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110 サクラのシャトレーヌ


「これで、リンドウラ・エリクシルは無害な酒になった。どうだ。想像していたのと違ったか?」

「……」


 私は、そうだとも、違うともいえなくて、ただ首を振った。オーク虫の卵に浄化作用があることは、私も知っていた。でも、こんな風に、浄化した後の卵が羽化して飛び立つなんて知りもしなかったことだからだ。

 クラリッサ様は、ふっと笑い、肩のオーク虫の女王の鼻面をなでた。


「それにしても、オーク虫の女王……クラリッサ様の『従魔』はすごいですね」


 クラリッサ様は、私が何を言い出したのかという顔をした。


「……は? 『従魔』? こいつは虫だぞ。魔物でもないのに従魔になんかなるわけないじゃないか」


 私の方は、クラリッサ様がオーク虫の女王を、従魔ではないと思っていることに驚きだ。近くにいた、アリーシア先輩も、驚いた顔をして蛇型魔物の従魔リフと顔を見合わせている。


「え? そのオーク虫は、明らかに普通の虫から魔物に変化していますよ。だって、その大きさは……」

「でかいだけだろ。これで、たまに私と同じものを食べる以外に何も食べないんだ。どうやってここまでおおきくなったんだか」

「……魔力を与えていたからではありませんか?」

「ああ。確かに、オーク虫には魔力を与えている。こいつだけではなく、この畑のオークアップル全体にもだがな」

「でも、声を理解していますよね?」

「ああ。何故かこいつと私は心が通じるんだ」


 アリーシア先輩が、クラリッサ様に困ったように声をかける。


「あの……、クラリッサ様。従魔ってどういうものかご存知ですか?」

「ああ。知ってるぞ。アリーシアのリフのようなものだろ」

「ですから、私とリフの間のつながりについては、どういったものかご存知ですか?」

「知らん!」

「……そうですか」


 困ったようにアリーシア先輩が、私を見る。でも、私は首を振った。私の知識だけで答えるよりは、実際に従魔のいるアリーシア先輩が答えた方がいい。そう、目でつたえると、アリーシア先輩はがっくりと肩を落とした。


「私は幼い時に、産まれてすぐに兄弟に傷付けられたリフに出会いました。私は、自分の寂しさを紛らわすために、リフの手当てをしました。最初は、警戒していたリフですが、心を込めて看病するうちに、心を開いてくれました。その時から、私はリフの声が聞こえるようになったのです。この『声が聞こえる』というのが、従魔になったことの第一歩です。あとは、常に一緒にいるようになり、私の魔力を食べるようになりと、最終的には、一心同体の存在となりました。それが『従魔』です」


 一気に言い切ったアリーシア先輩は、クラリッサ様に「同じでしょ?」と首を傾げて微笑んだ。驚いたクラリッサ様は、ポカンと口をあけた。


「そりゃ、同じだが、しかし、こいつは魔物じゃ……」

「声が聞こえるのでしたら、ご本人……この場合はご本虫でしょうか? 聞いてみたらいかがですか?」

「あ……ああ。なあ、お前、お前は私の従魔なのか?」


 オーク虫の女王は「チチ」っと鳴く。その瞬間、クラリッサ様は目を見開いた。


「こ、こいつは、私の従魔だそうだ」


 アリーシア先輩は、クラリッサ様の呆然とした顔をよそに、にっこりと笑った。


「やはり、そうですね。では、従魔でしたら名前をお付けになったらいかがですか?」

「名前か……。私は、そういうを考えるのは苦手なんだ。アリーシア、ユリア、いい名前はないか?」


 口からすっと「レジーナ」という名前が出て来た。


「レジーナ?」

「はい……。レジーナは『女王』という意味です。オーク虫の女王の名前としては相応しいのではないでしょうか?」

「そうか……。レジーナか……。レジーナ、お前の名前はレジーナだぞ!」


 オーク虫の女王・レジーナは嬉しそうに「チチ」と泣きながら飛び回った。


 クラリッサ様とレジーナの様子を見て、羨ましさが沸き起こった。

 私にも、『前の人生』で一緒に暮らしていた魔物がいた。赤目に黒い体の大型犬型魔物のルーだ。知性の高い魔物は人語を理解し、話す場合もある。ルーは確かに知性は高く、私の言葉をルーは理解していたが、私はルーの言葉が分からなかった。

