101 出入り口の謎
私達三人は反省室に向かった。修道院の中で地下の一番低い場所にある部屋だ。
灯りなどはなく、ランプの光を頼りに歩く。途中でカサカサと音を立てるのは、蜘蛛だろうか? ほこりと塵の臭いがした。
「お嬢様~、なんか、ここ、嫌です」
「……幽霊が出るそうよ」
「いやあああああ!」
今の私は、『前の人生』で幽霊が怖くて泣きわめいていたほど初心ではない。怖いのは幽霊よりも生きた人間だ。とはいっても、不気味な気配は私も感じる。
「きゃああ、お嬢様ーーーー」
反省室の鉄格子を目前にして、ひっしとミーシャが抱き着いてくる。引き剝がそうとしても、力が強くてなかなか剝がせない。
ダンは、しきりと床を観察していた。
「何か気になる事がある?」
「いや……、ああ。ここには、つい最近人が来た痕跡がある」
「こんなところに?」
「ああ……。足跡からすると、女が一人といったところだろうがな」
誰か下働きが仕事をさぼりにきたのだろうか? こんな場所で? 私の腕にしがみつくミーシャを見て、それはないだろうと思った。その件は置いておいて、ダンに頼みごとを一つする。
「この部屋のどこかに、外へ通じる何かがあるはずなの。床や壁に何か仕掛けがないか調べてもらえないかしら?」
「……ああ。そういうのは本当はガウスの得意分野なんだがな」
頭をポリッとダンはかく。聞けば、遺跡調査では罠が仕掛けられている物も多く、依頼達成には罠探知が必要な技術だが、ガウスに任せきりで、ダンは基本的な罠しか見分けられないそうだ。
それでも念入りに、床や壁をダンが叩いたり、撫でたりしていると、ほどなくしてガゴンと音がして床の一部が斜めに落ち、かなり大きな穴ができた。
「きゃああ!」
そんな気はしていたが、ミーシャが足を滑らせて斜めになった床から滑り落ちそうになる。あわててダンがミーシャを引き上げた。そして、床の穴をのぞき込みながら言う。
「この落とし穴が、ユリアの探していた別の出入り口か……」
「多分、そうよ」
私は錯乱状態の時に、いきなり真っ暗な水の中へ、外へと放り出されてしまったために記憶にはないが、これが出入り口に違いない。体を伸ばし首を下げて、その穴の先を見れば、崖の中腹につながっているのだろう、確かにキラキラ光る湖面が見えた。
ダンは鉄格子に綱を結び、反対の端を自分の体に巻き付けた。そして穴の中に体を滑らせる。急斜面だが、ピンと張った縄をつたい、斜面に足をしっかりつけて少しずつ下りていく。そして出入り口の部分を確認してまた反省室に戻ってきた。
ダンは渋い顔をしている。
「どうしたの? 出入り口に問題でもあった?」
「いや……」
ダンは首を振りかけたが、思い直したようだ。
「ああそうだ。問題がある」
「いったいどんな?」
ダンは床に穴が開く直前に触っていた場所をしつこいほど観察した。
「やっぱり。この出入り口は、本来なら鍵となる魔道具があって開く物だ」
「え……でも、そんな物ないわ」
「ああ。古くて整備されていないせいか、前回使ってから完全に閉じていなかったらしい。それで開いたんだ」
私があれだけ自信たっぷりにあると言った出入り口は、本来なら開くはずがないものだった。
その事実に呆然としてしまった。さらにダンは驚く事を言う。
私が『前の人生』でこの穴から落ちたのは、ダンが言う通り完全に閉じてなかったから暗闇の中やみくもに動き回ったせいで開いたのだろうか?
「この穴の先から、崖下まで縄梯子が下りていた」
「縄梯子が?」
「ああ、真新しい物だ。それに、さっきの足跡。実はこの落とし穴の仕掛けにもごく最近使った跡がある。多分、カイヤだろう」
「カイヤはここから逃げたっていうの?」
「多分、そうだろう」
何故、カイヤはこの出入り口を知っていたんだろうか? ダンが苦々しく口を開く。
「ユリア、この穴はなんの穴だと思う?」
「何のって……さあ? 考えた事もないわ」
ダンは言おうか言うまいか逡巡した後、私に視線を向けた。
「これは、多分、死体を捨てるための穴だ」
「!」
「ユリアの話を聞いて考えていた。その薬師の一族が刑務所でしていた実験というのは、要は人体実験なのだろうと。そんな実験が穏便に済むはずがない。死者が出たはずだ。それをこの穴から湖に捨てていたのだろうな」
「そんな!」
確かにこの穴は、荷物を運搬するには小さく、床からの斜面は何かを湖に投げ落とすのに適している。でも、まさか死体を?
