孤児院のアサシン
一人の女がゆらゆらと歩いている。
場所は王都の貧民街。真夜中で、雨が降っていた。
女はフード付きの黒いローブを着て歩いており、ローブからは血がぴたぴたと滴れて落ちていた。
顔はローブで見えないが、黒い短髪が少しちらちらと見えた。若く、どこか幼げすら感じる顔立ちしていた。だが、目は鋭かった。まるで人殺しの目だ。
人殺し……実際、彼女は人殺しだった。依頼を受けて要人を殺す暗殺者、いわゆるアサシンだ。
彼女は職人がものをつくるように、また農夫が畑を耕すように、人を殺してきた。
今日だってそのはずだった。ある貴族の暗殺の依頼を受けたのだ。しかし不幸な偶然が重なって、彼女は失敗した。
衛兵に見つかり、交戦したあげく、大けがを負った。
もうだめだ、アサシンの女は薄れゆく意識の中でふと思った。
いつもは冷徹な心を持ち、感情をこめないこの彼女が思うのだ。
彼女はとうとうその場に倒れた。冷たい石畳の道と雨に触れながらああ、死ぬのか、と悟る。
布団にはいって寝たい、温かいご飯を食べたい。彼女は自分でも少し驚くぐらい、珍しく願望を唱えた。
彼女が意識を失う直前、誰かの足が見えた。
温かい。
彼女が目覚めた時、はじめに思ったことだった。
毛布かなにかだろう、少しやわらかいものに包まれている。
アサシンの女はふと我に返り、アサシンとして叩きこまれた本能のようなものが目を覚ました。
すっと起き上がるが、腰に痛みを感じた。仕事着のフードではなく、ブカブカのシャツをきていた。腰をまくると、包帯がまかれている。
彼女はここはどこなのかと思った。
周囲を見渡すとほころびのある部屋だった。彼女はベッドの上にいて、右には窓があり、左には部屋が広がっていた。
部屋には棚と小さな本棚、さらに机が見えた。本棚の隣には扉が見える。
と、扉があいた。女は身構えた。
そこには大柄で太った中年の女性がいた。栗色の髪を後ろで束ねている。
「おや、起きたんだね」
中年女性がそういう前に、女は身構えた。アサシンとして、傷を負いながらも最大限の対応をした。
「何も取って食おうなんて考えやしないよ」
中年女性がそういっても、女は歯を食いしばったままだ。
「ここは……どこ?」
女は声を発した。鈴のような可憐な声だが、低くドスがきいているので台無しだった。
「ここは孤児院さ、貧民街のね」
女は少し動揺した。なぜそんなところに私がいるんだろう。
「あんたが倒れていたのを私が拾ったのさ」中年女性は言った。
「あんたは3日間ずっと寝ていたんだよ。医者先生にもきてもらって包帯とかまいてもらって大変だったんだから」
中年女性は、ちょっと待ってな、今ごはんもってくるから、といって一旦引き下がった。
女は動こうと思ったが、腰に激痛が走った。立てない。
「先生は、動けないだろうから痛みが治るまで安静にしてろってさ。しばらくここにいな」
そういって中年女性は部屋を離れた。
中年女性はしばらくして、お盆をもってやってきた。
「オートミールを重湯にしたものだよ。ゆっくり食べな」
女の太ももの上にお盆がのっかる。薄い小麦色をした粘り気のあるものが皿一杯にあった。
女は匂いをかいだ。匂いは大丈夫だ。だが、果たして食べていいものだろうか。
だが彼女はふと空腹を覚えた。中年女性の顔をちらちた見ながら、スプーンですくい、恐る恐る口へ運ぶ。
とうとうスプーンが口に着いた。温かいものが口に運ばれた。いつも食事は無事なものだったら、なんでも食べる彼女だったが、妙に新鮮な感じがした。
中年女性は部屋の端から椅子をベッド近くまでもってきて、そこに座り、母性あるまなざしで女を見ていた。
女は表情を変えなかったが、なんだか妙にくすぐったいような感情になった。彼女は重湯を続けて口に運んだ。
重湯はあっという間になくなった。スプーンを皿の上に置いた。
「あんたよく食べたね」
中年女性がそういうと、女は頷きもしなかった。
「そういや、自己紹介がまだだったね。あたしはレーゼってんだ。孤児院の子供たちはあたしのことをおかみさんって呼んでるんだ。孤児院のおかみさんって意味だよ」
女は落ち着いたのか、どうも脱力して、まるで死んだように肩の力を抜き、中年女性――レーゼとは目を合わせなかった。
「あんた、名前は?」
