第一話
神居村に移り住み、九ヶ月。
七支杏矢は年の瀬を村で過ごし、大晦日から正月にかけて冬休みは実家へ帰る予定を立てる。
懐かしい生まれ故郷の神居村から離れ、育った地元へ帰る杏矢はそこで奇妙な事件の噂を耳にする。
そこは、村から遠く離れた自身のいた街。
村とは違い、決して――――“そうしたもの”がいてはならない場所だった。
*****
こうしていると、あの春からの記憶がまるで夢のように思う。
あの春の、あの村に無かったものばかりで――――不思議な事に、もうそちらの方が現実感がなくなってしまったのだ。
駅前のメインストリートは街路樹にまで巻きつけた電飾でみっちりと覆われて、赤、青、緑、黄、紫と色とりどりの光が、暮れかけた空に淡く輝き始めていた。
思わず仰いだ空はまったく狭くて――――ただ上を向いただけで、その視界の両端に留まらず、まるで額縁のように俺の視界を塞いで真新しい外壁や、くたびれて看板の錆びたビルが空に向かって背伸びしていた。
それだけじゃなく、古い陣取りのレトロゲームに似て電線に切り取られに切り取られた空は、視界の中で正味にして数十センチのカクついた歪な空だった。
聴こえてくる音もまた、あの春からの日々で聴く事のなかったものばかりだ。
田んぼから聴こえてくるカエルの声もなく、注ぐ水路の音もなければ葉のざわめきももうない。
禿げ散らかした街路樹には、もう擦れ合う葉も残ってないからだ。
代わりに聴こえてくるものといえば、どこから流れているかまるで分からない鈴の音に彩られた、ひび割れたようなスピーカーから流れる音声。
若くて少し耳障りな、高い女性の声で流れるのは“ケーキ”の予約の案内、一週間以上も先の“その日”に備えてのお節介なアナウンス。合間に挟まれる、定番となった“この時期”のお決まりのBGM。
「……~♪ ふん、ふふふんふふ……っ」
つい、頭の中――――に留まらず、小さく鼻唄に出てしまった。
普段なら気にもしないけど――――今は状況が違う。
というのも、今はあまりに周りに人が――――多すぎたからだ。
鞄片手にさかさかと歩くスーツの男を見たのは久しぶりだ。
ぴしっと決めたタイトスカートのOLも、寒そうに歩く老人夫婦も。
更には学生服で歩く同年代の人間をこんなに多く見たのも久しぶりで、目を回しそうなほどの人の多さでつい酔ってしまいそうなほどだ。
あの、暖かくも寂しいほど人の少ないあの村に慣れ過ぎた今となっては――――眩暈のもとだ。
俺の分の酸素まで通りを歩く人達に奪われているような息苦しさまでもついてきて、思わず、息継ぎをするように深く息を吸い込んだ。
浮かれるような街の空気はいつも華やかで――――楽しげだ。
ファストフード店の看板人形も、駅前に立つ銅像も、はてはスフィンクス然として鎮座するライオンの像までも悪ノリされたように赤服と白鬚の装いに変わり果てさせられ……特に最後のなど、道行く通行人達に、掘り込まれた彫刻の瞳孔で「助けてください」と訴えかけるような哀愁を感じた――――というのは、少し大げさになるだろうか。
やがて――――。
「お待たせ、キョーヤ」
建物の壁にずっと、ぐったりともたれかかっていた俺に横から呼びかける声がした。
その声を聴くだけで、ずっと遠くへ離れかけていた春からの日々が実感を取り戻していくようで。
とたんに、この街の現実の方が現実味を手放して行くような感じさえしたほどだ。
振り向けば――――そこには。
「ん。……遅かったな、怜」
「仕方ないだろ。……迷いそうになったんだよ」
「トイレ行くだけなのに迷うか」
「迷うってば。どの入り口から入ってきたかも忘れるし……」
やっぱり、それでも――――この風景の中に彼女がいるのはやっぱり不思議で、現実味がどこかズレているというか、上手くハマっていないような気もする。
どうしても。
咲耶怜が――――俺のいた、この街の。
クリスマスを待つ駅前の広場に、制服姿で微笑みかけているのは。
皆さま、お久しぶりです
色々と書いたりしてみて疲れた今日この頃、再び神居村冬編を開始していきたいと思います
どうぞお付き合いを




