95 ダンの憶測
投稿日を一日間違えて予約していました。申し訳ありませんm(__)m
「戻ったぞ」
「ダン!」
「おい、ユリア! 何をしてるんだ。休んでなくちゃダメだろ!」
「私は、治癒魔法のおかげで大丈夫だもの。むしろ、ダメなのはあの二人よ」
と、ミーシャとアランを指せば、ああ、とダンはため息をつく。
「ところで、ユリアは何をやっていたんだ?」
「あの症状を治すためのヒントがないか調べていたのよ」
「ヒント? ここでか?」
「ええ」
「 もしやあの症状も、あの薬師がやったって言うのか?」
「ええ。カイヤは患者達を『作品』って言っていたわ。間違いなくカイヤの仕業よ」
「そうか……」
ダンは、ギリリと歯を噛み鳴らした。
「わかった。俺も手伝おう。何か当てはあるのか?」
「多分『ペリグリ』という言葉が関係あるはずなの。それを探してくれる?」
「『ペリグリ』? あのたんぱく質欠乏症の?」
「よく知っているわね。私でも、書物で読んだだけの病気なのに」
ダンは「書物ね」と呟きながら、うーんと唸る。
「俺としては、お前がそんな書物を読んでいる方が驚きだがな」
薬師としての腕は認めてくれたダンだが、私はまだ十二歳だ。そこまで専門的な本を読んでいるとは思わなかったのだろう。
まあいい、とダンは肩をすくめた。
「ユリアは知らないのかもしれないが、実は冒険者では時折ペリグリになるやつがいるんだ」
「ええ⁉ ペリグリは三百年は発症報告はないはずよ!」
「ああ、報告はしていない。なにせ冒険者側もペリグリになる状況は任務失敗だからな。大っぴらにはしたくないのさ」
「それで……」
私は言葉を失った。
「ペリグリになるのは、任務に失敗して、僻地に取り残されたり、盗賊に捕まったりして、ろくな食事も与えられない時だ。でも、そうなったからといって、人を襲うなんて聞いたことはないし、もちろん感染なんかもしないぞ」
「……」
でも私はペリグリと無関係だとは思えなかった。それで私は、カイヤが言っていた話をダンに聞かせた。『伝染病としての実験に成功したペリグリ』についてだ。ダンは、う~んとうなった。
「その話を聞く限り、あの症状は人工的に作られたものなんじゃないか? 毒……それか病原体、もしくは毒素を作り出す病原体かもな」
「人工的に……」
「ああ。『実際にペリグリと同じ症状を出す実験』ってのは、多分ペリグリに似た症状を作り出す実験だったんじゃないかと思うんだが……」
「それじゃ、今回の患者はペリグリではない……と?」
ダンは頭を振った。
「分からん。どれもこれも、ただの憶測だ。それに、もともと大昔の話が正確に伝わっているはずがない。その時の資料でもあれば話は別だが……」
「そうよね……」
すべてのことが片付いたら、院長にその当時の資料が残っていないか尋ねてみるくらいはしてみよう。
ふいにダンは興奮して叫んだ。
「そうか!!!」
「どうしたの?」
「分かったんだ。なんで、発症者が吸血行為をするか!」
ダンは力強く断言した。
「昔っから冒険者ギルドでは僻地に取り残されたやつらや、牢に閉じ込められて、皮膚が赤黒く変色しちまったペリグリ患者をみつけたら、助け出して動物の血をうすめて飲ませるように指示しているんだ。弱った奴に肉なんて食わせられなし、乳なんて持ち運んでいるやつはいないからな。血液ってのは案外、栄養豊富なんだ。吐かないように注意さえしてやれば、それで一発で治っちまうのさ」
興奮したダンは、意気込んで話を続ける。でも、私にはダンが何が言いたいのか分からない。
「普通、ペリグリになるやつは何週間、何カ月も栄養が取れていない。ということは、ほとんど動くこともできずに、人を襲う力はないはずなんだ。しかし、今回のように、まだ動ける体力があるうちに、発症すると血液の欲しさに噛みついて血をすするんじゃないか?」
