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ホームのどこかの通路で、拓海は同じ背の高さの人物と並んで歩いていた。
「ちょっとさ、その服いくらなんでも薄汚れすぎじゃない?髪もふぞろいだし」
拓海が視線を向ける隣の黒髪は、確かにハサミでざくざく切ったような状態だ。
「うーん俺も文字通り野良暮らしが長くてさ、気にならなくなっちゃったぜ。そんなことよりさ、浩海を囮に使ったって話、マジ?」
「どこからそんな話仕入れたの。まあ、結果的にそうなっただけだよ」
拓海は嫌そうな顔をする。
「やっぱお前、しんどい立場に立たされてるよなぁ」
「何の話。勝手に勘ぐるのやめてよ」
「お前もそんな密偵まがいのこといつまでやるんだよ~まあもうやらなくてよくなるけどな!」
そういってその人は拓海の背中をバシバシと叩いた。
「だってお前むいてないって、見てるこっちが胃が痛いぜ」
ぼさぼさ頭の男はじゃーなーと暗い通路に消えていった。その姿が見えなくなった後で拓海は呟いた。
「なんだよそれ…。だって…そうしないと皆で居られないじゃないか…なんで平気なんだよ…」
口に出してしまった弱音はかすかに震えていて、拓海は通路に一人うずくまった。
その少し後の時間、ホームのどこかで、会議室の一番端の暗がりに彬達は立っていた。出席している人間の顔も随分険しく、うかつに触ったら弾け飛びそうなくらい張りつめた空気が漂っていた。
『IBTP型クローン利用調査試験群:第4世代の運用開始に併せたCCBNシステムの刷新』と前方のスクリーンには表示されている。
中央に座った初老の男がメガネをかけ直しながら話し始める。場の全員の視線が注がれる。
「それでは始めます。議題はご存知のことかと思います。アレックス君、一応説明を」
「はい」
呼ばれた青年が立ち上がる。その姿にフォルクハルトが小さく舌打ちした。
「裏切り者」
そのフォルクハルトの視線が届かないくらい離れた演壇に立ち、青年は話し始めた。
「お集まりの皆さま、代表して説明させていただきます、IBTPー7ーH8、通称名アレックス・ディクソンです。よろしくお願いいたします。まず、IBTP型クローン利用調査試験群の概要についてです。
「ここ第4技術開発局地下総合研究所にて、大規模長期実験が開始されたのは40年ほど前になります。現在運用中の第二世代は、オンラインでの知識記憶の共有によって精神活動へどのような影響が出るのかを生涯に渡って調査することを目的として運用されています」
その青年はまるで自分が成果を挙げた側であるかのように朗々と話し続ける。
「該当の被検体は本研究所内にて疑似的な社会活動を行っており、ネットワークを介して活動のデータ収集を行っています。しかし運用開始から17年が経過し、成人後CCBN環境を適用した個体、幼児期より適用した個体を含め4グループの調査が行われました。
「しかし、ジャネーの法則などの心理学的知見に基づいた当初の予測と異なり、どの世代も一貫して、知識や記憶の共有による精神への大きな影響は見られませんでした」
会場のあちこちからぼそぼそと話す声がする。この実験に半生を費やしてきた学者達は、もうかなり前になるが、この結果が出た時に非常にショックを受けた。
中には職を辞すと言い出した者もいたが、なにしろこんな人体実験である。そもそもクローン人間の存在ですら極秘なのだから、一般社会に明るみになれば一大スキャンダルどころでは済まされない。おいそれと逃げ出すわけに行かない研究者は、嫌々続ける者、逆にもっと別の方法で実験体の精神統合へのアプローチを行えばいいと開き直った者、に体分された。
「この結果の理由についての有力な説は、『CCBN経由で取得される他者の経験や記憶は、あくまでヘッドセットで映像を見るような外部入力の一貫として脳に捉えられた』ということです。以上のことから、当実験の最終目的である多数のヒトの精神統合状態の実現には…………」
彬は会議の説明には耳を傾けず、出席している人間たちの顔を注視していた。どちらにつくか決めているのと、周囲の顔色を窺っているのが三分の一ずつ、というところか。さてどうなるか。
「おい!待てよ!お前等そんな簡単に!!」