レーゼがそういうと、女ははっとなった。女はアサシンとして生きてきた。いくつかの名はもっていたが、本名など無意味だったので忘れた。
いや、そもそも本名などあったのかすら忘れた。それほど女は、闇の世界で生きてきたのだ。
女は思った。今使える偽名はない。どうしたらよいのだろう。
黙考した末、女は言った。
「……エイラ」
「ふうん、良い名前だね」
女――エイラは、レーゼがいい加減なやつだと思った。今適当に決めた名前なのだ。それを良いだなんて。
「まあ、とにかく当分は寝てな」
レーゼは立ち上がってお盆をもった。
エイラは横になって、これからどうしたらよいのか悩んだ。アサシンとしての人生は、暗殺が失敗した時点で終わった。失敗が許されない世界だ。今更おめおめと戻れはしない。
そう思ったとき、エイラはふと恐怖に駆られた。冷徹さを持ったはずのアサシンが、まるで大きな化け物を前にした少女のような気持ちになった。
その時、外から声が聞こえた。子供たちの声だ。起き上がり、窓から外を見た。
数人の少年少女が遊んでいた。皆、キャベツくらいの大きさのボールをなげあったり、走り回ったり、端っこで本を読んだりしていた。
ベッドで安静にしている一週間は、それを見ているのが日課になった。
医者から歩いてよいと言われたため、レーゼがもっていた杖をもって歩き始めた。
はじめは部屋のうちをぐるぐると周り、なれると部屋を出て、孤児院を歩き始めた。
孤児院といっても小さな教会程度の大きさだった。ふと食堂の扉の前で足を止めた。少しだけ空いている扉をみると、若い神父が、3人くらいの子供たちの前で黒板に文字を書いていた。
「何してんだい、あんた」
そこにレーゼがやってきた。
「いや、何をしているのかって……」
「見ての通り、授業さ。あそこにいるラゲン神父がきて、文字や算数を勉強してるんだよ」
エイラは興味深そうにその光景を見ていた。彼女は足し算引き算位は知っていたが、文字はわからなかった。文字よりも暗殺術などを覚えさせられたのだ。
「なに、あんた字は読めるのかい」
「読めない……」
「じゃあ、一緒に入りなよ」
すると部屋をノックし、ラゲン神父と声をかけた。
授業を中断し、ラゲンと呼ばれた神父ははい、と律儀に答えた。
「この子も仲間に入れてくれよ、エイラってんだ。数日前からここにいるのさ」
エイラはひどく戸惑った。しかし、ラゲンはにっこりと笑った。
「いいですよ、じゃああなたも座ってください」
エイラは言われるがまま、目の前にあった、食堂の椅子に座った。
すると神父は机に紙と鉛筆を置いた。
「今日は文字の授業です。あなたも黒板の文字をうつしながら書いてみましょう」
ラゲン神父は週に3回、孤児院にやってきて、それぞれ年齢に合わせて文字や算数の授業をしていた。
エイラも最初はかなり戸惑ったが、文字を書いていくうちに、不思議と文字を知りたいと思うようになった。
ラゲン神父はエイラに、文字で『エイラ』という名前を教えた。彼女がはじめて知った文字の単語だった。
エイラという名前になれていなかったから、エイラ自身はどうも他人事のように思えたが。
エイラは勉強をした。彼女が一週間横になっていた部屋は、いつの間にか彼女の部屋になっていた。
机に紙を広げて、鉛筆を動かし、ミミズの張ったような字を書いた。
そこに10代前半の子供が2,3人恐る恐るやってきた。
なに? エイラはいつものように冷たくいうと、一人の、他の子より背の高い、賢そうな男の子が、勉強をみてもいい?と声をかけてきた。
この子たちは字が読み書きできるのか、そう思ったエイラは子供たちを部屋に入れ、勉強を見てもらうことにした。
勉強を見てもらいながら、子供たちにこの孤児院について教えてもらった。
ここはラゲン神父の教会がお金を出してやっていること、ここには15人くらいの子供たちがいること、それをレーゼが一人で切り盛りしていること。
「おかみさんはすごいんだ」
さきほどの賢そうな男の子が言った。
「料理も作るし、悩み事があったらきいてくれる。僕らのお母さんだよ」
さらに半月が過ぎた。エイラはもう杖なしでも歩けるようになった。
その頃には、エイラは勉強だけではなく、外で子供たちと遊ぶように、とレーゼに言われたので、子供たちと遊ぶようにした。
「ボール投げて!」
投げられたので受け取った、キャベツくらいの大きさのボール。エイラはそれを小さな男の子に向けて思いっきり投げた。
