98 目覚めたクラリッサ様
虫、注意!
虫が嫌いな人は、読み飛ばし推奨ですm(__)m
かくいう私も虫が苦手です……(つд⊂)
ガウスとヘンゼフが湖にたどり着くまでには、少し時間がある。クラリッサ様の見舞いに行くと言っても、今度はダンは反対しなかった。「気を付けてやる」とダンが言った以上、何かしら情報収集してるはずだ。しかし何を聞いても困ったような顔をして、大丈夫だ、と言うばかりだった。
クラリッサ様も、カイヤの魔力放散の薬を飲まされていた。どうやら最初に下痢嘔吐の症状が現れた時に、保水と称したのだろう。おかげで治癒魔法をかけられても、魔力切れで意識が戻らなかったのだ。
何故、カイヤがクラリッサ様に魔力放散の薬を飲ませたのか? 多分、カイヤはリーダーシップもあり、治癒魔法の力も強いクラリッサ様を警戒していたからだろう。いずれにせよ、カイヤはあの時にクラリッサ様については何も話していなかった。心配ないといいのだけれど……。
クラリッサ様の部屋の近くに来た時に、ヴウウンという、ただならぬ音に、鳥肌が立った。
「お嬢様、ここ……嫌です!」
珍しく、ミーシャが自分から拒否感を示す。私も同じ気持ちだ。
ダンを見ると、口を『へ』の字に曲げて、頷いていた。
「これって……」
「オーク虫の大群だろう」
ミーシャが恐怖におののいたような声を出す。
「まさか、クラリッサ様はオーク虫に食べられちゃったんじゃ……」
「そんな事、ある訳ないわ! だってオーク虫は草食だもん!」
「じゃあ、なんでこんなにオーク虫が?」
私達は、ごくりと唾を飲み込んだ。
「こ、ここは、一度ノックだけして、返事がなかったら、離れましょう」
魔力切れを起こしているクラリッサ様が返事なんてするはずがない。だから、責務だけ果たして、とっとと離れるつもりだ。「ノックをするんですかあ!」とミーシャは悲鳴を上げたが、具合が悪い人がいるのだ。訪問しない訳にはいかない。
「ミーシャ、お願い!」
「えええ! 私ですかあああ」
泣き顔のミーシャである。ちなみにダンは、少し後ろで腕を組んで立っていた。
コン、コン、コン
返事はない……。方向転換をしようとした瞬間、羽音がぴたりと止まった。
「ひえええ、お嬢様、どうします? 静かになっちゃいましたよ! これはこれで怖いです!」
「お、落ち着いてミーシャ。私も少し怖いわ」
「入れ」
「お嬢様も怖いんですか? だって、お薬の素材とかで虫も扱っているじゃないですか!」
「それはそれ、これはこれなの。素材と思うと、怖いどころか愛しいんだけど、こんな訳の分からない羽音なんて……、怖いに決まっているじゃないの」
「って、お嬢様。さっき何か聞こえませんでしたか? 羽音以外の何かが……」
「え?」
「入れ」
「「ひええええええ。虫がしゃべったああああ」」
ミーシャと抱き合って震える。そこへダンが、若干、頰をひきつらせながら声をかけた。
「あーーーー、ユリア、ミーシャちゃん。虫がしゃべった訳じゃないよ。あの声はクラリッサ様だと思う」
「「クラリッサ様?」」
私とミーシャの声はぴったりと重なった。
「入れ」と言われて、はいそうですかと扉を開けるほどの勇気は私にはなかった。しばらく、扉の前でぐずぐずしていると、前のよりも幾分、ドスのき……いえ、低い声で、再びクラリッサ様が招いた。
「お、お嬢様。覚悟を決めて下さい。私がここで、見張りをしていますから、どおんと中に入っちゃって下さい!」
ミーシャは私の背中を押した。でも……私だって、一人で入るのは怖い!
「ミーシャ、さっき、あなたは『もう二度とお嬢様と離れるつもりはありません!』って言ったわよね」
「ぐぬぬ……」
「さっきは、血の臭いをさせていたから仕方がなかったけれど、今回は大丈夫だから、一緒に入りましょうよ」
私はミーシャの腕を組もうとしたが、するりと逃げられた。
「いいえ。私とオーク虫は因縁の間柄なのです。だから入る事はできません!」
それは深夜の調合室でオーク虫に乳を吸われた事を言っているのかもしれない。(注:書籍書き下ろしエピソード)
「そんな『因縁』っていうほどのものでは……」
「さあ、お嬢様、クラリッサ様がお待ちですよ」
そう言って、ミーシャは再び私の背中をぐいぐい押した。
ここまで来たら、覚悟を決めるしかない。「この部屋の中のオーク虫は素材、この部屋の中のオーク虫は素材」と心の中で繰り返し唱えて、「失礼します」とノブを捻った。
少しだけ隙間を空けて、片目で中を覗き見る。すると、カーテンでも締めきっているのか、真っ暗だった。
「あの……クラリッサ様?」
もう少し扉を開けて、片足を室内に滑り込ませる。
ヴ……ヴヴ……。
再び羽音が始まったかと思うと、コップの水がこぼれるように、足元から小さな赤い点のような光が広がり、あっという間に部屋の形に添って、床にも天井にも壁にも赤く光りだした。オーク虫の警戒色だ。オーク虫は、警戒すると青い目を赤く変化させる。
ヴウウウウウウウ!!