話を聞いていたフォルクハルトが部屋の中央に向かって荒声を上げる。
「静かに。黙りなさい。あなた達は本来ならこの会議への参加など認められていないのですから。それを当事者へのアカウンタビリティの配慮からあなた達第一世代に傍聴を許しているのです。不用意な発言は立場を悪くしかねませんよ」
それを聞いたフォルクハルトは、歯をギリギリと音がしそうなくらい噛みしめて、周囲を睨みつけ、壁際に引き下がった。
演技だ。彼も騒いだところでこの場での決定内容は既定の案の通りにしかならないことを知っている。でも今はまだ、こんな程度の奴らと思わせておきたい。彬はそう考えてほくそ笑んだ。
会議は続いていく。どっちにしろ顔色を窺っていたやつらは発言するような意地はないのだ。
「新システムの適用範囲については?」
「新規の第四世代のみという案もありましたが、一定程度精神的成長を迎えてからの適用による反応も検討対象にすべきではないですかね」
「まあ第三世代の一部のグループも範囲にするのが妥当でしょう」
そして決議はなされた。
各クローンの脳活動の全てをスキャンしCCBNへバックアップ統合する、CCBNの機能大幅強化実験の導入である。
これまでの実験でさしたる影響を受けなかったとはいえ、ヒトの精神構造の恒常性はどこまで持つのだろうか。次の子達は自己も他者も区別のない認識しか持たない生き物になってしまうかもしれない。そんなことを認めてたまるものか、自らのありかたを選ぶこともできない後輩が生まれるなど。
そう自分に言い聞かせた彬はじっと会議室の扉を見つめてから歩き去った。
やはり同じころ、ホームのどこか暗い場所で僕は座っていた。
あの後、僕は知らないルートを通って知らないところに連れていかれて、牢屋みたいなところに押し込められてしまった。そう、僕は今情報漏洩の容疑で拘束されている。でもこれは計画的なものだ。
さっき僕が知らされた事の次第を整理するとこうだ。
・問題となっている情報を漏洩させた(と思われる)のは拓海である。
・現在ホームの運営に関し、普段と違う不審な点を見せたくない。そこで誰かに疑いをかけ手続き通り拘束する必要がある。
・既に拓海によって、データが改竄され浩海の行動として記録されている出来事がいくつかある。拓海が自身への嫌疑を見越した保険と思われる。
要は僕は、人質だか生贄だかになる貧乏くじを引かされただけなのだ。だが知った情報はそれだけではない。
・彬さん達上位クローンは、クーデターを画策している。その発端であるストライキはかなり近い内に決行される予定である。
・クーデターの理由はクローン計画における方針転換に対し、反対する自分たちの意思を示すため。
・クーデターが決行されたら混乱に陥るので、浩海を縄につないでおく意味はない。少なくともその時には解放できる。
・拓海は今誰の味方についているのか怪しい。クローン側、人間側の二重スパイだったはずだが、今後どう動くか分からない。
クーデターの理由については詳細が省かれすぎてて何も分からなかった。僕が色んな情報網に顔を売っていたら違ったのだろうか。しかし「近い内」っていつぐらいなんだろう?僕がここに閉じ込められて数日が経過している。
僕は牢屋の床にごろりと転がって、シンプルな電球が一つあるだけのやや暗いグレーの天井を眺める。来たときは牢屋の前の通路の入口に、フォルクハルトさんと同じようにスキンヘッドにし制服を着こんだクローンの看守がいたが、僕しかいない囚人に注意を払っているようにも見えない。本当に形式的なのだろう。床に触れた背中が少しひんやりするけど寒くはない。
こんな所に押し込められても、あまり怖くはない。彬さんが後で出してくれると約束してくれたのはもちろん安心材料だけど、これで誰かの役に立ってるなら悪くないか、と思う。
ただ、拓海のことは結構ショックだった。彼が危ない橋を渡り続けてることは察していたけど、あんなに心配性で生真面目だったのに僕を身代わりにするなんて。よっぽど追い詰められてるのだろうか。こんな時、海斗がいてくれたらなぁ。きっと拓海を一発ぶん殴って喝をいれて、スッキリさせてくれそうなのに…………
僕は考えながらウトウトと眠ってしまった。
「おやおや。ベッドで寝ないと風邪をひくよ」
誰かの声で、どこかにすっ飛んでいた僕の意識は呼び戻された。