「いて!」
小さな男の子は思いっきりボール腹にあたった。彼は腹を抑えた。エイラはしまった、と思い、小さな男に近づいた。
「もっと加減して投げろよ……痛いよ」
「……ごめん」
エイラは素直に謝った。エイラは自分の中で、妙にそれが新鮮に思えた。
さらに一週間が過ぎた。
エイラは少しずつ文字を覚えるようになった。ボールも加減して投げるようになった。
エイラはあったかいシチューとパンを食べたその晩、ベッドに就いてふと考えていた。
「レーゼ」
早朝。
台所に立つレーゼに、エイラは声をかけた。
レーゼはびっくりした表情をしてエイラを見た。
「なんだい、あたしの名前を呼ぶなんて、はじめてのことじゃないかい」
エイラは少し黙ったが、ゆっくりと、はっきりと言った。
「あの、お願いがあるんだけど……」
「なんだい」
「できれば、その、しばらくここに私をおいてほしい。料理や家事とかもならって、レーゼを手伝いたい……」
そういって、エイラは黙ってしまった。意を決してのお願いをして、彼女は言葉が出なくなってしまい、そのままうつむいてしまった。
「おかみさん」
エイラは顔を上げて、レーゼをみた。
「おかみさんって呼びな。あと忙しくなるから、覚悟しな」
エイラは若干ほっとした顔つきになり、はい、おかみさん、と返した。
エイラはその日から、エプロンドレスをきて、家事や料理、レーゼの手伝いなどをはじめた。
はじめはぎこちなく、レーゼから叱られることもあった。
だがエイラは元々器用なたちだったので、すぐに慣れた。
「あんた腕がいいね」
そういって褒められた時、エイラのなかで温かいものを感じた。
「それとね、あんただいぶ表情が柔らかくなったよ」
「表情が……?」
「うん、最近口元がゆるくなったし、目も前みたいに鋭くなくなった。肩の力も抜けているね。笑ったとこは見たことないけど、まあ無理することはないさ」
そう言われると、なんだか、エイラはうれしくなっていた
エイラは勉強も続けていた。ラゲン神父は文字を教えながら、掛け算や割り算を教えていった。
この時からエイラはおつかいを頼まれるようになったので、掛け算や割り算は大いに役に立った。
文字の方は、子供向けの絵本を読めるようになった。
はじめて読んだ本は、伝説の騎士が囚われた姫を助けるために悪い怪物をやっつけるという話だった。
エイラにとって、そんな空想の話は全く知らない世界だった。
「ねえ」エイラは他の子供に声をかける。
「どうしたの、エイラ?」
「どうして騎士は囚われた姫を助けるの? 名誉とか、金のため?」
「うーん、わかんないけど騎士は姫のことが好きだからじゃない?」
「好き……」
好き、という意味は分かる。エイラも、自分がシチューが好きだということが最近分かってきた。
しかし、人が人を好きなのはなんだろう?
エイラは好きの意味を考え始めた。
ある日、エイラは貧民街近くの市場でおつかいをしていると、二人の甲冑を着た兵士が歩いていた。
エイラは緊張した。めったに見ないが、ここ数日よくあのような兵士たちを見るようになったからだ。
周りも少し動揺している。
「ああ、ここにもきたか」
果物屋の白髪の店主が言った。
「前に貴族の暗殺事件があったらしくてね。暗殺は失敗したらしいが、王国の要職についていた、王様お気に入りの貴族だったから王様もかんかんさ」
エイラはぞっとした。アサシンとしての過去を思い出し、最後に自分が暗殺に失敗した夜のことを思いだして吐き気がした。
店主はそんなエイラに気づかず、兵士たちを見ながら言った。
「ここら辺や貧民街にも、連中回るつもりだな」
エイラは真っ青な顔をして孤児院に帰ってきた。
どうしたんだい、体調悪いのかい、レーゼがそういうと、エイラは頷いた。
「ごめんなさい、おかみさん。今日は休ませてくれませんか?」
エイラはそのまま部屋に戻り、扉をばたんとしめた。その場に立ち尽くす。
エイラは、これまでの人生を振り返り、自分がとてもけがらわしいものに思えてきた。
人殺し、と自分の中の自分が責める。血で染まった自分。そんな自分が、こんな温かいところにいていいなんて厚かましかったのだ。
自分が兵士に逮捕されて、拷問でもなんでもされてボロボロになったあげく、無様に殺されるのは構わない。
