? さっきもずいぶん食いついてきたけれど。



「カレーライスの話を聞いて、ピンと来たんです。絶対にそれうまいだろ!って」

「これからまったく別の料理を研究してコンテストに出す気? それよりも今あるアクアパッツァに改良を重ねて……」

「それじゃダメなんです! 改良を重ねても、彼女と客を取り合いになっちゃうじゃないですか⁉」

「……彼女?」

「はい!」



 金の華亭をやっているのは年頃の美人姉妹なのだそうだ。その料理を担当している姉は、それはそれは美しく……おまけに自分好みの味を作れて……。



「好きなの?」

「え? いやああ」



 顔を赤くしてポリポリと頭をかくラルさん。



「つまり好きな人と、同じ料理で争ったあげくに自慢の料理で負けるのが嫌だと……。だからカレーを教えて欲しいっていうわけなの?」

「そういうことです」



 だんだんとラルさんからヘンゼフ臭が漂ってきた気がする。

 確かラルさんがカレーに目覚めたのは、失恋して南の大陸を旅してからだったと聞いたことがある。その失恋が金の華亭の姉だったのかは分からないけれど、ラルさんがカレーを知ってその店を開くのは何年か後になるはずだ。



「南の大陸に行く予定はある?」

「ありませんけれど」



 う~ん。正直に言って、カレーを食べたい。

 でも私が作り方を知っているのは、ラルさんが家庭でも作れるようにって開発したカレー粉を使ったカレーだけだ。お店で食べるような素材の甘さと香辛料の香りと辛さが調和してコクがある味とは比べ物にならない。でも……。



「私が教えられるのは、基本的なことだけよ」

「構いません。どっちみち基本以上のものは、自分でみつけるしかないんです」



 大抵の香辛料は生薬としてもダンの店で売られていた。ラルさんはカレー粉が当たって大金持ちになってもダンの店で取引をしていたので、どんな香辛料を使っていたのかはだいたい分かる。薬のレシピと違い、料理のレシピは素材から隠すようなことはしないからだ。



「分かったわ」



 ラルさんに教えるのは材料を揃えて調理する必要があるため、明日の開店前に店で行う約束をして、私達は「金の華亭」にやってきた。もちろん変装したラルさんに連れられて。店に入るなり、挙動不審な動きで厨房の中をのぞき見ようとするラルさん。警戒した目の店員さんの動きを見れば、そのラルさんの動きは恋に焦がれている男性というよりはレシピを盗みに来た同業者に思われているようだ。……残念なラルさん。

 そしてラルさんを叩きのめしたというアクアパッツァは、あれだけラルさんの肩を持っていたというガウスでさえ……。



「おいしい!! なんでこんなに美味しいのかしら? もうこの店以外ではアクアパッツァなんて食べられないわ!」



 と思わず叫んで、ラルさんをどん底に叩き落とした。

 私は……ああ、幸せ!



更新遅れまして申し訳ありませんm(__)m

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