3:1:1
「浩海、あと何分くらいかかる?」
オーブンの中を覗くと、肉や野菜がじゅうじゅうと音を立てている。焦げ目はまだついてない。
「もう5分くらい焼いた方がいいと思います」
課の全員分の食事を先輩の祐季さんと二人で作るのもとっくに慣れていた。だからと言って、料理に目覚めたかといえばそんなことはなく、単に我が課のシェフの受け売りである。
「あ、いたいた」
キッチンの入口から別の先輩が顔をのぞかせた。
「なんか、宴会の方の業務長引きそうだってさ。ご客人がなかなか帰りそうにないだと」
「それ、つまり終わるの何時くらーい?」
手を止めずに聞く祐季さんの手には出来上がった炒め物のフライパンが握られている。
「たぶん、後30分くらい。うちの人が片付け終わって帰ってくるのは1時間後とかだと思う」
そこに行っていた先輩は結局一時間半後に戻ってきて、そして更に遅れること15分、拓海が帰ってきた。
「疲れた~」
拓海はどさっと共用スペースのソファに崩れるように座った。
「お疲れ」
夕飯の皿を前のテーブルに置いてやる。
「ここのテーブルで?行儀悪いけれど、たまにはいいか」
僕も拓海の向かいのソファに座る。
「最近、よく仕事時間伸びてるね」
「ええ、なんでもここの研究所も色々変わるかもしれないし、人間達も忙しいみたいで。あれ、宴会じゃなくて会議よね、実質」
拓海の手元の皿が、どうやったらそうなるのか分からないが皿にソースが残らずに綺麗に平らげられていく。食器の擦れる音すらしていない。なんというか仕事柄だろうが、日常生活まで行儀が良すぎる。
「ほんと、人手が足りてなくて。私もてんてこ舞い」
拓海が接待業務を専業でやるようになってから随分経つ。
「僕もそっちを手伝えればいいけど。でも僕はまずアイロンのかけ方から修行しないと。しわしわ礼服ファッションは斬新すぎて誰もついて来れないよ」
「うーん、私と一緒の仕事はおすすめしないけど、でもそろそろ浩海も定職に就いた方がいいってのは言えると思う。どこかに紹介しようか」
「えー拓海そんなに人望あるのー?」
「あるよ。結構重役の人にもコネあるんだから」
たぶん嘘ではない。接待系の業務は機密事項に関わることもあるのであまり様子を教えてもらったことはないのだが、拓海は誰かから貰ったらしい『外では高価な物品』を色々持っている。今三つ編みにした髪を留めている飾りはいいお守りなのだと言っていたが、良く見ると宝石が入っている。腕時計もかなり高いメーカーだ、前に値段を検索してぎょっとした。
「僕はいいよ。拓海が活躍してればそれで」
僕はあくびをしてテーブルに肘をつく。
「僕、彬さんの情報を流すように言われてるんだ…」
かつて僕と海斗が無謀な冒険を試みる直前、拓海が消え入りそうな声で教えてくれたことだ。幼い拓海をあれだけ怖がらせていたスパイ活動はもう止めているのだろうか。きっと聞いても教えてくれない。
今の接待業も天職だと思ってやっているのだろうか。それとも彼は真面目に、どこかにあると言われてる自身のアイデンティティの正解をまだ探しているのだろうか。
僕は、きっちりと三つ編みにした黒髪を揺らして談笑する拓海を少し離れて見つめていた。
僕はといえば、どうも得意も不得意も好きも嫌いもなさそうなので、無個性が僕のアンサーかななんて思っている。とんちみたいだ。別にネットワークに回答を提出したりはしてないけど。このころ、僕らの身長は大人の先輩達とあまり変わらないくらいになっていた。