85 カイヤの調合室で
私は情報共有するため、そして毒物の特定に関わる何かを知っていないかと聞くためにカイヤを探した。
「……いない?」
見回しても、カイヤのつややかな漆黒の髪は見当たらなかった。
「カイヤ先生なら、一度調合室にお戻りになられましたよ」
まだ看病をしている女性が教えてくれた。彼女も疲れの色は濃いが、明るい見通しがついたと思っているのだろう、表情が柔らかい。私は自分の不安を彼女に悟られないように、同じように微笑み返した。
その女性に調合室の場所を聞き、私もその後を追うことにした。
コン、コン、コン
ノックをすると、すぐにカイヤは出てきた。
「お嬢様? どうなさいましたか?」
「少し分かったことがあったので、報告と相談に……」
カイヤは眉根を寄せて、一瞬何か考えたようだが、すぐに調合室に私を招き入れてくれた。カイヤはきちんとした性格らしい。乾燥させている途中の薬草が数種、天井の梁から吊るされていたが、ほとんどの物は扉付きの棚の奥にしまわれていて、私から見えるのはテーブルの上の大型調合機材くらいしかない。
つっと視線を上げると、部屋の一角にカーテンが引かれた一角があった。その視線に気が付いたのかカイヤは説明する。
「今、院長様があちらのカーテンの奥で、お休みになっております。ですので、できるだけお静かにお願いいたします」
「院長が?」
「はい。アリーシア様に治癒魔法をかけていただいたのですが、まだ目が覚めませんので……。院長は、ご高齢でもあるので、万が一に備えて、こちらで様子を見ているのです。本来は、私の仮眠室なのですが……」
「そうなのですか……。確か、クラリッサ様も目が覚めないとか?」
「ええ。昼間、事故があって教会籍の方がみんな魔力を放出してしまったんです。他の方に魔力回復ポーションをお譲りになって、院長とクラリッサ様はがまんなさっておられました。ですので、魔力が枯渇しているところに、この食中毒でお倒れになって、魔力切れの症状が出てしまったようなのです。体力と魔力はつながっているそうですから……。治癒魔法では、魔力までは回復させることができないのだそうです」
カイヤは、ほうっと疲れたようなため息をついた。
「ああ、そうでした。実は、症状の原因なのですが……」
「何か分かったのですか?」
「いいえ、はっきりとは……。でも気になる点があるんです」
「気になる点?」
「食事です」
「というと?」
「同じ内容の食事を宿坊でもとっていたのをご存知ですか?」
「ええ。毎年、取引に来る商隊におもてなしの意味も込めてお出ししていますから」
「では、彼らの中に症状が出た者がいないというのは?」
「……食中毒ではないとおっしゃりたいのですか?」
私は返事の代わりに、目線を下げた。今、カイヤがどんな表情をしているのか分からない。「食中毒」と診断したのはカイヤだ。それをこんな子供の体の私に、誤診だと指摘されてどういう反応を取るのか分からない。人によっては間違いを指摘されるのをひどく嫌い、明らかに誤診だと分かっても意見を変えない者もいる。
「……そうかもしれないと思っていました」
「え?」
思わず、顔を上げると、カイヤの漆黒の瞳と目が合った。
「お嬢様、そんなにポカンとした表情をしなくても……」
「え? 私そんな表情していた?」
カイヤは困ったように微笑んだ。
「私も、薬師です。一度診断を下しても、患者の状態を確認します。その時に、気になる症状を発見したんです。食中毒とは思えないような……」
「それは、もしかしてあの皮膚の赤い変色の事?」
「……ええ」
やはり、あの皮膚の赤い変色には意味があったのだ。
「お嬢様、今は患者の状態が落ち着いているので、少しだけ休憩しませんか? お茶をいれますね」
「そんな……気にしないでください」
「私が、少し休みたいのです」
カイヤの疲れた顔を見れば、断ることもできなかった。私は調合台にもなっているテーブルの椅子に腰かけた。程なく、目の前のアルコールランプで沸かした湯で入れたお茶が置かれる。カイヤは私の目の前の席に座った。
「どうぞ、お飲みください」
私は、カイヤの入れてくれたお茶をすすった。
「甘い……」
「この辺りでは珍しい、南国の薬草を使っていますので。お嫌いですか?」
「いいえ、甘さの中に苦みもあって、おいしいです」
【防護】の魔法は、効果が半日ほど続く魔法だ。でも味を感じるということは、もう作用が切れかけているのかもしれない。こんなに早くに切れるのは、大勢にいっぺんに【防護】をかけたからなのだろうか?
「お嬢様は……食中毒ではないとなると、何だとお考えですか?」
「上級冒険者のダンが調べてくれたことがあるんです。どうやら、発症しなかった人はリンドウラ・エリクシルを飲んでいない人ばかりなのだそうです」
「ということは……」
「ええ、リンドウラ・エリクシルに毒が混入されていた可能性があります」
私がそういうと、カイヤは席を立ち、私に背を向けて口を押えて体を震わせた。
「大丈夫ですか?」
「え……ええ。ええ、大丈夫です。ただ、びっくりしてしまったもので……」
「お気持ちは分かります。私もショックを受けましたもの」
カイヤは、何度か深呼吸をして息を整えてから自分の席に座り直した。
「失礼いたしました」
「いいんです」
「あの……、毒というと……」
「なんの毒かは分かっていません。でも、毒ならば誰かが意図的に入れたということになります」
ゴクリとカイヤは喉をならした。
「申し訳ありません、分かっているのがこれだけで。カイヤ先生が気になさっていた、皮膚の赤い変色について、知っていることを教えていただけませんか? なんの毒なのかが分かれば、それだけ回復につながります」
「ええ、分かりました。少し話しが脱線するように思えるかもしれませんが、我慢してお聞きください」
「ええ。分かりました」
カイヤは、口を湿らせるためにお茶に口をつけた。私もつられて、もう一口飲んだ。やはりさっきより甘く感じる。もうすぐ【防護】の魔法は完全に切れるだろう。大食堂に急いで戻り、みんなに【防護】をかけ直しした方がいいかもしれないと思いながらも、睡眠不足と看病の疲れからか私は席を立てずにいた。
「お嬢様は、『ペリグリ』という病気をご存じですか?」
すみません、次回で一区切りのはずが、字数が多いので分割してしまいました。
区切りまであと2話です。