99 オーク虫の女王
「……それで、食中毒の騒ぎはカイヤの仕業なのか?」
「はい。それは間違いないと思います」
「そうか……。だからこいつらがこんなに警戒していたんだな」
「『警戒』という事は、普段からオーク虫の大群がうごめくようなお部屋ではないという事ですか⁉」
私が意気込んでそう尋ねると、当たり前だろ、と呆れたような返事があった。
「それにしても、何故そんな事をやつはしたんだ?」
体調の悪いクラリッサ様に、母親である院長に行われた無残な仕打ちを言うのがためらわれた。どう伝えようか考えあぐねていると、クラリッサ様は重荷を投げ出したようなため息をついた。
「リンドウラ・エリクシルの元になったレシピか……」
「……はい」
「それを知っているという事は……、ユリアも見たんだな、院長の……母様の背中を」
クラリッサ様は上体を起こし、重く、暗い目で私をねめつける。我知らず、冷や汗が背筋を伝った。
先に目を逸らしたのは、クラリッサ様だ。ほんのわずかな時間なのに、ひどく長く感じる、息の詰まるような時間だった。
「それで?」
「え……? それで、とは?」
「母様の背中を見る事態とは、どんな状況なのか説明してくれ」
「あ……はい」
なるべく穏便に院長の背中の皮が剝がされた事を伝えようとしたが、そんな事は無理だった。クラリッサ様の目がカッと見開く。
「母様は大丈夫か⁉」
クラリッサ様の感情に反応したかのように、いったんは静まり返った部屋の空気がヴヴヴッと振動した。思わず鳥肌が立つ。ベッドのヘッドボードにとまったオーク虫も目が赤くなっていた。ひいいいい!
「だ、大丈夫です! 傷も治りましたので、今は自室で休んでおられます!」
周りをキョロキョロ見回しながら答えれば、「そうか」というホッとした声と共に、虫の羽音は無くなった。
虚脱したクラリッサ様が、ベッドにその身を投げ出した。そして大柄な体には意外なくらい、細く長い指先ではちみつ色の髪をかき上げる。
「よかった……。今までの話だと、母様を治したのはアリーシアの治癒魔法か?」
「あ……、いいえ。実は、私もカイヤに毒を飲まされて、瀕死のところをアリーシア様に救ってもらったのです。アリーシア様の治癒魔法は私に……」
「毒だと! 大丈夫なのか?」
「はい。この通りです」
「そうか……。まあ、アリーシアの治癒魔法なら確かに大丈夫だろう。しかし、それでは母様の傷はいったいどうやって治したんだ?」
心底不思議そうな顔で、首をかしげた。
「ああ、それは私の作った傷薬です」
「ユリアが作った?」
「ええ。私は薬師ですから」
「真剣に聞いているのだぞ。今は冗談を言うところではない」
きつい声が返ってきた。
「冗談ではありません。私は薬師なのです。もともと、何故この修道院に治癒魔法をかけてもらいに来たのかお父様からお聞きになっていないのですか?」
「……ゴッソからの手紙では、盗賊が屋敷に押し入り、それを撃退したがユリアに変な評判が立つのを恐れたからと」
私を気遣うように優し気な口調で、クラリッサ様は言った。
……お父様、どうやら思いっきり誤解を受けているようなんですけれど!
