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哲学的問いが頭に宙ぶらりんになった、僕らのちょっぴり鬱屈した心情とは裏腹に、ホームにはある変化が生じていた。
「おい、聞いたか?」
「何が?」
通路で同期のウィルに突然声をかけられた。
「近々何か起こるって話」
「何かとは」
「いやいや全然わかんないんだけど、これからヤバいことになるって噂があるんだよ」
具体性0.00%の情報をもらっても困る。だが、僕の情報網は、噂があるぞ、という噂に踊らされているレベルだった。
ある日には、人間の研究者たちが不穏な立ち話をしているのを聞いた。
「私たちはどうするべきだと思う…?」
「さあ…どっち側についても今後どうなることか…」
彼らは僕が近づいているのに気づいて口をつぐんでしまったので、それ以上のことは分からなかった。どっち側とはなんだろう。
もちろん全ての噂は口頭の些細なやり取りの中でである。公式のデータ記録は当然日常を淡々と記録しているだけなので、そんなところからは情報は得られない。皆が不安に駆られ、どうやったら情報を得られるか躍起になっているように見えた。
訓練生時代の教官とすれ違った時の反応も気になった。
「トレーナー、お久しぶりです。こんな所で珍しいですね。下の子達は今一番手のかかる頃では?」
何の気なしに話しかけたのだが、その人はかなり焦ったようだった。
「えーえーとそうだな、うん、あー私は異動になったんだ。だから次の期の子達のことはよく知らなくてね、まあ、君もうまくやりなさいよ」
そんなことを言って彼はそそくさと消えてしまった。僕らはこれまで4年おきに一組が作られ生まれてきたと聞いている。祐季さんたちは4歳年上だし、8歳、12歳上の人までは面識がある。あと一年少しすれば僕にも後輩ができる算段だ。僕の時と同じなら今は後輩たちは基礎教育を受けているはずだが、何かあったのか。
僕に、ホーム屋外遭難未遂事件以来の危機が訪れたのは、そんなざわつきが常態化してきた頃だった。
ある日彬さんにオフィスに来るように呼び出しを受けた。しかもデータ連絡ではなく、わざわざ音声通信で。
そして部屋に向かった僕を迎えたのは彬さんだけではなかった。いつも通りきっちり整理されたデスクの前に彬さんと並んで、スキンヘッドの男——同型クローンなのだろうが、髪も眉もそり上げた風体はとても同じ顔に見えない——が立っている。
「こいつか」
その眼つきの悪い男がこちらに顎を向けて言う。
「そうだ、待っていたよ浩海」
彬さんはいつになく険しい視線を向けている。
「それでなんの御用でしょうか?」
「うん、それがね、単刀直入にいうと君に情報漏洩の嫌疑がかかってる」
と言い切った。情報漏洩。
「なんの情報のことでしょう?」
聞かれたところで僕はなんの話か知らないので素直に質問する。
「ああ、だってお前だろ!解放派の連中から情報を受け取って流したってのは!これだよ、ここに記録があるんだよ」
今度はスキンヘッドがイライラした口調で僕にデータを転送してくる。送られてきたのは、いつだったか僕が拓海のフリをして何だかよく分からない集まりに行かされた時の、カメラ映像だった。なるほど、これは僕だ。そういえばあの時荷物を受け取ったっけ。それは拓海に渡したはずだ。
そして別の映像も出てくる。拓海が誰かと話している。…が、そこに映っているのは拓海ではなく僕に見える。人間には区別がつかないだろうが、僕らから見ればそれは一目瞭然で僕だった。無論、僕はそこに映っている話相手には会っていないし、誰かも分からない。
「お前だろ」
男は眉の無い顔をこちらに近づけてくる。
「やめろよ、フォルクハルト。お前の顔で怖がってるんだよ」
彬さんがめんどくさいという雰囲気で相槌をうちながら、何か紙の書類を机の上に取り出して置いた。
「ええと……確かに僕に見えますね」
「そうだ、お前だ」
「はぁ」
「という訳でお前を拘束する」
顔を近づけたままフォルクハルトと呼ばれた男が告げる。
「……」
僕が返答に窮して黙っていると、呆れたという様子で顔を離して彬さんの方に向きかえった。
「おい、アキラほんとにこいつでいいのか。とんだ腑抜けに見えるぞ」
顔の前で手を組んで首をかしげる彬さんがやっと口を開いた。
「うーん、これは予想外だな。浩海、なぜ驚いたり反論したりしないんだ」
なにしろ実際やっていないことについて言及されているのだから、実感が沸かないし、反応しづらい。もっと驚いたたり怖がったりするべきなんだろうか。
「はぁ、ええとわざわざ音声で呼び出しがあったので…きっと重要なことだろうな、と」
僕の発言で何か察したのか彬さんは肩をすくめて「なるほど」とだけ言った。
「何がなるほどなんだ?やっぱりコイツ変だぜ。まあいいや、とりあえずお前を、あー第四技術開発機関地下研究場内規則5条3項機密保持違反で連行する。規則に則り~」
スキンヘッドがめんどくさそうに目をキョロキョロさせながら事務的な手続きを読み上げている。そこで僕はふと、何かおかしい、と思った。この人の視線はネットワーク経由でデータを参照するときの動きと違う気がする。
そんな考えがよぎった瞬間に頭の中でブツッと音がした。僕は知っている。これはCCBNから遮断された音だ。
「よし、うまくいったな。おいアキラさっさとしろ」
フォルクハルトさんが急かすと、彬さんは机の引き出しから一枚の紙を取り出した。——ホントに重要な情報は、耳で聞いて、頭で覚える。それが一番———確か昔、海斗がそんなことを言っていた。
「浩海、話すより速いからこれを読むんだ。そして決して口に出すな。覚えたらこちらに渡してくれ。3分以内だ」
こくりと頷いてその紙を受け取る。
鈍感に時勢に流されて過ごしている僕さえ、何かが動き出したことが分かった。