 ルーが従魔だったら、どんなに良かったか……。今頃、ルーはどこにいるんだろう? 私の事は、覚えていないだろうけど、会いたい……。


 院長が、パンッと手を打った。思わずハッとした。


「さあ、これでお酒の準備は出来たわね。でも、念のためクラリッサ、味見してくれる?」

「ああ。分かった」


 柄杓になみなみと注いだリンドウラ・エリクシルは、透き通った緑に輝いていた。そこに、クラリッサはゆっくり口をつける。ごくごくと飲み鳴らし、最後にくっと柄杓をひっくり返した。


「どう、クラリッサ?」

「う……ん、これ、味に深みが増して、今までよりうまくなってるぞ!」

「味が変わったってこと?」

「ああ。カイヤが入れた毒が、無害化して、味に深みが加わったんだ。きっと」


 そう言いながら、クラリッサ様はもう一杯、柄杓をリンドウラ・エリクシルで満たし、すぐに空にした。


「これで、私が明日まで体調が変わらなかったら、問題ないということだな」

「そういう事になりますね。申し訳ありませんが、今日はお部屋の側に、うちの護衛を付かせてもよろしいでしょうか?」

「ああ。頼む」

「ところで、ユリアちゃん。少し、お願いがあるの?」

「なんでしょうか、院長?」

「ちょっと、目をつむっていてくれる?」

「え……ああ、はい。分かりました」


 指示にしたがい、目をつむっていると、シャランと涼し気な音がした。聞き覚えがあるこの音……、何の音だったか……。


「いいわ、目を開けてちょうだい」

「!!」


 私の目の前には、シャトレーヌがあった。

 シャトレーヌとは、ベルトに差し込むフックと釣り下がる複数の鎖、そしてその鎖の先の容器で構成されている装飾具だ。もともとその鎖の下の容器には裁縫道具を入れるものだったのだが、サクラが故国から持ち込んだシャトレーヌには、裁縫道具ではなく携帯薬などの容器がついていた。そして今ではシャトレーヌといえばすっかり「薬師」の象徴だ。

 今、目の前にあるシャトレーヌは、細かな傷がたくさん付いているが、一つ一つの薬容器に見たことがない優美な植物の彫刻があり、実に高価そうに見える。


「これを、ユリアちゃんに」


 院長は、ベルトを私の腰に回してくれた。


「え……このシャトレーヌを私に?」

「ええ。この修道院の危機を救ってくれ、共に戦ってれると決意してくれたことのお礼よ。このシャトレーヌは、最初の薬師・サクラが使っていたものなの」

「ええ‼ そんな大切なものを私に⁉」

「ええ。大切なものだからよ。このシャトレーヌは、レシピを改造してリンドウラ・エリクシルというお酒のレシピに変えた百五十年前の薬師も、その功績をたたえて使っていたそうよ。この修道院に大きな功績を残した薬師は、このシャトレーヌを使う資格と、あの忘備録とサクラのレシピ本を使う権利があるの」

「私にもそんな資格があるのでしょうか?」

「ええ。あるわ。でも、もし途中で気が変わったなら、このシャトレーヌを修道院に返してね」

「気が変わるなんて、ありません」

「なら、使ってちょうだい。何でも、つたえ聞いたところによると、そのシャトレーヌはそれ自体が魔道具になっているらしいわ」

「魔道具?」

「ええ。でも、どういった働きをする魔道具なのかは分からないの。使い方が分かるといいんだけど……。ごめんなさいね。そこまでは、私達に伝わっていないの」

「いいえ。構いません。この歴史あるシャトレーヌを使えるだけで、嬉しいです」


 私は、シャトレーヌの薬容器を手に取った。見慣れぬ植物の彫刻の脇に「サクラ」と書いてある。その見慣れぬ植物は、私が迷いの森の中で自由に行き来するための護符の紋章にも似ていた。

 そのサクラの文字のすぐ近くに、薄くなった別の彫りこみを見つけた。

 確か、このシャトレーヌは、その師匠がサクラに贈ったものだったはずだ。今でも、独り立ちする薬師には、師匠の名を彫ったシャトレーヌが贈られる。きっと、その薄い彫りこみはサクラの師匠のものだろう。

 そういえば、サクラの師匠が聴拡丸や、筋肥丸、体力・魔力回復ポーションを開発したという話だった。きっとあのオークアップル畑の真ん中にある机のレシピに、その三百年前のレシピがそのまま残されているかもしれない。

 本当に「御使い」の異名に相応しいのは、私なんかよりも、その薬師だ。

 薄くなったその彫りこみを、丁寧に指でなぞった。


「ル……イ……ズ? いいえ、ルイスって書いてあるわ」


 ルイス……。ルイス様と同じ名前。私にとっての薬の師匠は、ルイス様。サクラと私の師匠の名前が一緒だなんて……。そんな偶然の一致に、胸が熱くなった。


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