第十話
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「――――それでは、本日をもって神居村小学校、中学校、そして神居高等学校の二学期を終了とし、冬休み期間へと入りますが……皆さま方、節度を重んじて実りある冬休みを――――」
それから日が経ち、いよいよ冬休みを迎える事になった。
夏休みの始まりを告げる“終業式”と違って、冬休みはどうにも盛り上がりに欠けたものがある気がする。
夏休みを始めたこの体育館のあのワクワクするような空気、開け放した戸から入り込んで来る涼しい風とアゲハ蝶、はためくカーテンの隙間から見える抜けるようなスッパリと晴れた青空を覚えているだけに、びゅうびゅうと吹く冷たい風と雪を映す、閉め切られた窓の外はまるで不吉とまで言ってしまって構わないほどだ。
長い休みとしては嬉しいが、盛り上がりというものにイマイチ欠ける。
特に一度でも、受験とかいうものを知っていればなおさらの事だ。
あれを控えた冬休みは単なる追い込みの時期でしかない地獄の日々だ。
小学校の体育館の壇上で語りかけるのは――――あの時のように中学の校長ではなく、俺達の学び舎、神居高校の校長だった。
そのせいか言葉の選びが小難しくて、小学生達にいたっては“何言ってるんだ、この人”の疑問符がまるで透けて見える。
特に、前の方に並んでいる“死球製造機”の悪童は、見ているだけで気の毒なほど退屈そうにぐらぐらと身体を揺り動かしているのが見えた。
ただ立ち止まっている事さえ苦痛に感じるようなあのクソガキにはこの高校校長の長話はそりゃあもう拷問だろうし――――“冬休み”の盛り上がりのなさと相まって今にも毛を逆立てそうな不服が透けて見えた
そして六、七人しかいない中学生組の中には、指摘されないのが不思議なほどハズした着こなしでぴしっと長話を傾聴する別方向の問題児、“モノ壊し”こと鈴木素子が澄まし顔だ。
助走なしの幅跳びで田んぼのあぜ道からあぜ道へ飛び移り、垂直に跳べば建物の二階へ苦も無く飛び移れる鴉天狗のような身軽さと身体能力の持ち主で、本当はいい子なのにとにかくはしゃいで物を壊すせいで村の大人からは呆れられている。
彼女はといえば、ブワッと広がるようなフリルを袖口にあしらったブラウス、何故か鼻まで覆うように巻いた黒地に銀糸の刺繍を施した鮮烈なマフラーという姿で、その他にもこまごまと装飾品を身に着けた姿だった。
キマっていると言えばキマっているのだが、なにぶん、一緒に列に並んでいる子はスカートの下から色気もない長ジャージの脚を生やしている姿だったりするものだから浮いている。
それでも別に怒られはしないあたり、この村はかなり緩いのだという事も今さらながら分かる。
俺達高校組の四人は、夏休み前のこれでもそうだったように、小中学生の列の後ろに横一列に並ぶ。
やがて、それまで噛み殺していた柳の欠伸がとうとう抑えられずに、大口を開けたものへと変わった頃――――図ったように、とうとう終業式は終わり、神居高校の校長は壇上から下りた。
後はもう、校歌の斉唱もなければ、各教室でホームルームという事もなくこの場で解散、各々が冬休み開始で家に帰るだけだ。
宿題の類いは前日にすべて受け取り済みのため、今日は本当に、ただこうして村の学校の二学期終業式を宣言するための格好つけの集会のようなものでしかない。
やがて、体育館の列がばらけて……村の小中学生、高校生全員が入り交じり混沌とした場へ変わる。
「沢子、逃げた方が……っ」
「え、あっ……うきゃっ!?」
身長二メーター超の八塩さんは式の真っ最中から相変わらず目立ってしまっており、終業式が終わるなり――――怜の言葉もむなしく走り寄ってきた低学年の小学生達に囲まれてしまい、逃げられない状態に追い込まれていた。
「八尺ねーちゃんだ! でっけー……!」
「なー、肩車! 肩車してよ、沢子ねーちゃん!」
「わたしも! わたしもー!!」
「ひや、ちょっ……! 登らないで、登らないでください! わかったわかった、分かりましたから! 順番に! 順番にぃ……!! ああ髪、前髪めくらないで!」
チビ達にまとわりつかれて膝をついて、それでようやく俺と同じくらいの目線になるためどうやっても子供達と同じ目線にはなれていないのが、少しだけ微笑ましい。
背丈と、顔を完全に覆い隠す“あのホラー”の主役めいた長さの前髪のどことない恐ろしさとは裏腹に声はか細く、淑やかなのが今でも意外に感じる事がある。
主に村の中学生達や大人達に評判のいい柳と違い、この通り規格外の長身と優しい性格のおかげで、八塩さんは子供達に人気が高い。
「……今度は遊具に就職か。忙しいよな、サワ」
「いくらなんでもそれは酷いよ、柳」
「ああ、流石にひでぇ。“アイドル”ぐらい言ったらどうだ」
「そうか、反省」
よじ登られ、観念して一人を肩車したままさらに一人を膝立ちのままおんぶし、片手で一年生の女の子を抱きかかえながら子供達の相手をする八塩さんを生暖かく見つめて俺達は口々に感想を漏らす。
確かに、人気があるといえばあるが――――フォローしておいて何だが、これはどちらかと言えばアイドルじみたものでなく“遊具”、でなければプロレスラーか力士のそれに確かに近い。
極め付けには髪の毛をつたってよじ登ろうとぶら下がっているガキまでいるのに、まるで痛がる様子もなければ髪の毛が抜ける様子さえない。
