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ある日、拓海が熱を出して寝込んだ。僕らはそもそも健康管理に気をつかうのも業務の一貫みたいなもの(クローン身体の生涯データ収集のため)だし、何より遺伝的に同質なので傾向が分かっていて不調には対応しやすく、あまり体調不良を起こしたりしない。よっぽど無理をしていたと見えた。
「ダメだよ…離して浩海。こんな時に…私やることが…」
「いいから、今は寝てな。明日になったら回復してるだろうから、ね」
と、コントよろしくほぼ同じやり取りで、拓海をベッドに押し戻すこと数回。拓海は観念して、今日は休むことを承諾した。ただし彼の代わりに僕がある会合の雑用係をするなら、という条件だった。
「あと、そこに行ってもらうにあたって注意事項があるから——
予定の時刻に教えてもらった場所についたが、何もない。通路の途中だ。しかしいくらGPSを参照し直してもここが言われた地点に違いない。困ったなぁ。うろうろしていると、壁だと思っていたところにドアが開いた。
中には応接室のような部屋と、隣接して給湯室があった。お茶を出して挨拶し、もらうことになっている荷物を受け取る、頼まれた内容はそれだけなのだが、拓海の追加注文を思い出して緊張する。
——私のふりをして振る舞うこと」
ちょっと無理な注文だと思った。一応拓海のチャームポイントの目立つ泣きぼくろはペイントしてきたけど、顔がほぼ同じだからといって、慣れない場所と初対面の人ではふるまいが不自然になる。いくらなんでもそんなに人間達の目は節穴ではないのでは?
勘弁してよ拓海…あんまり注文が多いと食われて帰れなくなりそうだよ…。
「いやあごめんごめん遅くなった」
まるで友達との待ち合わせみたいな調子で老人が部屋に入ってきた。
「おや、拓海くんしかいないのかね。じゃあお茶でも飲んで待とうか」
上着を脱いでその老人はソファにくつろいだ様子で腰かける。
この人はおそらく、教えてもらった会う予定の人物の内、Fujitani教授のはずである、たぶん。名前と身体的特徴は教えてもらったのだが、画像もないのに言葉で人の顔が伝わるか!と思う。無茶な注文一覧に追加。
「コ、コーヒーでよろしいですか?」
慌てて噛んでしまった。すると何が可笑しかったのか、彼はくつくつと笑いだし、終いには声を上げて笑い始めた。
「ど、どういたしますたでしょうか!??」
言ってみたけど呂律が回ってない。
「いや、失礼。君は…拓海くんではないね、彼はどうしたのかな?」
既にバレてる。やばい。
ただニコニコしながらこちらに送る視線に、追求しようという様子は見えない。というより、この人に対して何かを取り繕っても無駄なタイプの人に見える。
「はい、そうです。代わりに来た者です……」
大人しく白状した。
「ふむ…まあそんなに怯えなくていいからそこに掛けるといい。君の入れてくれたコーヒーでも一緒に飲んで話そうか」
そう言って彼は、茶目っ気たっぷりにウインクを投げた。
「なるほど…君が風邪を引いた拓海くんを無理矢理部屋に押しとどめて代わりに来た、と。事情はわかったが、ここで何の会合があるかも知らない君を寄こしたのは意外だな。よほど君のことを信頼しているんだろう」
「どういう意味ですか。ここでこれからそんな重要なことがあるのですか?」
目の前の老人は落ち着いた様子でコーヒーを啜っているが、隠し部屋で外部の人間がこっそり集まっているというのは、やはり陰謀の臭いプンプンだ。これは自分は緊張すべき場面なのでは?
