閑話 創世
暗闇の中、ゆっくりと等間隔に落ちる水滴の音だけがする。どのくらいの時間が経ったのか、いや時間そのものに意味があるのか分からないその空間で、生まれ落ちた日から、今までの日々を思い出していた。
人が死ぬ時とはあっけないものだ。薬師として何人も看取ってきて、そう感じた。病気で苦しみ死に救いを求める者、予想外の事で死にたくないともがく者、どちらにせよ、死ぬときはふうっと大きな息を吐いて、魂が体から離れ出る。その瞬間のあっけなさ……。周りの悲しみなどお構いなしなのだ。
またしばらく水滴の音を聞いているうちに、だんだんぼおっとしてきた。きっとこのまま私は消滅するに違いない。そう思っていた時に水滴の音に紛れて、大人とも子供ともいえない泣き声が聞こえてきた。
随分遠くだ。なんだろう? 意識をそちらに向けると、空間がゆがみ、急に距離が近づいた。思わず振り返るが、振り返った先も暗闇だった。反対に目を転じれば、うずくまって顔は見えないが髪は黒く背中を覆い隠すように長い少女がいた。わずか見える肌だけが、痛いほど白い。私の視界にある色は黒とその少女の肌の白だけだ。
少女は、背中を丸めて、「寂しい……、一人なんて嫌……」と嗚咽をもらしていた。その姿は、まるで迷子になった幼子のようだ。
思わず声をかけようとしたが、声は届かず、伸ばした手は彼女の体を通過してしまった。膝を抱える少女を見つめて、私は途方に暮れる。
どれくらいたっただろう。彼女の泣きながら時折こぼれる言葉は、私には分からない意味も多かったが、大体の事情を理解した。
彼女は、「にほん」という国で「じょしこーせー」をしていたらしい。そこに異世界の神様から聖女として呼ばれたそうだ。その神様は、自分が管理する世界で少女に魔王を倒してもうらうために、「ちーと」能力を授けてくれたそうだ。残してきた家族を気にする少女に、神様は魔王を倒せば、褒美を与えて元の世界、元の時間に戻してくれると約束をした。
彼女はその世界でがんばった。信頼できる仲間もできて、見事、魔王を打ち倒した。その頃には、彼女は仲間の一人と恋仲になっていたけれど、神様は最初の約束通りに元の世界、元の時間に戻した……はずだった。
神様が連れて来たのは、元の世界、元の時間ではなく、この何もない暗闇。彼女が冒険のために費やした時間は、元の世界の中では瞬き一つの時間でしかないはずだった。ところが、その瞬き一つの時間に彼女の心臓は止まっていた。つまり、死んだそうだ。死とはいっても、瞬き一つでは魂が体から離れきっていない。いわゆる仮死状態にあるそうだ。
神様は彼女に迫った。元の世界に戻って、即座に死ぬか。それとも、この暗闇の中に少女が世界を創造するか。彼女は神様にお願いした「元の世界に戻れないならば、神様が管理する、仲間たちのいる世界に戻して欲しい」と。それを神様は「異物はいらない」と跳ねのけた。そして彼女をこの暗闇に放り出したまま、消えたのだそうだ。
彼女は正真正銘の迷子だったのだ。
彼女は、冷たい神が管理する世界で、共に魔王を倒し、仲間だった者たちの名前を呼ぶ。
「ルイ」
「ニコ」
「ユーフィ」
何度も、何度も……彼女の持つ「ちーと」能力を込めて。
暗闇でしかなかったはずのこの場所に……、黒と白しかなかったはずのこの場所に別の色が生まれた。
小さな点のような光。赤、青、緑。
彼女の声はだんだんと大きくなった。
光も大きくなる。
彼女の声は、さらに大きくなり、天に轟く雷鳴のように殷々と響く。思わず私は耳を覆って、目を固く閉じた。
ふつりと声が止む。そして無音訪れる静寂。私が目を開きかけた時、今度は地を揺るがすような爆発音がいたるところから轟いた。音が静まるまで、私はさらに固く縮こまって震える。
気付くと、頬を爽やかな風が通り抜ける。おそるおそる目を開けた私は息を飲んだ。
暗闇は「世界」になった。夜明け直前の紫の空……、ミーシャの瞳の色。深い群青色の海。その海からは煙が噴き出している部分があり、みるみるとその部分が盛り上がり、水面を出て火山となる。あちらこちらで沸き起こった火山はヘンゼフの髪の色のような真っ赤なマグマを吹き出し、火山と火山がつながり大地となる。そして大地は植物の緑に覆われた。息吹き始めたばかりのその世界は、力に溢れ、そして美しかった。それを私は天空から眺めているのだ。
……これは、創世、神の御業だ。体の奥底から震えがおこった。畏怖という感情を初めて理解する。
「ルイ」
「ニコ」
「ユーフィー」
少女の声がする。その声は生まれ変わったように、寂しさも、悲しさもなく、喜びと愛と慈しみに溢れていた。私が目前の素晴らしい光景に後ろ髪を引かれながらも、少女の方に目を転じる。でも同じように空中に浮かんでいる少女の顔は見えなかった。
驚いたことに、いつの間に出現したのか三つの人影があった。私に背中を向けて、少女に向かい合っているので、その顔は分からない。分厚いマントを着た鉄色の髪の長身の男、青みががかったうねる銀色の髪の少年、そして巨大な剣を佩く金色の長い髪の男。
少女は、微笑みながら両手を広げた。三人も少女に手を伸ばした。
既視感が襲う。
これは、お祖父様の葬儀で行った、教会のステンドガラスにあった風景。世界の始まり、創世の女神と三人の御使い。
三人に囲まれて、少女が地上に手を振ると、世界には生命があふれ出した。海には魚が、空には鳥が、陸には動物が、そして初めての人間が出現する。それはめまぐるしい変化だった。
少女が、最後に東の空に手を上げた。
唐突にまばゆい光が差し込む。日の出だ。赤い太陽が世界を照らす。その眩しさに、私は目を閉じた。
閑話にするか、本編にするか迷って閑話にしました。
これから時々、このシリーズの閑話が入る予定です。
このシリーズでは、何故ユリアが「やり直し」をしているのか、
またユリアを陥れようとする人がいるかが、徐々に明らかになるかと思います。
明日、発売日を前に、ここまで話を持ってこれて本当によかったです。