118 下町のレストラン
「それで……お嬢様、この後どうしましょうか? ダンさんの妹さんの診察には時間がかかるでしょうし、せっかくならお買い物でも……」
「ミーシャ、そんな不謹慎な……」
「でもやることがないのは事実じゃないですか?」
「まあ……そうよね」
私は階段の上に視線をやる。きっとアントン先生が診てくれるなら安心だろう。
「それにお嬢様は、『前の人生』とやらではこの辺りに住んでいたんですよね? そしたら美味しいレストランや可愛いものが売っているお店なんていっぱい知っているんじゃないですか?」
「え……ええ、まあ。でも今そのお店がやっているかどうかは……、『前の人生』っていっても今現在からしたら未来に当たるわけだし……」
「じゃあ、お嬢様が知る老舗だったらあるんじゃないですか? 美味しい物を食べに行きましょうよ~。海の幸! 異国の食べ物! ああ心躍ります……」
「それはそうだけど……」
私はまだこの場から離れるつもりはないというのに、ミーシャはどんどん勝手な方向に話を進めて行く。
と、そこに不機嫌そうに足を踏み鳴らしながらガウスが階段から降りてきた。
「どうしたの、ガウス? もうアントン先生の診察は終わったの?」
ギロリとガウスが私を睨む。
「ユリアちゃん、あなたなんで私の兄の名前が『アントン』だなんて知っているのよ」
「それは、さっきダンが……」
「言ってないわ」
「……」
何かを考えながらじっと私を見るガウスの視線に、思ず口を開きかけた。が、ふんと視線を逸らされる。
「いいわよ。ユリアちゃんが何か秘密があることは知っているもの。でも、いつか話してちょうだいね」
ガウスは……気付いていたのか……。
「分かったわ」
こちらに視線を戻したガウスは、コクッと頷いた。
「ところで妹さんの様子は……」
「ああ、私もチラリと見たけど大丈夫よ。それに兄さん腕は確かだから……。でもユリアちゃんみたいに魔力栓塞の治療法を持っているわけじゃないから、発作を抑えるのが精一杯。本当はすぐにでもユリアちゃんに薬を作って欲しいところなんだけれど、店の貸調合室や素材を使う許可はダンのご両親から得なくちゃいけないから、もう少し落ち着いてからじゃなくちゃ……。私が言うのもなんだけれど、ごめんなさいね」
「いいのよ。当然のことだわ。ところで、なんでガウスは一人で下りて来たの?」
ガウスは、階上を見上げて悔しそうな声を出す。
「あの石頭! 家族以外は出ていけって言うのよ! ダンの妹なら、私の妹も同じなのに!」
「『石頭』ってアントン先生の事?」
「ええ、もちろんよ。私だって医師の資格を持っているのよ! 一緒に診察したって……」
ミーシャが素っ頓狂な声を上げる。
「ええええ! ガウスさんてお医者さんなんですか?」
「ええそうよ。医者兼冒険者なんてなかなかいないから、依頼最中にパーティで病人や怪我人が出た時には重宝がられるわ」
「そうなんですか! お強いだけじゃなくて、頭もいいんですね!」
「まあ……ね」
ガウスは、直接的なミーシャの誉め言葉に機嫌を治す。
「お嬢様は、ガウスさんがお医者様だって事を知っていらっしゃいましたか?」
「ええ。まあ……」
ふいにガウスの目が険しくなるが、そのまま黙っていてくれた。これもさっきの約束通り、いつか話してくれると信じてくれたのだろう。もし、私の診察の先生がアントン先生とガウスだったと知ったらどういう反応をするだろうか? その時のガウスの表情を想像してつい表情が緩む。
「でも……まあね、修道院の時のように大勢の患者を見るなら医師や薬師が何人かはいてもいいけれど、一人の患者を複数で診たら混乱してしまうかもしれないわ。だからダンもユリアちゃんを店に置いて行ったわけだし……。分かってはいるんだけど、あの唐変木の言い方ときたら……! 結局、家族が冒険者なんてしているのが気に入らないのよ!」
話を元に戻して、ガウスは兄のアントンについて腕を組みながら頬を膨らませている。
「まあまあ、落ち着いて」
「落ち着いてるわよ!」
言葉とは反対に、またもやガウスは口を尖らせる。
「そういえば、さっきガウスも妹さんの様子を見たっていったけど、どんな感じなのかしら?」
「そうね……経過としては良くないわ。だんだん悪くなっている。でも今日のは……」
ガウスは難しそうに顔をしかめた。
「今日のは? いつもと違う症状だったの?」
「いいえ、そういうわけじゃないのよ。大丈夫、大丈夫よ。今のところ、心配しないで!」
そして急に「そうだ!」と言って破顔した。
「さっき、あなたち『美味しい物を食べに行こう』って話をしていたわね。いいわ、それに私も混ぜてちょうだい!」
「ええ、ガウスさんもですか⁉」
何故かミーシャはとても嬉しそうである。そして私の袖を引っ張り……。
「お嬢様……!」
上目遣いで、睫毛をしばたたかせる。そこまではいいのだが、ミーシャのお腹からグウウっと海獣の唸り声のような音がした。
「お嬢様……」
今度は涙目のミーシャである。
「……分かったわ。でも遠くには行けないわよ。ダンの妹さんの具合が気になるもの」
「「やったああ!」」
◇◇◇
南五番街のすぐ先は、漁師や船の荷運びの仕事をしている者たちが多く暮らす下町だ。気はいいが、酒にはだらしない男達が昼間からなじみの店て酒を飲み、その女房達が尻を蹴り飛ばす光景があちらこちらに見られるような、雑多で陽気な街並みである。値段は抑えめ、だけど味はとびきり美味い店はあちらこちらにある。
「ユリアちゃんと、ミーシャちゃんはこの街は初めてでしょ? なら魚料理の店がいいわね」
こっちこっちとガウスが先導する。まだダンの妹さんに関しての今後の方針も決まらないというのに、薬問屋からどんどんダンの実家から離れていくのが心配だ。でも、この辺りは『前の人生』で私には通り慣れた道だ。住んでいる人や店は同じではないようだが街並み自体は変わっていないようで、地理感はあるからから安心だ。
「ここ! ここよ! 久しぶりにきたけど、ここの旬の魚のアクアパッツァときたら……。あら?」
ガウスが連れて来たのは、明るい裏通りにあるレストランだった。魚の形の看板が軒下に下がってはいるものの、店が開いている気配がない。
「お休みかしら?」
首を捻ったガウスは、私達にここで待つように言って店の裏を見に行った。
「お嬢様は、このお店をご存じですか?」
「ええ……。でもここのお店の名物はアクアパッツァじゃなかったんだけど……」
「何が名物なんです?」
「ああカレーっていって、南の大陸のスパイスを存分に使った香り高くて辛くて……、でもうまみがぎゅっと濃縮された料理よ。こんな暑い時期に、辛い物を食べると体が熱くなっていっぱい汗が出るんだけど、汗が出ると体がすっきりとするの。そして何故だか口に運ぶスプーンは皿が空になるまで止まらないのよ!」
「そんな食べ物があるんですか⁉ 早く食べてみたいです~」
「ええ。ここのカレーそれも東の島国から輸入したライスにかけたカレーライスは絶品よ! 食べ終わったらすぐにまた食べたくなてしまうくらい美味しいの!」
「「カレーライス……」」
ミーシャの声に誰か別の男性の声が唱和した。
「誰⁉」
ここにきて、カレーライスをぶち込んでみました。
だってスパイスって生薬だもの♪