やだ、もう逃げたい。でも逃げられないのは、赤い光に照らされたクラリッサ様を見つけたからだ。やはり体の具合が悪いのか、横になっている。そのクラリッサ様が、頭上の誰かに話しかけた。
「その子は敵じゃない。大丈夫だ」
その言葉に、反応して、すぐにオーク虫の大群は羽を折りたたみ、波が引くように目の赤い警戒色を青に変えた。
「こっちまで来てくれるか、ユリア」
今度は青い光に照らされたクラリッサ様が手招きする。
「は……、はい!」
でも、部屋に踏み込もうとして、床に足がつく前に、慎重に足を元の位置にもどした。
「あの……、そちらに行きたいのはやまやまなんですが、この分じゃ、オーク虫を踏んでしまいます」
「そうか……、おい、頼む」
「チチ」
クラリッサ様が横になっているベッドのヘッドボードには強大なオーク虫がとまっていた。いつもクラリッサ様の肩にいつも止まっているオーク虫だ。
そのオーク虫が一鳴きすると、シャカシャカ、ヴウウンという音をさせて床も天井も壁も波をうったようにさっと、カーテンの奥、机の壁、ベッドの下などに引いていく。もうその音だけで、鳥肌が立ち逃げ出したくなるのをなんとか、踏みとどまる……って、ミーシャは、すごく遠いところに逃げて、曲がり角の向こうから片目だけでこっちを見ている。
う・ら・ぎ・り・も・のーー!!
唇の形だけで自分の気持ちを伝えるが、帰ってきたのは握りこぶしに親指を立てたサインだ。ダンもあきれたように、ミーシャを見て肩をすくめている。
目を部屋にもどすと、一気に部屋の中は明るくなった。オーク虫は黒い甲虫などではない。なのに、カーテンの役割をするほど大量のオーク虫が部屋にいたなんて……。そう思うと、どうにも鳥肌が立つのを抑えられない。
そう広くない部屋の中には質素なベッドにしどけない姿で横になったクラリッサ様と、普通の数倍もある巨大なオーク虫が一匹いるだけだ。他のオーク虫はどこに行ったのか、さっぱりその影も形も、そして音さえもなくなってしまった。
「これでいいか?」
「あ……はい……」
見えなくはなったと言っても、さっきまでの光景に鳥肌はまだおさまらない。それでも勇気をふり絞って室内に入れば、体がふと軽くなったのに気が付いた。私の表情に気が付いたのだろう。思いがけず、クラリッサ様の優しい声が響いた。
「この子のおかげだ」
「え……?」
クラリッサ様は、ヘッドボードに目をやった。
「オーク虫の中にはな、魔力を好んで摂取するやつがたまにいて、そいつらが集まると魔力に満ちた空間になるんだ。この部屋みたいにな。そこにいると、魔力の回復は早まるんだ。とは言っても私もさっき目覚めたばかりだがな……」
千匹に一匹のオーク虫は魔力に引かれて、自然の魔力をわずかに持っているモリウチワ草の蕾に産卵するのだと仮説がある。それ自体は自然界の中では異常行動のはずで、そうめったにあるものではないはずだが、この部屋にはいったいどのくらいの魔力を摂取したオーク虫がいたのだろうか?
私は、最初にこの修道院に来た目的を思い出した。オーク虫。そう、ヨーゼフの薬、そしてダンの妹の薬を作るため、この修道院のオーク虫を見込んで来たのだ。
私はクラリッサ様のオーク虫を見つめた。
「それじゃ、私が楽になったのも……」
クラリッサ様は片眉を上げる。
「なんだ、ユリアも魔力切れか?」
「え……ええ、そんなものです。とは言っても、私の元々の魔力は少ないので、すぐに回復しますが」
「そうか……。しかし、どうしてだか分からないが、私も魔力切れのようだ。でも、こいつらのおかげで頭は痛いが、なんとか少しは動けるようになった」
どうれ、と言いながら、クラリッサ様は手を伸ばしオーク虫の頭を撫でた。オーク虫も嬉しそうに「チチ」と鳴いて、その手にすり寄る。どこか牧歌的なその光景は、次にこちらに向けた視線で一気に消滅した。
「……それで、部屋の外はどうなったか教えてもらおうか」
部屋の温度が一気に下がった。ひえええ! これは叔父様の威圧とは、レベルが違うわ!