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97 ミーシャの謎


 今までどうして気が付かなかったのだろう。

 他の発症者はみなリンドウラ・エリクシルを飲んでいる。なのに、同じ時に同じリンドウラ・エリクシルを飲んだはずのミーシャだけは元気に動き回っている。

 どうしてミーシャが元気なのか……。考えられる要素はそう多くない。


「ミーシャの手足を縛ってくれる?」


 ぴぎゃあ、と変な悲鳴をミーシャが上げる。それでも、私に何かの意図があるのに気が付いて、しぶしぶ護衛の一人に手足を差し出した。手足を縛られたミーシャを護衛に担がせて私達が最初に寝ていた客間に運ばせた。同じようにミーシャに襲い掛かった護衛も手足を縛られて、大食堂に運ばれ見張られている。


 客間には私とミーシャとダンの三人だけを残して、あとは持ち場に戻った。アランは残るかと思いきや、他の護衛達と見張りの交代をすると言い、いなくなってしまった。体調が悪いのだから休んで欲しい、その言葉を、何故か悲愴な顔をしたアランには言えなかった。


 ミーシャが大人しく、ベッドに横になるとすぐに安らかな寝息を立て始めた。疲れも、貧血も、そして私の事で精神状態もギリギリだったのだろう。表情は安らかでも、さすがに顔色は悪かった。その寝顔を見守っていると、ダンが口を開いた。


「それで、どういう事か説明してもらえるか?」

「ダンなら、気が付いたんじゃない?」


 ダンは、小さく肩をすくませた。


「昨日、ミーシャがリンドウラ・エリクシルを飲んだのは知っていた?」

「さっき、ユリアがそれを言い出すまでは知らなかった。俺達は、夜中まではずっと外の宿坊にいたんだから」

「そうよね。でも知らなくて良かったわ。知っていたら、リンドウラ・エリクシルを飲んだ人が発症する、って仮説を立てられなかったものね」

「まあな」


 私は小さく息を吐きだす。

 

「カイヤがリンドウラ・エリクシルに仕込んだもの……多分、毒か病原体かのどちらかだと思うのだけれど、それは体内のたんぱく質を分解してしまうものなんじゃないかしら?」

「分解?」


 仮説だけどと、一置きして再び話し始める。


「吸血症状が発症した患者を診察した時に、彼女達は全員、まるで急に痩せたみたいだったわ。手足の筋肉は細くなり、皮がたるんでいるの。まるでそこにあった筋肉が急にしぼんだみたいに。それに髪も艶がなくバサバサになって、爪も割れ落ちそうだったわ」

「たしかに……」

「体内のたんぱく質を分解させられれば、たんぱく質欠乏症になる」

「それでペリグリか……」


 それでも今一つ納得できていない顔をダンはしている。それも仕方がない。何も証明するものもないし、打てる対策といったら脱脂粉乳を飲ませるしかないのだから。


「どちらにしても、その原因を作ったのはカイヤか……。恐ろしい敵だ」

「本当に……」


 私は、ふいに、カイヤが毒や病気を操り、人々を不幸に陥れる図を思い描き、恐怖に鳥肌が立った。私はその恐怖に立ち向かうために、ミーシャの頭をなでた。青みがかった銀色の髪は冷たそうな色なのに、触ると温かい。


「でも……、どういう事だか、私達には希望がある」

「ミーシャちゃんか……」

「ええ。ミーシャはリンドウラ・エリクシルを飲んだ。でも下痢嘔吐もしていない。そして、感染者の唾液が傷口から体内に入った」

「これで感染しないとすれば……」

「ええ。間違いなく、『抗体』を持っているはずだわ」


「抗体」は、古くは「二度なし」という。要は、ある種の病気は一度患い回復すれば、二度は患う事がないというものだ。

 何百年も前には、痘瘡(とうそう)という高熱と膿の出る発疹(ほっしん)を発症させる、致死率の高い病気があった。その病気ににかからないために、健康な人、主に子供だが、その皮膚に小さく傷つけて発症した人の膿を塗りつける「人痘(じんとう)」という方法があった。その「人痘」に負けて、死んでしまう人もいるが、それでも大抵の人が無事に「二度なし」の体になった。

 今は、人の痘瘡の膿ではなく、別の生き物の膿を使う事で、もう少し安全な方法が確立されている。


 ミーシャが抗体を持っているのだとすると、リンドウラ・エリクシルを飲んだにもかかわらず、他の人みたいに、下痢嘔吐にもならなかったのも頷ける。

 本当に抗体を持っているのかは、二時間後に分かる。吸血症状のある患者に噛まれた護衛が発症するまでの時間が二時間。それと同程度の時間を待たなくてはならない。


「その間、お前も休め」

「私は治癒魔法をかけてもらったから、大丈夫よ。私より他の人が心配だわ。クラリッサ様も魔力放散の薬を飲まされたらしいの、だから様子を見に行かなくちゃ」

「クラリッサ様の事は俺の方で気を付けてやる。だから休め。……心配なんだ」

「……」


 ダンに強く言われて私は大人しく、ベッドで休む事にした。主ベッドはミーシャが使っているので、私は使用人用の小さなベッドに横になる。柔らかな薄かけ布団を被っていると、思いもかけずに優しそうな表情のダンと目がぶつかる。