一つ咳ばらいをして、説明を始めた。
「確かに盗賊が屋敷に押し入ったのは本当です。そして、それを撃退……私は自分で作った薬を使って盗賊の力を削いだだけで、撃退してくれたのは今回同行している冒険者のダン達です。ちょうど同じ時、護衛を含めて領兵や冒険者達は魔物の討伐に出向いていました。その討伐にも、私が作った薬が使われ、討伐成功しました」
正確に言うと、私の作った薬は目的の使い方をされなかったけれど、討伐の役には立っただけど。でもクラリッサ様は、私の話を聞いて目を丸くしている。
「悪い評判というのも、私の薬が効きすぎて、その……『御使い』との評判が立ってしまったからです」
「『御使い』? 赤の御使いの事か? そりゃ……なんとも……」
言いづらい事を吐き出すと、苦いものを飲み込むような表情で、クラリッサ様はオーク虫と顔を見合わせた。
「赤の御使い」とは、教会の教えにもある。創世の女神から遣わされた、三人の御使いの内の一人だ。赤の御使いは技術を人に教え、青の御使いは魔法を教え、緑の御使いは人々に信仰を教えたと言われている。
赤い御使いが教える技術の中には、工業、農業、魔道具作成、医療、そして薬の調合の技術も含まれる。それらは魔力を持たない平民でも、もたらされる恩寵であり、平民が御使いといえば、この赤い御使いのことである。逸話はもう一つある。薬師はレシピを師匠から受け継ぐのだが、そうして師匠の師匠、そしてその師匠をたどれば、最後に一人の薬師にたどり着くと言われている。その最初の薬師が、赤の御使いだ。
「ユリアが薬師……それも腕利きの……。そうか……」
クラリッサ様は、ガバッとベッドの上で姿勢を正した。
「感謝する!」
「いえ、そんな……」
「いいや、母を救ってくれてありがとう! この礼は何でもする。本当に感謝している」
「私だって、アリーシア様に助けてもらった身です。お礼ならアリーシア様に……」
「ああ。あいつも、よく頑張ってくれたようだな」
やっとクラリッサ様の顔に笑顔が戻った。大柄で派手な美人のクラリッサ様がほんの少し微笑まれただけで、一気に華が咲いたような雰囲気になった。そして、ふっと力を抜くと、今度は静かにベッドに横たわり、呆けたように宙を見つめた。
「実のところ……レシピが奪われてホッとしている部分もあるんだ。あのレシピは、リンドウラ修道院の重荷でもあったからな」
それはそれは小さな呟きだった。
「重荷……ですか?」
「ああ。考えてもみろ、エリクサーまであと一歩なんて言われる薬のレシピだぞ。それを作れもしないのに、ただ延々と受け継がなくてはいけないんだ。それに、レシピを盗み見た者は、殺せとの教会上層部からの命令もある。どうだ、重荷だろう?」
薬師にとっては自分のレシピはその命とも等しい。でもそれ以外の者にとっては、教会上層部からの命令がなかったとしても重荷だろう。
「お前もあの背中の模様を見ただろう? あれは刺青に見えるが、違うんだ。魔法で転記してあるんだ。レシピの持ち主が死ねば、勝手に消えるようになっている。もしユリアが母様を助けなかったら、カイヤはせっかく盗んだレシピが消えて驚く事になっただろうな」
「死ねば、消える……?」
「ああ。代々受け継がれてきたレシピだ。そのくらいの小細工はするさ。でも、母様は助かった。だから、レシピはカイヤのものだ」
私が知っている未来と、またズレが生じた事が分かった。私がここにいなかったら、カイヤはそのレシピを手にしても、解読して自分のものにする事はできなかったかもしれないのだ。
「そんな顔をするな! さっきも言っただろ? あのレシピは重荷だったって」
「え……ええ。でも……」
「大丈夫だ。それに、あのレシピだけじゃ、薬は作れないはずだ」
「え? そうなのですか?」
「ああ、カイヤは知らなかったようだが、いったいなんのために『三人の聖女』なんて呼ばれていると思っているんだ」
「という事は……やはり『三人の聖女』はリンドウラ・エリクシルの仕上げをするだけの存在ではなく、レシピを守るためなのですか? もしや、三人がそれぞれにレシピを分担して?」
クラリッサ様は、ニヤリと笑いながら黙ってオーク虫を撫でた。それを見て分かった気がする。その薬を作るために、三人が分担するのはレシピだけではない。
「その大きなオーク虫は、クラリッサ様が『三人の聖女』になった時に前任者から引き継がれたものですか?」
今度こそ、満面の笑顔が返ってきた。
「いいや。こいつは、私が『三人の聖女』になった時に生まれたオーク虫の女王だよ」
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