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90 封鎖


 二番目に発症したのは、女に噛まれた患者だった。気を失っていたのが、パチリと目が開いたかと思うと、そのまま手当てをしていた護衛隊に噛みついたのだ。大した怪我にはならなかったが、衝撃は大きかった。


 ダンの予想に反して、今のところ発症者は全体の一割程度だ。どのくらいのペースでこの症状が進むのかは分からないが、村全体が発症した例からすると遅いくらいに思えた。


 気を利かした護衛隊達がまだ発症していない患者を大食堂から下働きの部屋へと移動させていた。自分のベッドとはいかず、ただ二段ベッドが二つある部屋に移っただけだったが、それでも患者達は自分が襲われるかもしれない恐怖から離れられて胸をなでおろした。そして、次に発症するのは自分かもしれないと怯えるのだった。

 下働きの部屋は、ベッド数も多く、部屋が連なって並んでいるので護衛が廊下に立っていれば発症した時に対応しやすかった。

 それはまるでこの建物が刑務所だった時代の囚人と看守のような配置だったが、彼女らと彼らの間には信頼関係がすでに築かれていた。 


「なんとか落ち着いてくれたようだな」

「ええ、アリーシア様のおかげですね」


 朝日はすっかり登り、空が明るくなった。天井近くにある、そう大きくない窓から、光が差し込み、その場に集まっていたミーシャとアラン、ダン、そしてアリーシアは呆けたように光が壁に模様を作るのを見ていた。


 ダアアーン!!!

 轟音と共に、修道院を揺るがすような地響きが起こった。


「「きゃあああ!」」


 ミーシャとアリーシアは頭を抱えて座り込む。アランは、すぐさま近くにいた護衛に何やら指示を出し、ダンは驚愕にこぼれんばかりに目を見開いていた。


「びっくりしたわ。地震だったのかしら?」


 アリーシアが呟けば、ミーシャがはて、と首を捻る。


「凄い音でしたが、地面は揺れていいないみたいでした」

「それもそうね。何だったのかしら?」


 アランの指示を受けた護衛隊が血相を変えて戻ってきた。


「外につながる扉が閉められています」


 報告を受けたアランは顔色を無くした。ダンも苦り切った顔だ。ミーシャは訳が分からなかった。


「その……扉が閉められると何かまずいことがあるのですか?」

「ええ。ここは湖の上の崖に立っている元刑務所です。崖の部分以外には高い壁に覆われて、外との出入り口は一か所しかありません」


 隣でアリーシアが息を飲むのが分かった。アランが頷く。


「そうです。私達は、閉じ込められたのです」

「と、閉じ込められた⁉」

 

 自分の声の大きさに驚いて、ミーシャはすぐに口に手を置いた。


「ともかく扉のところに行ってみましょう。誰か外の人と話ができるかもしれません」


 アランの提案で、アリーシア、ミーシャ、ダン、そしてアランの四人で外門の前に走った。修道院建物を出るとすぐに見えた、その光景に誰しも小さな悲鳴を上げて足を止める。想像はしていたとはいえ、馬車がゆうゆうとすれ違えるほどに間口が広く、高さもある外門に不気味な鈍色に光る分厚い鋼鉄製の戸が落とされていたのである。その門をくぐった時に見上げたあの槍のような部分は、深々と地面に突き刺さっていた。その圧迫感に、誰かがごくりと唾を飲み込んだ。「閉じ込められた」という事実が、恐怖を伴ってそれぞれのじわじわと染み込む。


 訳が分からないと、ミーシャが泣きそうな声で呟けばアリーシアが、優等生めいた固い声を出す。


「あれは、刑務所時代の落とし戸よ。もし刑務所で暴動が起きた際には、看守たちは外に逃げ出して、固定している鎖を外して戸を落としたの。いったんあの戸が下りてしまえば、魔道具を使った複雑な手順を踏まないと開けることはできないわ」

