93 傷薬
「薬師令嬢のやり直し」書店にて販売しております♪
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閉じた瞼の裏まで温かい光が届く。そしてすぐ、むず痒いような痛みが全身を覆いつくす。と同時に、体が軽く温かくなった。私はさっきまでの創世の夢を見ていたくて、必死に抵抗するが、否応なく現実に引き戻される。
急速に光が小さくなった。その光を追いかけようと、瞼を開くと、蛍のような光が乱舞していた。そしてドサリと何かが倒れる音がする。
「お、お嬢様!」
体に何かが覆いかぶさる。銀の光……? ぼうっとしていると、創世の空の色に目が吸い寄せられる。ああ……ミーシャの瞳の色だ。その瞳からは透き通った涙が、あふれ出た。
状況も理解できないまま、一番気になることをミーシャに尋ねる。
「痛く……ないの?」
何故だか、ミーシャの額は大怪我を負っており、顔もメイド服も血まみれである。
「え? 何の? …………ぴぎゃあああああ!」
ミーシャは私に指摘されると、一瞬なんのことだか分からないようだったが、すぐに額を押さえながらのたうちまわった。呆然とミーシャの様子を見ていると、アランがソファーに横になった私の脇で片膝をついて胸に手を置いた。その様子も何かおかしい。いつものピシッとした感じがなく、無理矢理動かしている感じだ。目だけはしっかりしているのだが、口の動きもたどたどしい。
「お嬢様、よくぞ……!」
アランの目にも涙が浮かび上がる。
「えっと……? ああ!」
私は、自分がカイヤの策略により毒を飲まされたことを思い出した。
カイヤの説明だと、遅発性の毒で、命を奪うものらしいのに、私はこうして生きている。目の前で両手を握ったり開いたりしてみる。ああ……やっぱり生きている。頭は痛いものの、他に痛むところも苦しいところもない。頭痛は、多分魔力切れのせいだ。
その魔力切れでさえ、小さい器を満たすのは早い。すぐに頭痛は治まるだろう。
アランの手を借りるわけにはいかなそうなので、自分で体を起こす。そうすると、アリーシア先輩を抱きかかえているダンの姿が目に入った。アリーシア先輩は気を失っているようだ。
何故だか、胸がチクリと痛む。
「お嬢様、実は……」
「アラン、大丈夫。説明しなくても分かっているわ」
この部屋にいる瀕死の者は二人。アリーシア先輩が使える最後の治癒魔法。それを私にかけて自分は魔力切れで倒れたのだろう。同じ教会籍の人間として、院長に治癒魔法を使うのが普通だろうに……。
「ありがとうございます。アリーシア先輩」
私は、つかの間、自分の胸をそっと押さえ瞼を閉じた。次にカッと目を開く。
「ダン、今の状況を説明して⁉」
「おう!」
打てば響くような返事があった。
アランは、私と入れ替わりにアリーシア先輩をソファーに横たえながら、私が大食堂を離れてから今までのことを順序立てて説明した。
大食堂での吸血行為と、その対策。それにダンが聞いた辺境での変事。外門の扉が閉められ隔離されたこと。調合室に来たら、私も院長も瀕死の状態で見つかったこと。
そして……。
「院長の背中の傷を治した? 誰が?」
ダンは、転げまわっているミーシャを目で指す。
「ミーシャが?」
「ああ。ミーシャちゃんは、ユリアの傷薬を使ったんだ」
「傷薬? 薬箱の?」
「ああ」
そう言って、元宝石箱として使われていた薬箱をずいっと私に渡した。
院長の傷のことを知った時に、私自信も毒にやられていなければ、すぐに薬箱を手に取り治療をしようとしていたかもしれない。でも倒れて、何もすることができなかったので、カイヤは薬箱に気が付かなかったのだろうか? 薬が壊されたり、盗まれたりしていなくて本当に幸いだった。
カーテンの向こうに、シーツも取り換えられて安らかな顔で眠る院長が見えた。
よかった……。本当に、よかった。