「いや、私は説明しないよ。君の友人の、君に知らせないという信頼を私が勝手に裏切る訳に行かないからね。代わりにといってはなんだが、せっかくだから君のことについて教えてくれ」
「僕ですか?」
かなり意外だった。この人はおそらく複数人のクローンと面識がある。今更注目する必要はないと思うが。
「特に話すようなことはないですが…」
「そんなことはなかろう。そうだな、今の若い子達がどんな風に教育を受けているのか詳細は知らないのだが…じゃあ、昨日は何をしていたかな?」
「え?」
質問の意味が取れない。
「いや、言葉通りの意味で」
「昨日は…自分の課宛の荷物を倉庫から運んだり、炊事をしたり……していましたが」
一応答えると、老人は首を少しかしげながらこちらをじっと見ている。
「ふむ、料理は得意なのかね?好きかい?」
「まあ、割と慣れているので要領はいい方だと思いますが。特に好きというわけでも」
「なるほど、じゃあ他に好きなことは?」
「さあ…課の仲間と一緒にいるのは好きですが」
「じゃあ、行ってみたい場所はある?」
矢継ぎ早に聞いてくる。なんの問答だ、これ。でもこの質問なら答えはある。今まで誰に聞かれたわけでもないが。
「サグラダファミリア」
「うん?面白い名が挙がったね、なぜだい?」
教授の口角が少しあがる。
「僕の大切な友人が、行きたがっていたので。僕が代わりにいつか行ってみたいな、と」
海斗が外にあるもので一番見たがっていたものだ。「一つのものを一個人の一生の数倍もの年月をかけて作り続けるなんて、ありえないだろ!」そうやって語るのを何度も聞かされた。
「それが理由とね。ほうほう。では友人は関係なく君が行きたいところは?」
この答えでは不満らしい。
「…あの、失礼ですがこのやり取りにどんな意味が?」
我慢できなくなって言ってしまった。
「ああ、すまないね。確かに初対面の人にこんなことを聞かれても困惑してしまうな。いやなに、君たちクローンの同一の人を元にしているからこそ個性を重要視する、という考え方を私はとても素敵だと思っていてね。君には何か答えがあるのかね」
またこの『問い』の話題だ。与えられた個性だかなんだかを、どこかに落としてきたような僕に聞かなくても、他に意思の強いやつらがたくさんいるじゃないか。
「分かりません。だって…そんな質問に答えるように言われてこっちだって困ってるんですよ。僕みたいに得意なこととかないパッとしない奴は特に」
ちょっとイライラして愚痴みたいになった。怒られるかと思ったのだが、
「うん、うん!そう、その通りだ。自分の何たるかなんて、聖者じゃあるまいし、普通分かる訳がないのだからね。そこに、君たちが積年頭を抱える『問い』の意味があるのさ」
と教授は顔をしわくちゃにして嬉しそうに笑う。
「そこ?どの話のことですか」
「いやいや全部話してしまうなんて無粋な真似は私はしないよ。いいかい、君は自信がないから自分の代わりに友達が大事なのかもしれないが、友達だけを大事にしてもダメだ。
しっかり自分を見なさい。いくら顔が同じでも周りの人は君の鏡ではない。鏡の前に立って、笑って、泣いて、怒って。そんな自分の顔を見なさい。手のひらのしわを一本数えてみなさい」
「はぁ…」
またこの人は難しいことを言う。
僕だって他の人みたいに夢中になれることがあったら楽しいかもしれない。でもこれまでだって、拓海や海斗の好きなことを追っかけて色んな経験をするだけで十分楽しかったもの。
そこで、残りの来客が到着して僕の問答は終了した。来たうちの一人は部外者の僕がその場にいることが不満な様子だったので、言われていた通りに小包みを受け取って、その場を後にすることにした。
部屋から出て行こうとしてドアの前まで来てから、話している間ずっと気になっていたことをフジタニ氏に質問した。
「失礼ですが…あなたは一体何者なんですか?」
ぶしつけで抽象的な質問にも関わらず、教授は少し微笑んで答えた。
「私かい?私はね、君の長兄たちを育てた、ただの罪深い人間の一人だよ」