「それだけじゃない。この建物がいつ建てられたかは分からないが、随分古い物のようだ。こうした仕掛けは、後から作る事なんて、できる物じゃない。と、すると、刑務所を建てた時には、ここで人体実験をして失敗……もしくは成功してできた死体を捨てるための仕掛けを最初から用意していた事だ」
「それは……かなりの権力を持っていなとできない事だわ」
「ああ。持っていたんだろう。相当な権力を」
「でも、そんな権力を持っていても、その一族はこの修道院の初代院長と、その協力者の旅の薬師に皆殺しにされたそうよ……」
そんな疑問をダンにぶつけると、事もなげな返事が返ってきた。
「その時に、この出入口から逃げた生き残りがいたんじゃないか? だからその子孫であるカイヤが出入り口の事を知っていたり、鍵を持っていたと考えれば辻褄があう」
「生き残り……」
「ところで、今、思い出したんだが……、東の大国に毒や病原体を扱う薬師の一族がいるという噂を聞いたことがある」
「……それがカイヤの一族のことかもしれないとダンは思うの?」
ダンはかぶりを振った。ただ気になるだけだ……とダンは付け加えた。
「それよりも、俺が不思議なのは、なんでユリアがこんなにいろいろ知っているかって事だよ」
私の『前の人生』について知らないダンにしてみたら、当たり前の疑問だろう。でも、私の『前の人生』の話をしてもいいんだろうか。深くかかわっていなかったロベルトでさえ、私が違う人生を歩みだした事で、命を無くしてしまった。それなのに、ずっと深くかかわってきたダンが……。それに何を馬鹿なことをと言われてしまうかもしれない。
受け入れてもらえない心配と、受け入れてもらいたい希望の天秤がゆらゆらと動く。
「この件が終わったらでいいかしら?」
「……ああ、頼むよ。俺も、気付かないふりをするのは限界だ」
ホッとした表情のダンは、情けない顔をした私の頭の上に、ポンッと手を置いた。
「さて、ガウスとヘンゼフ君に連絡を取るか。日陰だから鏡は使えないな。よし、二人とも廊下の方まで下がっていてくれ」
私達が指示に従って、遠くに離れると、ダンは剣に巻いてあった飾り紐から芯を抜き取ると、その芯に火をつけた。
「きゃあ」
ミーシャが悲鳴を上げるのも仕方がない。火がついた芯からは、真っ赤な煙が立ち上ったのだ。すぐにけほけほと咳き込みながら、ダンも私達の後を追ってきた。
「あの煙を見れば、ガウスとヘンゼフ君が登って来るだろう」
「そうね」
その予想は当たり、そんなに間を置かずに、赤い煙の中から紫の髪のスラリとしたガウスと、顔は童顔だが体は牛程もあるヘンゼフが現れた。
「ガウスさん!」
ミーシャの驚く声を無視して、ガウスはダンに抱き着く。
「お久しぶり! ダン」
ミーシャに名前を呼ばれなかったヘンゼフは大きな体の上でいつも通りの童顔をしょんぼりさせた。
「俺、いる」
ヘンゼフはミーシャの額を見て、顔色を変えた。バッと風を切る音をさせてヘンゼフは私の方に向き直る。
「大丈夫よ」
「それ、ホント?」
「ええ……。ところでヘンゼフ。前から気になっていたんだけど、あなた普通に話せるはずよね?」
ぽかんとするヘンゼフ
「筋肥丸を飲んだからって、言語機能は普通のはずよ」
「え?」
ヘンゼフが素っ頓狂な声を出す。多少、声が低くなったが、体が大きくなってもカタコトになったり、しかめつらしい声を出す必要はないのだ。
「気付かなかった?」
「……はい」
いくぶん、しょんぼりしたヘンゼフであった。
申し訳ありません。多忙につき、感想返しが遅れますm(__)m