だがこの孤児院の人たちに迷惑はかけられない。ラゲン神父やお医者様もそうだ。
エイラはとっさにここから出ていこうと思った。そしてどこかで死期を悟った猫のように、どこか、誰もいないところで死のうと思った。
だが、彼女は急に死ぬのが怖くなった。そういう感情がふと、どっとわいたのだった。
その場に座り込み、彼女は涙を流した。あれ、なんで泣いているのだろう。エイラはそう思いながら、そのまま呆然とした。
エイラが寝込んだ日から、兵士たちは貧民街に入った。
一軒一軒、しらみつぶしに兵士たちが各家を回っているみたいだ、ふとそんな話が入ってきた。
エイラは部屋の中にこもったまま、誰も人をいれようとしなかった。子供たちもお見舞いをしようとしていたが、エイラは部屋に入れなかった。
子供たちを、自分のようなけがれた者に触れさせたくないと思ったからだ。
レーゼも入れたくはなかったが、彼女は無理やり入って、食事をもってきた。正直食事ものどを通らなかった。
「ごめんなさい」
エイラがそういうと、レーゼは言った。
「気にすることはないさ」
エイラがまた眠れぬ夜を過ごし、朝早くに寝ていると、扉を強く何回もたたくような音が聞こえた。
「王国軍のものだ! ここをあけろ!」
エイラははっと目が覚めた。ついに来た。エイラは混乱した。だが、ここで捕まった方が良いと思った。
彼女はとっさに置き、玄関のほうへ向かった。
「なんだい、朝から。うちは孤児院だよ。子供たちはまだ寝ているんだよ」
レーゼがすでに玄関の前にいた。玄関の外には二人の兵士がいた。
「先日の暗殺事件の件で捜査にきた。心当たりの情報はないか、王都中をしらみつぶしに当たっている」
「例の貴族様の件かい? うちはご縁がないね」
「うむ、ならそこの娘、何か心当たりはないか?」
私です、その事件で貴族を殺害しようとしたのは私です、そう一言言おうとした時だった。
「その娘なら、私の遠い親戚でね、つい先日田舎から王都にきたのさ」
エイラは驚いた。兵士は言った。
「お前にはきいとらん。娘、心当たりは?」
エイラは恐る恐る首を横に振った。
「知りません……私も王都にきたばかりなので……」
「うん、わかった。それでは失礼する」
やはりここはあてにならなかったな、などと兵士たちの会話が聞こえ、そして徐々に遠くなっていく。
「なんだい、朝からうるさい連中だ」
そういってレーゼは玄関から去ろうとする。それをエイラは呆然と見ていた。
「エイラ」
レーゼがふと声をかけたため、は、はいとエイラは言った。
「あんたに昔何があったか知らんけど、あたしはそんなことは気にしない。他の子供たちもそうさ。あたしは、あんたのこと気に入っているんだよ」
「……気に入ってる?」
「そうさ、好きってことだよ。それはここの子供たちも同じだよ」
好き、そうか、これが好きってことか。
「ねえ、どうしたの?」
子供たちが騒ぎを聞きつけて起きてきた。
「なあに、兵士たちが横暴にやってきたのさ、なっ、エイラ」
エイラは涙があふれた。それを服の裾でごしごし拭くが、涙が止まらなかった。
「エイラ、なんで泣いてるの?」
子供の一人が言った。首を横に振りながら、なんでもないの、と言った。
エイラはまた仕事をはじめた。
徐々に食事も作れるようになった。
ある日、エイラは一人で夕飯を作った。
エイラの好きな、白いシチューとパンだった。
「エイラ、おいしいよ!」
1人の女の子が笑いながら、スプーン片手に微笑んだ。
「ありがとう」
エイラもそういって微笑み返す。
「まあ、おかみさんには負けるけどな」
そう男の子が言うと
「当たり前じゃないかい!」
レーゼがそういって返し、どっと皆が笑った。
エイラも満面の笑みを見せた。
「エイラ最近笑うようになったね」
子供の誰かがそういうと、うん、とエイラは大きく頷いた。
「これもみんなや、おかみさんのおかげだよ」
そういってエイラはレーゼのほうを見た。
「おかみさん」
そのあとにエイラは子供たちを見渡した。
「みんな」
エイラは思った。自分の過去は消せない。でも、まずは今を生きていこうと思った。
私の過去はとても償えるものではないけど、それはこれから、ゆっくり考えていけばいい。
エイラはそう思いながら、ここにいる人たちに感謝しながら、満面の笑みを浮かべて、言った。
「大好き!」
―――おわり