正直言ってその様子は――――怜と見てきたあれに似ていなくもないが、流石にそれを言うのはあまりに気の毒だと思って口を紡いだのに――――。
「……ぷ、あはははっ、クリスマスツリーみたいだ、沢子」
怜は――――あっさりと言い放ちやがった。
「ううっ……どうして私だけ……柳くんも十分大きいじゃないですかぁ……」
「いやぁ、俺はチビさ。流石に俺じゃ物足りないだろうし遠慮しないとな」
「……七支くんはどうです……? 代わってくれませんか……?」
「いや、俺も自信がない……ごめん。頭から落とすかもしれないから危ない」
「ボクが代わろうか?」
「……怜ちゃんは危ないからだめです」
「何だ、ボクだけ仲間外れかよ沢子」
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そのまま、誰もまだ強く雪の降る外を帰る気も起きないのか……しばらくは、四人でだらだらと、体育館の一角で過ごした。
子供らが八塩さんで遊び飽きて、そのうち体育館を走り回って遊び始めた。
どこにそんな体力があるのか、体育館の端から端までの全力疾走を何度も何度も繰り返しているのに数秒で息が整い、さっきまで校長が話していた壇上の上まで飛び乗って三次元的な運動まで繰り出す始末。
しかしそれはこの神居村の子供に特有ではなく――――小学生なら誰しもが持っている“能力”だ。
いつからか、人は走った後に息が整わなくなる事に気付く。
ずっと力を込めて漕いでいられた自転車が、休み休みじゃないと漕げないようになり、坂道を上る事に心が折れそうになるのだ。
年寄りくさい台詞――――ではない。小学生からほんの数年で、そうなってしまう。
文句のつけようもなく若い俺でも、“幼いころ”の体力がもうない事に、気付かされてしまうのだ。
「……ジャリどもは元気なもんだ。ナナ、お前アイツらに付き合って雪合戦やったんだってな? あの猿ガキの雪玉、痛かったろ」
「ああ。……あとで鏡見たらさ、青く内出血してた。何、あいつ……。球、速すぎて見えないんだよ」
「あの子ですか……。そういえば、屋根の上から五十メートル先の“三本脚のリカちゃん”へ当ててるの見ましたよ」
「そうそう。そんなんだからさ、子供らで草野球とかする時はピッチャーやらせてもらえないんだって。危ないから」
「コントロールは問題ないのにか。かわいそうだな、あの猿ガキも」
文字通りの体育館の一角で、壁に固定されたままの高跳び用マットに背中を預けてもたれかかりながら柳が言う。
俺もそれにならって同じ姿勢を取って立ち、怜と八塩さんは、すぐ近くにあった小学生サイズの跳び箱に座りながら輪になって、雪が弱まるまでだらだらと話し込んでいた。
「さてなぁ。……“還り”の一種なんだろうけど分かんねェ」
「それだよ。だいたい何なんだ……? この村には不思議な事があるのは分かったよ。でも、それって何……? 柳、お前の両親はどうだったんだ」
答えるように柳がポケットから手を取り出すと、指先で、見えないほど細い“糸”に吊られているらしい原付のキーがゆらゆらと浮かんでいた。
「俺と同じ。何か……手から糸を出せた。遺伝するかどうかは知らんね。……昔、首なしライダーが三十人規模で出現した事件があった。そん時にオヤジが国道に罠を張って全員狩った。“神奈の一斉検挙”とか言って村のジジィどもが今でもたまに騒ぎやがるんだ」
「……その話聞くたびに思うけどさ、柳。本当は、キミのお父さんが“首なしライダー”伝説の発端だったりしないよね?」
「俺もそう願ってるが怪しいな、あのクソオヤジ。……そんなもんだから、碧さんはたまに俺含めてうちの事を“土蜘蛛”って呼んだりするな」
「土蜘蛛――――?」
どこかで聞いたような気がするが……思い出せない。
確かそれ、妖怪か何かだったような……?
「……日本に“家屋”という概念が生まれて尚も、原人みたいな穴居を続けていた連中だよ。穴に籠もって暮らしていたからあいつらは人じゃない、“土蜘蛛”だと迫害を受け追われた――――だったか。妖怪扱いされる事もある」
「それが……柳くんのご先祖様だったりするのでしょうか?」
「知るか、とりあえず俺は人間だよ。血だって赤ェ。……お前だって、小坊の頃は散々“だいだらぼっち”呼ばわりされてたよな。どうなんだ、お前こそ」
「う……。さ、最近は言われなくなりましたから!」
それは、流石に俺も……ふたつの意味で、知ってる。
八塩さんが小学生の時は高学年の悪ガキにからかわれる事が多くて、そのたびに柳……こいつが、からかった悪ガキ相手にケンカしに行ってて俺と怜も付き合わされた事がある。
そしてもうひとつの意味は――――その名前、そのものだ。
土をこねて富士山を作っただとか、残した手の痕に雨が溜まって湖になったとか、そういう伝承をあちこちで語られる日本の巨人信仰だと聞いた事がある。
「まぁまぁ。……雪もだいぶ弱まったね。それじゃ、帰ろっか?」
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それから、ほんの数日後。
俺の帰省を控えた夜に――――それを目にする機はやってきた。
神居村の一年の終わりを告げる、祭りではなく、奉り。
――――怜が舞い手を務める神居神宮の奉納神楽の日だ。