「最初から説明する。俺たちが見つけた時、ユリアは瀕死の状態で倒れていた。そして院長も、背中は剥がされ、失血死してもおかしくない状態だというのにまだ生きていた。カイヤは薬師としてだけではなく、医学にも精通しているのかもしれないな。皮がきれいに剥がされていた。大きな血管を避けて、できるだけ脂肪層を切開したようだ」
何のためにカイヤがそんなことをしたのか知っているか、とダンに聞かれたが、返事はせずにただその目を見返すと、諦めたようにふっと小さなため息を吐かれた。
カイヤは、レシピのために、きれいな状態の背中の皮を欲していたのだろう。そのおかげで切開がきれいだったのは幸いした。それに、麻酔薬に鴆の毒を使ったのも良かった。痛みを遮断して気持ちを落ち着かせる作用がある。そのおかげで、血圧を低くさせ、出血を抑えたのだ。それらのおかげで、院長は出血死せずにすんだ。
「ミーシャちゃん、ユリアを助けろってアリーシア様にドゲザっていうのをして、床に頭を打ち付けたんだよ。あれはその傷さ」
そう言って、顎でミーシャの額を指す。少し痛みに慣れたのか、ゴロゴロと転がりまわるのはやめて、床に足をペタンとしたミーシャは涙目で、こちらを見上げている。
「アリーシア様、ずいぶん迷っていたぜ。院長を助けるか、それともミーシャちゃんが言う通り、この修道院の災い全てを取り除く可能性のあるユリアを助けるか」
「ミーシャったら、そんなことを?」
「ああ。大した忠心だ。それに、このアランもな」
具合が悪いらしく、ソファーの側でなんとか片膝を立てた姿勢を保っていたアランの体がこわばったようにビクリと大きく揺れた。
「アランも? 信頼してくれてありがとう。ところで、大丈夫? あなたも感染してしまったのかしら?」
心配して声をかければ、アランは目も合わせずにうつむいたまま首を振った。それ以上返事もしない。
「具合が悪いようなら、姿勢は崩して楽にしてちょうだい。何かあったときに、頼りになるのはアランなんだから……」
私がそう言ったとたんアランの背中は小さく震え始めた。そして小さく頷いた。
何があったのだろう? でも聞くのは、はばかられた。
「それでダン、続きは?」
「ああ。それで、調合台の下にユリアの薬箱を見つけたんだ」
「ダンが?」
「そうだ。でも俺がしたのは、ミーシャちゃんに薬箱を渡しただけだ。その中から傷薬を見つけて、院長の背中に盛大にかけたのはミーシャちゃんだ」
「全部使ったの? 残りは?」
「さあ?」
傷薬を使えるのならば、まず最初に自分の額の怪我にも使えば良かったのに。まったく、あの子ときたら……。そうは思っても、反面、私はミーシャのことが誇らしかった。
治癒魔法と薬の違い。それは数えきれないほどあるが、私が考える一番の違いは、薬は治癒魔法と違って誰もが使用することができるということだ。
もちろん使用法を誤れば、状態を悪くすることだってあり得る。でも、ミーシャは私の薬を使って、正しく院長を治してくれた。これが誇らずにいられようか?
「それにしても、噂では聞いていたが、その傷薬の効果はすざましいな」
ダンは感嘆のため息をついた。
なんでも、すぐに傷からの出血は止まり、もう十秒ほどすると、ピンク色の肉芽が出来はじめたそうだ。
この傷薬は、先日の盗賊襲撃の折に、腹を裂かれた領兵に使ったのと同じものだ。傷薬は使う頻度が高いものなので、お父様の酔い止めの薬と一緒に作り足しておいたのだ。
私は傷薬の空瓶を院長のベッドの脇で見つけた。残念なことに、一滴も残っていない。少しの間、ミーシャには我慢してもらうしかないようだ。
ヘンゼフ「あの……、ダンさん」
ダン「なんだいヘンゼフ君」
ヘンゼフ「薬箱があるのって……いつ位から気が付いていました?」
ダン「ん? 最初からだけど」
ヘンゼフ「それなら、すぐに教えてあげたらミーシャさんだって」
ダン「んーー、でもそれじゃダメだったんだよね」
ヘンゼフ「何がダメなんですか!?」
ダン 【にっこり】
ヘンゼフ「ダンさんーーー!」
ダン「あはははは……」
という会話があるかどうかは別として、だからダンは一人余裕があったのかという話。