「それが、吸血症状だと……?」
「ああ。とすると、ついてるぞ!」
「どういうこと?」
ダンは、ガシリスクの商会が荷物を置いてき、その荷物の中に、大量の家畜の飼料があると言い始めた。
「家畜の飼料? それが何の役に立つの?」
「ああ、家畜の飼料とはいっても、牛の乳からチーズやバターを作る油を取り除いて、水分を蒸発させた、いわゆる脱脂粉乳だ。味はともかく、栄養だけは高いぞ!」
「それじゃ……」
「ああ、どのくらい効果があるかは分からないが、ある程度は症状を抑えられるかもしれない」
私達の胸に、希望が灯った。
「しかし『感染症』か……。人工的につくられたものだとすると、感染するようにさらに手が加えられているのかもしれないな」
一瞬で、希望は揺らぐ。
その後、私達は重苦しい沈黙の中調合室の中をやみくもに探した。目的のものは見つからなかったが、いくつか気になるものが見つかった。注射器などだ。ガラス製の筒に金属の空洞の針が取り付けられたものだが、取り扱いが難しくほとんど使われることはない。針も細くはないので、大人も子供の注射針を見ると逃げ出すような代物だ。それに医療用のナイフやのこぎり、ペンチ……。
「……血が」
ナイフには、拭きとられていたが、まだ握り手に血がついていた。院長の皮をはがすときに使われたものかもしれないと思うと、怒りと恐ろしさがこみ上げ、思わず乱暴に棚に投げつけてしまった。
と、ナイフが壁にぶつかり、影になっていた部分から空き瓶が一つ見つかった。
「何かしら?」
その瓶を手に取ると、この修道院の絵が描かれたラベルが貼られている。
「何かみつかったのか?」
「ええ……リンドウラ・エリクシルの空き瓶が一つ」
中身は空だったが、蓋を開けて臭いをかぐと、やはりリンドウラ・エリクシルで間違いはなさそうだ。もしかしたら、この中に原因となるものが入っていたのかもしれない。しかし、ここでは成分を調べる試薬も器械も時間もなかった。
「リンドウラ・エリクシルか……。それに入れられていたんだとすると、度数の高いアルコールの中でも生きていられる病原体か、毒かだな……。しかし分かっているのはそう多くの種類はない。思い当たるものはあるか?」
私は首を振った。ダンの言った通り、人に知られているものはそう多くなくても、人に知られていないものなら、いくらでもあるからだ。
「ダンの方は何か見つかった?」
ダンは書類や手紙などを探っていた。
「『ペリグリ』という言葉はみつからない」
そのあと、迷うようなそぶりで一枚の伝票を差し出した。
「関係あるかどうかは分からないが、数日前に、ある物を発注していることが分かった」
伝票にはこう書かれている。
「キラースクイッド」
どこかで聞いたことある名前だ……。どこだったっけ?
ソファーでだらりとしていたミーシャが唐突に飛び上がる。
「それ! 私が、修道院に来る途中であたった毒です」
「ああ!」
手をポンと打つ。騒動ですっかり忘れていた。そういえば、あのキラースクイッドの試食をさせていた商人はどうなっただろう?
「確かに珍しい発注ね。キラースクイッドは、嘔吐下痢なんかひきおこす軽い毒をもっているけれど……薬師がわざわざ注文するような薬効はないわ」
「だから不審に思ったんだ」
実家が海辺の街の薬問屋であるダンは、小さな頃から薬種、特に海のものに親しんできたのだろう。その注文がおかしいということに気が付いたのだ。
「料理の中にスクイッドはなかったぞ」
「そうよね……」
ともかく、その伝票は大切に薬箱にしまった。
もう、この調合室から見つかるものはなく、いくつか使いそうなものも薬箱に詰め込んで、私達は全員調合室から出た。