 何故か恥ずかしくなり、ゴロンと背を向けた。背中越しにダンに話しかける。


「ダンは休まないの?」

「冒険者をなめるな。二、三日寝なくったって平気だ」

「そんなわけないわ!」

「ともかく休め。もしミーシャちゃんが発症しても、俺が押さえるから安心して眠れよ」


 そうか……、ダンは私を守ってくれているのか。その言葉で安堵の波に襲われ、「おやすみ」を言う間もなく眠りに落ちた。

 目が覚めると、もう日はとうに高くなっており、一時間どころか数時間は寝てしまっていたようだった。

 ハッと、隣の主寝具を見ると、まだすやすやと気持ちよさそうな寝息を立てたミーシャがいた。


「よかった……、感染していない」


 胸をなでつける。感染しないかもしれないとは思っていたけれど、不安がなかったわけではない。無事な姿を見て、ポロリと涙が一粒こぼれ落ちた。

 ミーシャがなぜ抗体を持っているのかは分からない。先天的なものか、それとも後天的なものか……。


「起きたか……」

「ダン!」


 窓際には、ダンが外を向いて立っていた。


「令嬢の寝ている部屋に、男がずっといるのは申し訳ないと思ったが、万が一、ミーシャちゃんが発症した場合に備えてここにいさせてもらった」

「ありがとう」


 ダンの目は、外の景色から動かない。


「外に、何かあるの?」

「ああ……、もうすぐガウスとヘンゼフ君が戻って来るころだろ? 外門の異変に気がついたら、何かしら合図を送って来ると思ってな」

「……こんなに離れていても連絡を取り合う方法があるの?」

「もちろんだ。とは言っても、遠方と連絡を取り合えるような魔道具なんかじゃない。そんな高価なものは、冒険者風情じゃ目にする事もできないからな」


 冒険者風情とは言っても、ダンは上級冒険者だ。そのダンが目にする事ができないという事は、相当希少な魔道具なのだろう。


「俺たちが連絡を取り合う手段はこれさ」


 と言って、ダンは胸から大ぶりなペンダントヘッドを取り出した。


「……鏡?」

「ああ、光信号ってやつだ。昼間しか使えないし、角度によっては使えない事もある。万能じゃないが、仲間内でパターンさえ決めておけば、暗号文だって送れる。俺達には、こっちの方が使い勝手がいいんだ」


 と、ダンの顔がぱあっと、明るくなった。


「いたぞ、ガウスだ! 森に隠れている」

「ヘンゼフは?」


 ペンダントの鏡を、太陽の光に当てながら、チラチラと何かのパターンで信号を送る。私もダンの視線の先を目で追うが、いったいどこにいるのかさっぱり分からない。


「一緒だ。二人とも無事だ。ユリアの依頼の品は無事に回収したそうだ」

「そう。今となっては役に立つかどうかは分からないけれど、二人が無事でいてくれて本当に良かったわ」


 ダンは再び、外の森に目を凝らした。


「中の状況を知りたがっているが……、さすがに鏡信号じゃ限界がある」

「だったら、入ってきてもらえば?」

「おいおい、外門が閉鎖されているのを忘れたのか?」

「忘れてないわ。でも外門が封鎖されているなら別の出入り口から入ってもらえばいいわ」

「ここは元刑務所だぞ。出入り口は一つしかない」

「……いいえ、あるの。でも、どうして知っているかは聞かないでちょうだい」


 一度開きかけた口を、ダンは閉じた。それは追及しないでくれるという事だろう。「長文は無理だぞ」と諦めたように言い、私の指示を待っている。


 私はつかの間、考えを巡らせた。


「『湖』。そう伝えてちょうだい」


 この修道院は、背後に高く険しい山がある。そこから湧き出る水が大きな湖を作り、その湖からは二つの川が流れ出ていた。西へ流れる川はオルシーニの領地を通り抜け、王都へとつながり、東に流れる川は、海に通じている。つまり、閉じられた正門とは反対方向を指しているのだ。しかし修道院の湖側は切り立った崖になっている。ダンは聞きたい事があるのだろうが、何も聞かないという約束を守って、口を閉ざしたままだ。


 ダンは光信号で私の指示を伝えた。


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