「その操作は中からはできないのですか?」


 アリーシアの話に、アランが疑問をぶつける。しかしアリーシアは沈痛な面持ちで首を振った。


「院長の目が覚めたら開門することもできると思うけれど……。それにしても、いったい誰が……」

「ともかく、近くに行ってみよう。誰が閉めたにせよ、その意図を知りたい」


 ダンの言葉に皆が頷いた。門まで行くと、上級冒険者の探索に長けた者の手つきで、ダンは扉をコンコンと叩いたり、隙間がないか地面に顔を押し付けたりする。


「やはりこじ開けることは難しいか……」


 ダンはつぶやくとすぐに、今度は無遠慮に持っていた剣の柄でガンガンと扉を叩いた。


「誰か、誰かいないか⁉ いるなら答えろ!」


 扉のどこにあったのか、顔の半分が見えるくらいの小さな小窓がシュッと音を立てて開いた。

 窓から顔をのぞかせたのは、鼻の下でくるんとカールしたカイゼル髭の商会の長、ガシリスクだ。その目には、昨日は見ることがなかった不安げな光が点っている。

 ぱっと振り返って庭の宿舎を見ると、商会の人も馬も全て引き払われていた。


「みなさん、良かった。ご無事でしたのね」

「『良かった』じゃない! お前か、門を閉めたのは!」


 しばらく、ガシリスクは無言だった。そしてとうとう深いため息を吐いた。


「そうなのね」

「いったいどうしてこんなことをした!」

「……病気を広げないためなのね」


 その言葉を聞いたダンは、息を飲む。 


「何のことだ?」

「人に噛みつく……。とても怖い症状なのね。とぼけなくてもいいのね。うちの奉公人に様子を探らせていたのね」

「確かに、そんな症状は出ている。でも、それが伝染病かどうかわからないじゃないか⁉ それなのに、なぜこんなことをする!」


 ダンが凄みを利かせたが、ガシリスクの様子は変わらない。


「僻地で、あの症状で壊滅した村の話を聞いたことがあるのね。上級冒険者のあなたも、それを知っているのね」


 一瞬だけガシリスクの目は、非難するようにダンに向けられた。


 ダンは、自分が与太話だと思っていた情報をガシリスクも知っていたことに驚いた。しかしそれを口にするわけにも、しらばっくれっることもできず、ダンは口をつぐんだ。


 そんなダンの様子に苛立ったアランが、ダンを押しのける。


「早く開けてください。こちらには教会籍の方々、それにオルシーニ伯爵令嬢であるユリアお嬢様がいらっしゃるのですよ! こんなことをして、何かあった場合、あなたに責任が取れるのですか!」


 ガシリスクの目は一瞬泳いだ。そして、視線を下げ、弱々しい声で返事をした。


「仕方ないの~ね。もし深刻な感染症だった場合、大きな街、いいえ、国一つ滅ぶこともあるの~ね。それもあんな恐ろしい症状の病気を野放しにしてしまったら、それこそ私は大勢の人間の命の責任を負えないの~ね。だから、あなたがたを閉じ込めるしかないの~ね。でもあなた方に何かあった場合は、私一人の命で済ませて欲しいの~ね。商会の者には、何も責任はないの~ね」


 ガシリスクの決意は固いようだった。アリーシアも叫んだ。


「このまま無事に済んだとして……あなたのところとは、リンドウラ・エリクシルの取引をもうやめると言っても開けてもらえないのですか?」


 ガシリスクはきっぱりとした声で答える。


「それは覚悟の上なの~ね。利益よりも、この病気を広めない事、つまり人の方が大切なの~ね」


 その揺るぎない声を聞けば、説得によって扉を開けさせるのは無理だと分かった。


「詫びというわけではないのだけれ~ど、商会の荷物を宿舎に置いてきたの~ね。それを好きにしていいの~ね」


 それだけ言って、ガシリスクは小窓を閉めようとした。


「ちょっと待って!」


 アリーシアの声に、ガシリスクの手は止まる。


「あなたがなんであの扉の事を知っていたの? 鎖を外すだけで戸は落ちるとはいえ、出入りの商会程度がその装置の場所も、仕組みも知っているはずがないわ」


 疲れたような笑みが返ってきた。


「前に扉を閉めたのは、私の祖父なのね。戦争直後に盗賊の襲撃にあったこの修道院で、祖父はその当時の院長と外側から門を閉めたのね。そして盗賊が潜伏する街道や魔物がいる草原を、命からがら町まで徒歩で戻って、警備隊に知らせたのね。もしまた私がいる時に盗賊が襲撃するようなことがあったなら、扉を閉めて、祖父と同じように皆さんを守れるようにと、教えてもらっていたのね」


 それをこんな風に使うなんて残念だ、とガシリスクはこぼし、今度こそ扉を閉めた。そしてこちらから小窓を開けようとしても、ピクリともしなかった。

 残された私達はしばらく口を開くこともできなかった。そして、数分経った頃に、アリーシアがポツリと口を開く。


「……もしダンさんが、患者さんの手足を縛らなかったら、この閉鎖された修道院の中で、互いが互いを襲って血を飲んでいたのかしら?」


 全員の表情がさっと固くなる。

 ミーシャは、思い出していた。ユリアが語った前の人生での、この修道院の雰囲気を……。今とはあまりにもかけ離れているその姿を……。きっとユリアが来なければダンもここにこのタイミングで来ることがなかった。この病気のことを知っていたダンがいなければ、手足を縛るなんてことはしなかった。アリーシアが言ったように、きっと大勢の人が血を求めて、人に噛みついていただろう。

 アリーシアは、ダンに向かい合った。

 そして、王族にするような深々とした淑女の礼をとる。


「ダンさん。本当にありがとう」


 ダンは慌ててアリーシアを起こすが、その様子を見ていたミーシャは、ふと肩が軽くなった気がした。


(お嬢様のおかげで、最悪の未来は避けられたようです)




 


もうすぐです! もうすぐ鬱展開終わります!

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